30. 眩暈 (ミスジパ)










眩暈がする
求められれば 求められるほど

その幸福に

目が 眩む



















 目に染みるほどの青空を見上げ、その人は立っていた。
 地にしっかりと足をつけ、何者をも恐れはしないとでも言うように立つ姿は、天下に最も近いと呼ばれるに
 ふさわしく、存在感に溢れている。
 名工により、技巧をつくして作られた庭園も、彼を引き立たせる飾りでしかない。
 それなのに、藤吉郎はその背中に・・・悲しさを感じてしまった。


「・・・上様」
 おずおずと声を掛けてみたものの、背は微動だにせず、声を無視する。
 ほぅ、と息を吐いて藤吉郎は呼びなおした。
「信長様」
「・・ったく、、いつまで経っても物覚えのわりー奴だな」
 舌打ちまじりにそう言われ、藤吉郎はすみませんと苦笑した。

 いつだったか、”上様”と呼ばれはじめた信長を、藤吉郎も同じように”上様”と呼び、二人だけの時は
 名前で呼べと、殴られた・・・。
 まさかそんなことを言われるとは思わなかったので、正直目が飛び出るほどに驚いた。
 絶対に信長が言いそうにないセリフだっただけに、特別扱いのようなそれが面映く、嬉しかった。

「何突っ立ってんだ。さっさと来い」
「は、はいっ」

 駆け寄り、見上げた主君の顔は藤吉郎より一つ半は裕に高い位置にある。
 身長差は出会った頃からあまり変わらない・・・・いや、もしかすると広がったかもしれない。成長期だった
 信長はすくすくとよく育ったが、反して藤吉郎はあまり伸びなかった。
 それでも、藤吉郎が見上げるという位置は変わらない。
 尾張のうつけだった信長は、天下を目前にし、ただの百姓のせがれだった藤吉郎は武士として一団を
 任せられるまでに出世した。
 立場は驚くほどに変わってしまったけれど、いつか叫んだ『信長の天下が見たい』という気持ちは少しも
 変わりはない。あと少し、もう少し。
 その夢がかなうときは近い。
 
 ここまで来る道は決して平坦な道ではなく、険しく、血塗られた道であった。
 残虐非道と罵り、背を向けていった武将たちも居る。
 藤吉郎だとて無力な者が殺されていくのは憐れで、耐えられなく思った。
 それでも藤吉郎が戴く主君は信長一人であり、未来永劫変わりない。
 だって、信じているから。信長を・・・織田信長という全存在を。


「少しやせたか?ちゃんと喰ってんだろうな?」
 睨みつけるように言われ、藤吉郎は笑った。
「ちゃんと食べてます。秀吉とか、周りの連中がうるさいので。信長様は変わりなくお元気そうで」
 少し疲れたように見えるけれど、信長は気遣われて素直に喜ぶ人では無いから。
「何だ、嫌味か?」
「ち、違います・・・って。安心しました。蘭丸から急に手紙を貰ったので何かあったのかと勝手に心配
 してたんです・・・」
「あー、あれは、まぁ・・・・その、俺が書かせた」
 ぽりぽりと決まり悪げに信長は白状した。
「は?」
「て、てめぇがっ!とろとろしてるからだろうがっ!さっさとけりつけて帰って来いと言ってあっただろうが!」
「そ、そんな無茶苦茶な!まだ一月しか経ってませんよっ!」
「無茶苦茶でも何でも、俺がしろといえばしろっ!」
「・・・・・・。・・・・・・はい」
 何とも自分勝手な命令をする主君。
 けれど、主君に傍に色と言われて、嬉しくない部下があろうか?
 藤吉郎は顔を綻ばせて、信長を見つめた。

「はい、出来るだけ早く片付けて・・・お傍に戻って来ます」



 力強い腕。
 抱きしめられた胸元で、一月ぶりに信長の香りに包まれた。













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