● 女王陛下の我侭 ●
文字通りいと高きところに御座します慶国景女王。 千年の悠久の御世を綴るその女王は露台から雲海を眺めることをことに好まれた。 「主上。何をなさっておいでか」 そして千年の時を重ねても変わらない鉄面皮で隣に直立する景麒が尋ねた。 「見てわからないのか?」 当たり前のことを聞くな馬鹿、という心の裡が聞こえそうな陽子の言い方だった。 「釣りだよ、釣り」 あっさり答えを振りまいた陽子は確かに竿を手に持ち、雲海へと糸を垂らしている。 「雲海に魚はおりません」 そう、雲海に生き物は住んでいない。 『海』とは読んでいるがそこは生き物が住む場所では無いのだ。 「そんなことわからないだろ」 「……」 呆れたように目を細める景麒を気にすることなく陽子は竿の先を見つめている。 「雲海を隈なく探したわけでもないだろ。広いんだから、魚の一匹や二匹……いや、魚じゃないものでも居る可能性はある」 魚じゃないものとは、いったい陽子は何を釣りあげようとしているのか。 「主上。時間の無駄です」 他の者なら口を濁すところを景麒ははっきりと否定した。それが景麒の鈍感さであり長所である。 伊達に千年付き合ってきた訳では無い。 「うるさい、景麒。だいたい何の用だ?」 雲海での釣りは陽子の趣味の一つだ。誰にも迷惑を掛けていないのだから文句を言われる筋合いは無い。 「執務にお戻り下さい」 「私は休憩中だ」 王様家業は年中無休。週末はお休みという訳にはいかない。 しかし詰め込みすぎてはストレスが溜まる。だから陽子は気晴らしに休憩もするしふらりと街にも下りる。 今日は金波宮に居るだけましなのだ。 「そう言われてすでに一刻ほど経ちましたが」 「ああ、そうか」 陽子は景麒の苦言をスルーするスキルを習得した。 「そうかではございません。お戻り下さい」 そして景麒は陽子のスルースキルにヘタれることない精神の強靭さを手に入れた。 その結果、同じところに戻ってくる。 「景麒」 「何でしょう」 王と麒麟の間に目に見えない稲妻が飛び交っているのが見えた。 この不穏な空気が満ち溢れる場所には誰も近づかない。それは金波宮の暗黙の了解である。 「私は絶対に大物を釣り上げるまでここを離れない。絶対に、だ」 こうなれば意地だ。陽子は負けず嫌いなのだ。 「絶対に、無理です」 陽子は景麒を睨みあげ、景麒は静かに陽子を見下ろした。 「釣ると言ったら釣る!」 「無理です」 「無理じゃないっ!」 「無理です」 「……っ気が散って釣れるものも釣れないっ!どっかに行け!」 「外因に関係なく釣れません。さっさと執務にお戻り下さい」 陽子がばっと勢いよく立ち上がった。さすがにキレたのか。 「おらぁっっ!!!」 女王とは思えない叫び声を上げた陽子は腕を振り上げた。 景麒に殴りかかったのでは無い。 釣り竿を引いたのだ。まさかの、何かが掛かったらしい。 「まさか」 思わず景麒が漏らす。 「よしっ!大物来たっ!!」 拳を握る陽子と半信半疑の景麒の目の前で、雲海がばしゃっと音を立てる。 姿を現したのは。 班渠、だった。 「「……。……は?」」 陽子と景麒の声が重なる。 予想外のことが起こると千年の時を重ねた者でも言葉を無くすらしい。 釣られた班渠は、ぺっと針を吐き出すと何事も無かったように遁甲して姿を消した。 その後、女王と麒麟は微妙な空気を携えて仕事をしている姿が目撃された。 |
使令の告白: 某H:『あの人たち、喧嘩すると面倒なんで』