● 月が綺麗ですね ●










 大気が冴え渡る夜。どこまでも遠く、雲海が広がっているのが見える。
 黄金色の煌きを反射して、まるで昼間のように白い壁を暗闇に浮かびあがらせた。
 ここは、殊更に月が美しい。
 月の女神嫦娥の住まう場所。その名を金波宮。



 二人の間にある瑠璃の杯には、翡翠色の液体が揺れている。
 芳しい香りの立ち上る冷茶だ。
「普通、こういう時って酒じゃないか?」
「酔えもしないのに飲む意味が無い。それなら美味しいお茶のほうがいいだろう?」
 そう言って女神が笑うので、相手もやれやれと苦笑を浮かべた。
「陽子って……陽子、だなあ」
「当然だろう。私は私以外の者になれるほど器用では無い。お前がお前であるようにな、劉來」
 露台には陽子と劉來が二人だけしか居ない。
 二人だけの時間を邪魔する人間は誰も居ない。
「なあ、劉來。失うというのは、とても辛いことだな」
「……」
「知っていたつもりだった。だけど……つもりだけだったのだと。何百年も生きて思い知らされる」
 それでも生き続けなければならない。
 ひっそりと告げられる言葉に劉來は何も言うことができず、ただ聞いていた。
 涙でも流しているならば慰めようもあるが、陽子の口元に浮かんでいるのは微笑だった。ただ静かに。
 劉來がもっと狡猾な人間だったら、今こそと自分を売り込んだかもしれない。
 せっかく二人っきりの絶好の機会だというのに、まるで生かせていない。周囲の人間が気を遣った甲斐も無い。
 そんな悶々としている劉來の耳にくすり、という笑い声が届いた。
 下げていた視線を上げると、陽子が肘を突いて劉來を見ていた。
「貧乏くじを引いたな」
「……見ようによってはまたとない機会だと思うぞ」
「そこに付け込めないのが劉來だな」
「放っとけ」
 やさぐれた雰囲気でそっぽを向く。
「まあ、でもだからこそ劉來で良かった。流されるまま関係を作っても不幸なだけだ」
「不幸にするかどうかは互い次第だろ。何もかも捨てられるほど身軽な身分でも無いんだし」
 陽子がやや目を見開いた。
「……劉來は劉來だけど。大人になったな……ちょっと寂しいよ」
「あのなっ!俺もいつまでも陽子に守られる子供じゃないって!……ったく」
 最初の刷り込みは簡単には消えない。
「まあまあ、私の愚痴に付き合ってくれて感謝しているよ。ありがとう、劉來」
「感謝されるようなことじゃない。俺の一番大切なものは、昔も今も変わらないんだから」
 ふふ、と陽子は少女のように無邪気に笑った。
 劉來に同じ想いは返せないかもしれないが、家族のように心安らげる相手だった。
「いい男になったな、劉來」
「……本当にそう思ってるか?」
「ああ。周りの女の子とたちが放っておかないだろうに……そういう相手は居ないのか?」
「……。……」
 泣いてもいいだろうか、と劉來は溜息を飲み込んだ。
「……無神経」
「ん?」
 ぼそりと呟かれた言葉は陽子の耳には届かない。
「本当……月が綺麗だな」
「……ああ、月が綺麗だな」

 互いにその意味を知らぬまま。
 降り注ぐ月の光を身に浴びて、夜は更けていく。

















たぶん、柱の影にKとかKとかSとかSとか。
「月が綺麗ですね」・・・誰かに言わせてみたいなあと思ったのです。