仮想戯話

Ver.慶国(景麒尚隆)








 朝議の場が凍りついた。
 数名を除く官吏の心の声は一つ。

 ―――― こいつ馬鹿か、だ。






 
 女王が立ち、十年が経過した頃。
 国内も徐々に落ち着き、復興への道筋が見え始めてきた。
 登極当初から女王だというだけで謂れの無い失望は、もしかしたらという期待へと変化しつつあった。
 側近たちは女王の真摯な努力を知っている。
 なるべくしてなったこと、まだまだ先は長く続いていく……そう心得ていた。
 その中で問題の一つは人材不足だろうか。女王時代が長く続き、官吏もピンからキリまである意味揃っている。
 本当に大学を卒業したのか、よくそれで官吏……小宗伯になれたなと呆れる者も居る。
 それが、今まさに朝議の場を凍りつかせた男である。
 しかし空気を読まない男はそんな朝議の場の状況にも気づくことなく言葉を重ねる。

「朝も落ち着いて参りまして、主上にもお傍に心安らぐお相手が必要ではと愚考致しました」
 
 まさしく”愚考”だと罵り、今すぐにその口を縫い付けてやりたいと何人が思っただろう。
 そして玉座の気配を伺いながらも必死に視線を逸らしている。

「小宗伯、それがどうして私に大公を持てという話になる?」

 女王……陽子は特に否定も肯定もせずに尋ねる。その内心にどんな思いがあるのかは伺わせない。
「恐れながら。大公をお迎えになることで公私共に今よりいっそうに充実した日々をお過ごし戴けるかと」
 何がどう充実するのか詳しく聞くことなど、恐ろしくて誰もできない。
「小……」
「小宗伯」
 不遜にも女王の言葉を遮ったのは玉座の隣に侍る景麒だった。
 場は物音一つせず、息遣いさえ聞こえない。誰もが凍り付いている。
 何故主上は伏礼を廃止してしまったのだろうか……伏礼さえしていれば、眼前の恐ろしいものを目にすることは無かったのに。
 笑みを浮かべながらも『殺』の文字が背後に浮かんでいる景麒を。
 その景麒を目に入れながらも台輔に話しかけられた喜びを浮かべている小宗伯の鈍さが羨ましい。
 きっと彼は死ぬまで気づかないだろう。
 景麒の逆鱗に触れたことに。
「主上にそのようなものは必要無い」
「しか……」
「そのようなものが無くとも、主上は公私共に十分に充実されている」
 公には政務の間を縫って、お忍びで堯天に放浪できる程度には仕事のペースも掴んでいる。
 私?……王にそんなものがある訳が無い。
 ましてや景麒以上に王に近づく相手は、当の景麒が徹底排除してきた。
「主上を私的に支えるも麒麟の役目。俺が主上を満足させることが出来ておらぬと言いたいのか?」
「いっいえ……っそのような……!」
 多大な誤解を生みそうな言い回しである。

「確かに不満だな」

 ぴしっと凍り付いていた空間に亀裂が入った音がした……気がした。
「陽子……それはどういう意味だ?」
 景麒の申し訳程度の敬語が崩壊している。
「最近、お前は容赦が無い」
 ふ、と景麒の口元が綻ぶ。
「そうして欲しいと言ったのは陽子だろう?」
「確かに、そうだが……」
「手取り足取り、一から優しく導くほうが良いと?」
 現状を知らぬ者なら、主従の関係に邪推を抱かせるような会話が続く。
 しかし二人を……陽子を見ればわかる。そこに艶めいたものなど何一つ浮かんでいないことに。
「……お前に優しく導かれた覚えなど無いが?」
「それは心外だ。陽子の負担にならぬようにと、どれだけ俺が心砕いているか」
 そうでなければ、景麒はその執着のまま景麒以外の何者にも見せぬように陽子を閉じ込め、その目に自分以外の何者も映さないように囲い込んでいただろう。
「……やりたいようにやっているようにしか私には見えないんだが」
「そのように思われていたとは……」
 あたかも傷つきましたと言わんばかりの表情を浮かべるが、それを見る陽子は非常に胡散臭そうだ。

 ごほん。

 誰かの咳払いが聞こえ、陽子がはっと状況を思い出す。
 ついつい景麒につられてしまったが、ここは朝議の場である。
「あー、まあ景麒の言葉はともかく。私に大公を迎える気は今は無いと言っておく」
 今は、の部分に景麒は僅かに目を細めた。
 小宗伯もそれ以上は言葉を続けられず、引き下がった。




 そして、彼が二度と朝議に現れることは無かった。














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小宗伯の身に何が起こったんでしょうねー・・・(遠い目)