仮想戯話
Ver.慶国(尚隆)
「ちょっと黄海に行って来ようと思うのだが」 大丈夫かな?とあまりに日常の会話のように尋ねられて浩瀚は頷きそうになった。 まじまじと主の顔を見つめると特に変わった様子も無く首を傾げている。 「何をされにとお伺いしても?」 「ああ。私も自分の騎獣が欲しいと思ってな」 自分で捕まえてこようと思うのだと朗らかに告げられ、さすがの浩瀚も絶句した。 捕まえて来いと命令するのではなく自分で行くと言っているのだ、この王は。 常々思うことだが己の立場というのを本当に正しく理解してくれているのだろうか。 「主上、それは無理というものでございます」 「……やはり駄目か」 一応わかってはいたらしい。 「どうして騎獣が欲しいと思われたのですか?」 「景麒だって持っているだろう?私が出る時にはいつも禁軍の誰かの騎獣を借りなければならないのが心苦しくてな」 「それならば主上のための騎獣を用意させます」 「私の為にそんな手間も費用もかける必要は無い」 慶国の懐事情は未だ窮乏している。それを陽子も重々承知しているからこその言葉だった。 確かに王の権威に遜色の無い騎獣を用意しようとするのは費用がかかるだろう。しかし王のために掛けられる費用の全体からいえば雑費に等しい。 浩瀚が止めようとしているのはそればかりでは無い。むしろもう一つの理由のほうが大きい。 珍しく姿が見えないが景麒は非常に心が狭い。どのくらい狭いかと言えば主の傍に侍るのは自分だけで良いと公言する程度に心が狭い。困った麒麟なのだ。 「台輔は本日はどちらに?」 「景麒?……そう言えば朝見てから姿を見てないな」 異常である。 そう浩瀚が判断するほど景麒は陽子の傍に居る。 嫌な予感がした。 「もしや……台輔にも騎獣が欲しいと仰られましたか?」 「お前には騎獣が居て羨ましいとは言ったな」 勘の良い景麒のこと。王が何を考えているか察することは容易かっただろう。 「主上。くれぐれも早まった真似はなさいませんように」 「具体的にどういうことかな?」 楽しそうに浩瀚を伺ってくる。なかなか良い性格になりつつあるようだ……景麒の影響だろうか。 「お一人で黄海に赴かれようなどとは聡明な主上であればご考慮いただけるものと信じております」 「……わかった」 まだ諦めてはいないようだが、とりあえずは保留にしてもらえたらしい。 陽子の房室を辞した浩瀚がしたことは景麒の居場所を調べることだった。 一人で王を探しに虚海を渡ったことからもわかるが、なかなか行動派な麒麟なので行方を眩ませると見つからない。 今は王が王宮に居るので金波宮から外へは出ていないだろうと当たりをつける。 騎獣が欲しいと言い出した王を諦めさせるための布石を打つとしたら……夏官府か。 金波宮内の騎獣を管理しているのは夏官府だ。空行師の騎獣もこちらで管理している。 まして陽子が何かを言い出して真っ先に声を掛けるとすれば桓堆だ。 夏官府は血や争いを厭う麒麟があまり出入りする場所では無いのだが陽子が訓練と称して頻繁に出入りするため、傍を離れない景麒もよく姿を見せる。しかも景麒は麒麟とは思えないほどの剣の使い手だ。禁軍で剣の相手を乞うて未だに勝った者が居ると聞いていない。景麒が強すぎるのか禁軍の兵が弱すぎるのか……前者も後者も喜べることでは無い。 「浩瀚様?」 禁軍の桓?の房室に向かっていたところで当の本人に出会った。 浩瀚がこの金波宮の中で誰よりも忙しいことを知っている桓?は急用かと駆け寄る。 「何かありましたか?」 「それはこちらが聞きたい。台輔はこちらにいらしたか?」 「先ほどお越しになりましたが」 どうやら行き違いになったらしい。 「何か仰っていたか?」 「あー……騎獣のことを少々」 「具体的には」 「主上の騎獣は自分が用意するので、主上が何か言ってきた場合にはすぐに台輔に報告するようにと」 「ご自身で?」 はいと頷く桓?に浩瀚は少々考えこむ。 「何かあったんですか?」 「……主上がご自分の騎獣を欲しいと仰っている」 「ああ、なるほど。それで台輔がご自分で用意されると」 微笑ましそうに頷いている桓?とは違って、浩瀚の表情は厳しい。 「桓?。お前はまだ台輔のことがわかっていないようだな」 「は?」 「台輔が常々何と仰っているか知らぬ訳では無かろうに」 「それは、そうですが……だからこそご自身で用意すると仰っているのでは?」 「そうであれば良いがな」 疑問符を浮かべる桓?を放って浩瀚は再び陽子の房室に足を向けた。 途中冢宰府に寄って処理して貰う予定の書簡を抱えて。 陽子の房室にたどり着き、訪いの言葉をかけようとした浩瀚は険悪な空気に動きを止めた。 「何だと?」 「陽子に騎獣は必要無いと言っている」 剣を含んだ陽子に対して景麒はどこまでも淡々としている。 「私は欲しい。景麒だけ持っているなんて卑怯だ」 「何が卑怯なのか全く理解できんな。それから景麒では無く尚隆だ」 この期に及んでも修正する律儀さ。なかなか諦めが悪い。 「お前にはたまだけでなく使令まで居るのに、これが卑怯でなくて何が卑怯だ」 ふ、と景麒が笑った。 「確かに俺はたまと使令を所有している。だがそもそもの陽子の認識が間違っている」 「何が……」 「麒麟は王のもの。つまり俺は陽子のもの。その俺が持つものも陽子のもの。つまりたまも使令も陽子のものだ」 「な……景、尚隆は私のものじゃない。慶国のものだ」 「いいや。俺は陽子のものだ。俺がそう決めた」 陽子が絶句する。 「だから遠慮なくたまと言わず、俺を騎獣にすれば良い。どんな騎獣より優秀だと証明してやろう。遠慮なく……俺の上に乗れ」 「だ………誰がお前なんかに乗るかーっ!!」 どうして景麒が言うとこれほど卑猥に聞こえるのだろうか。 叫び声と笑い声を背中に浩瀚は冢宰府に足を戻すのだった。 |