仮想戯話

Ver.慶国(景麒が尚隆)


※ 尚隆が景麒です。延王が景麒になっています。





 生まれた時からそれは異質だった。
 黒い鬣、黒い瞳、好戦的な資質。
 聖獣なる麒麟と呼ばれる生き物とはおよそかけ離れていた。
 だが蓬山の主は言う、是真也と。

 

 ◆


 朝食の席、陽子と景麒は顔を合わせる。通常麒麟という生き物は生臭を嫌うため食事の席を共にしたりしないのだが、この景麒だけは別である。麒麟の別枠。彼は普通に肉も魚も口にする。曰く、旨いものを食べて何が悪い。
 そんな生臭麒麟は本日も嬉々として陽子と向かい合って朝食をとっていた。
 今日も朝から陽子は愛らしい。小さな口を動かして食べる様は小鳥のようで手ずからその口へと運びたくなってくる。
 そんな不穏な景麒……尚隆の心の内などもちろん陽子には聞こえない。だからこそ平和に食事をとっていられる。
「私ばかり見てないで尚隆もさっさと食べてくれ」
「主上を愛でるのも俺の食事の一環だが?」
「……。……」
 陽子はそっと視線をそらした。控えている侍女たちはにこにこと嬉しそうにほほ笑むばかりで助けてはくれない。
 わかっている。これは陽子に与えられた試練なのだ。もう慣れたけれど、居心地がいいとは決して言えない。
 はあ、ため息をご飯と共に飲み込む。
 あまり好みを口にしない尚隆だが、おそらく食べることが好きなのだろう。陽子を見ていない時には静かに、しかし確実に箸が動いて食べ物を消費していく。その姿を見ていた陽子は以前から気になっていたことを聞いてみた。
「麒麟だから難しいっていうのは知っているけど、その髪。邪魔にならないか?」
 転変するときに悲劇が起こるため髪を結ったりできないため、そのまま背中に流しているのだが時折、肩から前方へ滑り落ちてきている。食事をするのに邪魔そうだ。食事の時ぐらい後ろに結んでしまえばいいのに。
「特には……まあ、慣れている」
「ふーん、邪魔なら結んであげようか?」
 ぐわっと景麒の目が見開いた。爛々と輝く。
「主上……陽子が手ずから?」
「あ、ああ。そうだが?」
 予想外の景麒尚隆の反応に余計なことを言ってしまった気がする。
 だが口にしてしまったことを今さら撤回することもできない。
「その、嫌だったら別に……」
「陽子がすることに嫌なことなど何も無い。今から?」
「は?」
「今すぐにして貰えるのか?」
「いや、今は手元に結ぶものが……」
 無いから無理だけれど……と言おうとした陽子に控えていた侍女からそっと組紐が差し出された。
 どこに準備していたのか。その準備万端具合に陽子の顔が引きつる。
「え、と……じゃ、これで結ぶけど」
「ああ、構わない」
 さあどこからでもどうぞと言わんばかりに景麒尚隆は楽しそうだ。仕方ないので陽子も覚悟を決めた。
 立ち上がった陽子は尚隆の背後にまわる。
「主上、こちらをお使いください」
 そっと櫛を差し出される。本当に嫌になるほど準備が良い。
「じゃあ……失礼します」
 何となく丁寧な言葉遣いになって陽子は尚隆の髪に触れた。
 自分ではない誰かの髪に触れる……考えればそれは初めての経験だった。
「私はお前の黒髪が羨ましいよ。黒は私の憧れの色だから」
「異なことを言う。陽子の朱色の髪ほど鮮やかで美しいものは無い」
 命の色だと尚隆は思う。
「……そうか」
「ああ、俺の最も愛する色だ」
「……。……」
 侍女たちの声なき悲鳴が聞こえる。この主従のやり取りをそっと見守ることができるのが彼女たちの役得だ。
「もっとも俺が愛するのは髪だけでなく、陽子自身、その存在全てが俺にとっては愛しいのだが」
「……もうわかったから少し黙っていてくれ」
 冗談なのか、本気なのか。返答に困ることを垂れ流す尚隆の口を止めた。
「御意」
 にっと口角を上げた尚隆は髪を梳く陽子の感触に目を閉じた。
 今は侍女たちが陽子の髪も全て整えて結ってしまうので触ることが無いが、蓬莱に居た頃には全て自分でしていた。
 それを思い出しながらサイドを編み込み、後ろの首のやや下あたりで組紐で纏めた。
 出来上がりを少し離れて観察する。侍女たちにも視線をやるとよしよし問題なしと頷いてくれている。
「できたよ、尚隆」
「そうか」
 すると侍女が鏡を持ってきて景麒の前で見えるようにセットする。有能すぎる。
「ほう、陽子はなかなか器用なのだな」
「器用と言うほどのものでは無い。だいたい私は基本的には不器用だ」
 そう言いながら食事の続きをするべく陽子は席に戻る。
「なあ、陽子」
「何だ?」
「また髪を結ってくれるか?」
「別に私じゃなくても……」
 それが気に入ったら侍女にでもして貰えばいい。
「俺は陽子にして貰いたい。なあ、主上。駄目か?」
 こんな時ばかり何故そんなに縋りそうな目をするのか。いつも傲岸不遜を体現しているくせに。
「駄目ではないが……まあ、時間があれば」
「そうか」
「そうだ」
 

 その日は一日、景麒のご機嫌が麗しかったと陽子は感謝された。