仮想戯話

Ver.慶国(景麒が尚隆)










 赤楽9年




 爽やかな初夏の日差しが庭院へ降り注いでいた。
 その庭院にある四阿で蹲っているのはこの慶国の唯一人の王、赤子である。
 最も王のその名を口にすることを許されるものなどほとんどおらず、許されている者もその名を使うことはない。
 さて、このような場所に一人蹲るなどただ事では無い。
 著しくこの女王に執着している景麒に知られればとんでも無いことになるのでは無いか。
 しかし珍しくも女王の傍に景麒の姿が無かった。

「うぅ……もう、つか、れた」

 その女王から何か言葉が漏れた。
 僅かに持ち上がった顔から除く目が死んでいる。
「こんなことなら、仕事漬けのほうが、まし、だ」
 女官たちに朝から囲まれ漸くここまで逃走してきた。彼女たちは何も悪く無い。ただ彼女たちは自分たちの仕事を忠実にこなしているだけ。陽子も仕方がないことだとわかっている。
 それでも苦手なものは苦手なのだ。
 簪は重くて頭が傾く。大裘は何枚も布を重ねて動きが制限される。
 ただそこに、座って居るだけでいいのだと。それが役目だと。
「そんなの……嫌、だ」
 自分は飾り物では無い。檀の上のお雛様ではない。そんなものにはなれない。


「何が嫌なのだ?」


「っ!?」
 頭上からかかった声に陽子は伏せていた顔を上げた。そこには予想通りの存在が在る。
 穏やかに笑う景麒――尚隆だ。
「けい、き……」
「尚隆と呼べ」
 麒麟に非ざる全身漆黒の衣に見を包む姿は官吏たちの畏怖の象徴だ。
 王が第一なのは麒麟の性とはいえ、ここまで『王(陽子)が第一。他は無し』と有言実行するのはこの景麒くらいだ。
「お前を悩ませるものなど俺が全て処理しよう」
 にこやかに笑いながら物騒なことを言う景麒に顔が引きつる。
 ここで答えを間違えると酷いことになることは短くない付き合いで身に染みている。
「本日は陽子は確か、儀式のための衣装を誂えているのでは無かったか?そこで心無い言葉でも掛けられたか?もしくは衣装が気に入らなかったか?それならば……」
「ま、待て!!」
 すぐに何処かへ行こうとする景麒の衣の袖を寸でで掴んだ。
「心無い言葉など掛けられていない!それに衣装は……その、もともと私は堅苦しい恰好は好きでは無いから」
 それが気に入らないと表現するならばその通りではある。しかしそれが決まり事であるならば我慢するしか無いではないか。
「確かに陽子の大裘姿は少しばかり華やかさに欠けるな」
「……」
 気に入らない理由は断じてそこでは無い。むしろもっと貧相にして欲しい。
「けれど……式典の衣装とはそういうものだろう。私だってわかっている」
「いや、別に陽子が嫌だと言うのならば着なくても構わんぞ」
「え……」
「しかし、裸という訳にもいかぬしなあ」
「はっ……当たり前だろ!!」
 それではただの痴女である。第一陽子の裸なんて見ても誰も楽しくない。
「もちろん、陽子の肌を見ることを許されるのは俺だけだ」
「お前にも許してない」
「つれないことを……だが、どうしたものか。陽子はどうしたい?」
「私は……」
 自分の望みはいつも押し込めてきた。こちらの世界にきてそれを吐き出しても良いのだと徐々に慣れてきたとはいえ、すぐには口に出せない。何しろこの目の前の麒麟は陽子の望みとあら権力腕力、麒麟力(と言ってよいのか?)使えるものならば何でも使って叶えようとする。その被害は甚大で危険すぎて逆によく考えるようになった。
 目の前の景麒を見る。
「そういえば、景麒はあまり着飾らないな?」
 式典でもわりと簡素な、いつもと同じような恰好をしている。
「ごてごてと着飾っては転変した時に困る」
「ああ、確かに」
 大量の布に埋もれて出てこられない景麒を想像して陽子の口元に笑みが浮かんだ。
「王の衣装など権威を示すための象徴に過ぎぬ。俺が傍に侍るのは陽子のみ。ならば陽子がどのような恰好をするかなど、自由にすれば良い。それで侮るならば俺が相手をするまで」
 この景麒は本気でそうするだろう。簡単に想像できてしまう。いや、想像どころか実際にそうしているのを過去に何度も目にしてきた。そのたびに苦労したのは陽子だ。
 
 あれ?

 楽にしようとしているのに、最終的に苦労するのは陽子なのか。
 理不尽すぎる。
「はあ……」
 知らずため息の一つも漏れるというところだ。
「陽子?」
 官吏からも侮られず、陽子も楽ができる衣装。
 そんなものがあるだろうか。
 陽子は目の前に立つ景麒の姿を上から下まで眺めた。真っ黒だ。威圧感がある。幼子ならばすぐさま泣き出す恐ろしさだ。この姿を見て安心するなんていう酔狂な輩は陽子くらいだろう。
「いっそのこと尚隆と同じ格好に……いや主従揃って真っ黒なのはダメか」
 ふと陽子の口から零れ落ちた言葉に景麒の目が光った。
「陽子と俺がお揃いか。それはいい」
「え?」
「よし、早速手配する」
「えっいやっ」
 今度こそ陽子の静止は間に合わず景麒は駆け出して行った。



 その結果が今、である。
 幸いにも真っ黒では無かった。いや、幸いなのか。全然幸いしていない。
 玉座の脇に立つ景麒は確かに真っ黒だ。通常仕様。問題は陽子。デザインは景麒とほぼお揃いとなっている。大裘より遥かに動きやすい。それはいい。とてもいい。
 けれど。

 け れ ど。

「純白は無いだろ……白は」
 離れたところに居る官吏には聞こえない小声で陽子は呟いた。
 陽子とお揃いという言葉に触発された景麒尚隆が作成させたのは純白の衣装だった。最上級の絹糸だけを使いアクセントに銀糸を織り込んでいる。帯だけは景麒と同じ漆黒で同じ素材を利用している。
 二人並べは白と黒。驚きのモノトーンコンビの出来上がりだ。
 陽子の燃えるような朱髪と宝石の如き碧眼が強調される。
 出来上がりに景麒は満足し、陽子は現実逃避した。
 そして心に誓ったのだ。


 もう二度と軽はずみなことは言わない、と。




















礼装だから白は無いでしょうけどね。
尚隆の趣味全開で。