朱夏
‐しゅか‐
後日談 ある男の悩み
【ATTENTION!!】
夏コミ発行『朱夏』の後日談です。
以上。
忘れるな――― その言葉が蘇る。 毎朝、目を開けて動き出して顔を洗う。その瞬間に嫌でも目に入る。 「……まだ慣れないな」 呟いて視線を反らすが、指の感触は消えない。 嫌なら外してしまえばいい。別に四六時中つけておけと言われたわけでは無いのだから。 そう思って外そうとするのだが、どうしても踏み切れない。 「これも、あの人の策なのか」 してやったりと笑う姿が思い浮かんで眉根が寄った。 男は悩んでいた。 朝の明るい陽射しが差し込むダイニングでテーブルにはメイドが美味しそうなパンを運んでくる。 焼きたてのパンは小麦の香しい匂いを漂わせている。しかし今朝ばかりはその香りを楽しむ余裕も無かった。 「ご気分が優れないようですが如何なさいましたかな?」 初老の己の執事に声を掛けられて男は下げていた視線を上げた。 その顔は年齢不詳で若くも見えれば壮年にも見える。切れ長の目が憂いを帯びていた。 「遠甫……私は陽子が可愛い」 今更言われてなくてもわかっているが執事の遠甫は何も言わなかった。ただ主の話を聞いている。遠甫の主である陽子の父、螺架との付き合いも長い。この程度でいちいちツッコミはしないのだ。動揺の一つもせず、紅茶を用意する。 「最近ますます綺麗になって、父としては嬉しいやら心配やら。いつかは私では無く誰か別の男に守られるようになるとわかってはいるが、その日など永遠に来なければよいと。父としてあってはならぬことを考えてしまう。しかし、だ。陽子が産む子を見たいという欲も生まれてしまった」 結婚という話が現実味を帯びてきてその先を想像してしまったらしい。 「陽子が産む子は、とても可愛いだろうね」 「さようでございましょうな」 「女の子だろうか、男の子だろうか……どちらでも構わないが、じぃじと呼んで貰おうか。おじいちゃま?どちらも可愛くて捨てがたいな。髪の色は陽子とおそろいの赤い髪、瞳も陽子と同じ翡翠色……よちよち歩きでこけて怪我をしてはならないね。護衛は何人つけようか。今動けるのは何人いるかな、遠甫」 妄想の中の孫はすでに螺架の中では存在することになっている。今から確認してどうするのか。 「幼い子の護衛とならば、今すぐに召喚できるのは二人か三人でしょう」 「そう……少ないな」 「時間をいただき新しく探しましょう」 「そうだね。可愛い子を守るのに護衛は多ければ多いほど良いだろうから」 うんうんと螺架は頷く。 「要りませんから」 それをぶった切ったのは陽子だった。 「やあ、おはよう。陽子」 「おはようございます、陽子様」 もちろん陽子が現れたことには気づいていた二人だが、気づかないふりで孫について話していたのだ。 「……おはようございます」 父親に何か言っても勝てるはずが無いのでため息を呑み込んで挨拶した。 陽子付の執事である景麒が相変わらずの無表情で陽子の椅子を引く。その椅子に座るとメイドが朝食を運んでくる。 「陽子は不要と言うが、やはり護衛は必要だよ?」 「要りませんから。だいたい存在もしない私の子供にどうやって護衛をつけるんですか」 「いや、存在はしている。陽子の中に未来の私の孫は居るはずだ」 「……。……」 存在したとしても卵子だ。卵子でさえないかもしれない。 「だから今より陽子の護衛を増やすことも考えなければ」 「え……今 よ り?」 今より、とはどういうことだ。今も陽子に護衛がついているなど聞いたことが無い。まさか本当についているのか。そんな話は聞いたことが無い。 「うんうん、陽子は気にしなくていいよ」 螺架は笑って誤魔化そうとしている。 「いや、気になるでしょう!」 「今日のお味噌汁は出汁がいつもと違うのかな。これも美味しくて好きだよ」 露骨に話を変えてくる。 「父様……景麒、私に護衛がついているのか?」 「私は存じ上げません」 父親では埒が明かないと景麒に尋ねるが役に立たない。 「それでは、遠甫。頼んだよ」 「畏まりました」 「父様!遠甫!」 話を進めようとする父親と遠甫に抗議する陽子の肩を景麒が叩いた。 「何だ景麒、私は今っ」 「陽子様、予定に遅れます。朝食をとって下さい」 いつでもどこでもマイペースで真面目な景麒は己の主の護衛のことより予定のことが気になるらしい。 「……わかっている!」 文句が口をついて出そうになるのをぐっと我慢してパンを口に運ぶ。 そんな不完全燃焼な陽子に螺架が優しい眼差しを向けた。 「陽子」 「はい?」 「子供は何人でも構わないからね」 「気が早すぎます!」 陽子は顔を真っ赤に染めて叫んだ。 |
前回と話が飛んでおりますが
夏コミ新刊で出したものの後日談です。
1の続きは同人誌にてお願いします。