朱夏
‐しゅか‐
春宵
【ATTENTION!!】
とってもパラレルです。
以上。
ある日のこと。 小松尚隆は呼び出されてあるホテルのカフェに居た。 この国でも有数の高級なそのホテルにあるカフェには巷にあふれるような騒がしい女子はおらず世間話に興ずるような主婦も居ない。仕事の打ち合わせをしているビジネスマンや静かに微笑みながら言葉をかわす上流階級のご婦人が居るばかり。 つまり。 尚隆は少しばかり居心地の悪い気分を感じていた。 己も名家である小松家の当主であるはずが生まれ持った生来の気質かこのような「お上品」な場所は苦手としていた。 普通なら仕事でもないのにこんな場所に来ることはない。 しかし呼び出した相手は尚隆にとって特別な相手であり、その相手の立場から考えると妥当な場所と言える。 「お待たせしました。小松先生」 そんな据わりの悪い気持ちを抱える尚隆に声を掛けたのはひと際目立つ鮮やかな朱色の髪をハーフアップにした美少女だった。服装も上品な紺のミディドレスで肩まわりがレースになっているのが軽やかさを演出している。 「先生はやめろ。お前はもう俺の生徒では無かろう」 「すみません、癖で」 苦笑した相手を尚隆は立ち上がり椅子に座るようにエスコートする。苦手としていてもこのくらいはこなすのだ。 近づいてきた給仕に手早く注文をして美少女……陽子は苦笑した。 「似合わないのはわかっているので、まじまじ見ないでいただけますか?」 「何を言う。似合っている。そういう年相応な姿を見られて眼福だ」 にやにやと一歩間違えるとオヤジ丸出しな台詞に陽子はやれやれと首を振った。 「私はいつものパンツスーツで良いと言ったのだけれど鈴や祥瓊が許してくれなくて」 「俺にとっては幸いだったな」 「そうですか」 いつものやり取りを終えたところで陽子の前に紅茶が運ばれてきた。 それを陽子が口にするのを確認して、尚隆は切り出した。 「それで今日はどうした?お前から呼び出すとは珍しい」 用が無ければ尚隆のことなど忘れているような陽子だ。薄情者である。 「そう、ですね」 陽子はカップを静かに置き、少し言い難そうな雰囲気を出す。 こういう時は決まって厄介ごとを抱えていることは過去の付き合いからしてわかりすぎている。しかしそれを一人で抱え込まずに尚隆に話を持ってきたところは少しは周囲を見ることを覚えたのか。ほんの少し前まで教師と生徒という立場であったからか教え子の青鳥を見る気分になる。 そんなどこかほのぼのした気分を感じていられたのはそこまでだった。 「実は……」 陽子はおずおずと、しかし直球で尚隆を打ち抜いた。 「婚約を破棄していただきたいと思います」 尚隆の笑みが固まり、周囲に沈黙が落ちる。 緩やかなクラシックのピアノ曲が流れるばかりだ。 幸いだったのは客席と客席の幅が広く、隣の会話など他の客にはまず聞こえないことだろうか。 「私も先ごろ成人し、庇護が必要な立場では無くなりました」 尚隆がどれほど衝撃を受けたかなど全く知らず陽子は話を続けた。 「前々からずっと考えていたのです。私みたいな小娘をその、貴方の婚約者などとしていただいて申しわけないと。貴方は頼まれたら嫌とは……まあ言うときもありますが、基本的には優しい人だから父に無理を言われて渋々頷いたのでしょう。私は頼りない世間知らずのただの小娘でしたから。今ももちろん頼りがいがあるとは言い難いとは思いますが成人したからには無闇に頼ってばかりいることはできない」 つまり自立の一歩として尚隆との婚約を破棄すると。 それが尚隆のためだろう、と。 何をどう考えたらそんな結論に至ったのか、陽子の表情からするに一縷の疑いもなくそう考えていると察せられた。 尚隆は思いもよらないカウンター攻撃から漸く立ち直り、静かに息を吐いた。 「俺との婚約を破棄して……誰か添いたい相手でもできたのか?」 「まさか。今の私にそんなものを考える余裕などないことはご存知でしょう?だいたい貴方と違って私にそんなことを言ってくれる相手などいません」 それは今まではお前が婚約者の居る身で俺がその相手だったからだ。尚隆がそう言っても本人は信じないだろう。驚くほど自己評価が低いから。 そうで無くばどれほどの有象無象が陽子に言い寄っていたことか。知らぬは本人ばかり。 本人が言ったように成人を迎えた陽子はまだ少し少女の香りを残し、大人の女の色香を身に着け始めている。今だって他の客から時折視線が飛んで来ている。妙なところで注目されることに慣れている陽子にとってそれはいつものことで気にすることでは無いのだろう。尚隆はむしろ気にしろと言いたい。無防備過ぎると。 「私というお荷物が無くなれば貴方も気兼ねなく相手を選べるでしょう」 「お前はいったい俺を何だと思っているのだ……」 まるで選り取り放題だと言わんばかり。尚隆とて成人したいい歳の男としてやることはやってきた。しかしそれは陽子という相手が居なかった時のこと。陽子と婚約してからは六太が腹を抱えて笑うほどに品行方正だ……と尚隆は主張する。 「何だと言われても……小松家の当主で零落していた小松家を立て直し、それどころか押しも押されぬこの国を代表する企業へと成長させた立役者では?」 「……」 とても世間一般な答えを貰った。確かに傍から見れば尚隆とはそのような人物なのだろう。しかしこれまで短くはない付き合いをしてきた陽子からその程度の回答しか貰えないというのは婚約者として情けなくは無いだろうか。 だが陽子の言葉には続きがあった。 「それに、自己にも他者にもとても厳しいですがいざという時にほど頼りがいがあり……安心して後ろを任せられる。頼まれると嫌そうにしながらも嫌とは言えない優しい人だ」 「……お前にだけだ」 尚隆に対して臆面もなく「お前は優しい」と言い切れるのは陽子だけだろう。未だに六太や利広からは「陽子にだけは特別扱い」と言われる所以だ。 婚約者を特別扱いして何が悪い。 そう、尚隆は誰かに頼まれたからと言って誰かの婚約者になるような男では無い。嫌なら嫌とはっきり断る。それができる男だ。 まだ十代の少女であった陽子と婚約したのは、頼まれたからではない。 犯罪だ、ロリコンだなどと口さがない中傷を受けながらも尚隆がそれをよしとしたからだ。 陽子を……一時たりとて誰かのものになった陽子の姿など見るのを厭ったから。 そんな相手からの婚約破棄の申し出。 お前は馬鹿か、と言ってやりたい尚隆だった。 ――― 手放してなど、やらん。 |
拍手を変わらずありがとうございます!
コメントもありがとうございます!いつもとても嬉しく読ませていたたいてます!
更新してよかった!としみじみ思います。ありがとうございます!
相変わらず超スローペースですが、ぼちぼち更新していきます。
そして夏コミが目前に・・・