■ 国破在山河 ■







 この300年ほどいつものように、お忍びというには公然とし過ぎる訪れをした延王に陽子はふと前々から
 気になっていたことを口にした。


「延王、単刀直入に伺いますが」
「何だ?」
「国を滅ぼしたい――― と思ったことはありますか?」
 他人には、ましてや臣下には絶対に聞かせられないだろう質問をした陽子に延王は面白そうに眉を上げた。
「いきなりどうした?」
「いきなりというか、実は前々から聞きたいとは思っていたのだが丁度いい機会がなくて。それでどうなのです?」
「そうだなぁ・・・あると言えばある。無いと言えば無い」
「・・・どちらです?」
 はぐらかされてはあげませんよ、と睨む陽子に延王は苦笑を浮かべた。
「何だ、滅ぼしたいとでも思ったか?」
「・・・いいえ、滅ぼさないようにと考えるばかりで、滅ぼしたいなどとは考えたこともありません」
「では、俺の意見など必要ないだろう?」
 試すような延王のものいいに、陽子は溜息をつき、少なくなっていた延王の湯呑に茶を注いだ。
 今日は浩瀚も景麒も視察に出ておらず、下女たちも退けているので必然的に延王のもてなしは陽子が
 することとなる。
「・・・国の興亡には節目があるのだと先日、利広に聞きました」
 その名に愁眉をひそめた延王には気づかず、陽子は続けた。
「最初の10年、それから30〜50年・・・そして三百年。我が国は丁度その節目にあたるわけです」
「そうだな、で?」
「つまり私にもその可能性があるわけです。だから王とはどういった判断で国を滅ぼしたいと思うものか聞いて
 みたいと思って・・・」
 すると延王がくつくつと笑い出した。
「延王?」
「案ずるな、陽子。お前なら大丈夫だ」
「・・・いったいその自信がどこから出てくるのか私には全くわかりませんが・・・」
「例えば・・・自殺を考えたことが無い人間に、自殺したいと思った心理を教えたとて真に理解できるわけが
 無かろう?そんなことはありえないと言うのが落ちだ」
「・・・それは、私には滅びを思う王の気持ちなど理解できないと?」
「だから、俺に聞いているのだろうが」
「ええ、まぁ・・」
 陽子は不服そうに顔を顰めた。
 三百年生きているというのに、この女王はそういう顔をすると驚くほどに稚い。
「理解する必要など無いのだ」
「?」
「国の滅びる訳は千差万別。どれも同じというわけでは無い。それぞれがそれぞれの理由で滅んでいくもの。
 教訓にするだけ無駄な話だ」
「・・・・・・」
「しかし、三百年も王朝をもたせておいて、まだそんなことを気にしているのか?」
「・・・八百年も生きてる方に言われると嫌味に聞こえます」
「俺も年をとったものだ」
 からっと笑って言った延王の、どこにも年寄りめいた風情は無い。
「・・・延王は全く、お変わりないようですね」
「それがコツだな」
「なるほど」
 

「恐れながら、主上。変わりが無いのと成長が無いのは違いますよ」


「・・・朱衡ッ!?」
 ぎょっとして振り向いた延王の後ろに、延国秋官長の朱衡がいつもの物静かな風情で立っていた。
「お前・・何故ここに・・・」
 間違いなくここは、慶国の金波宮のはず。自身の宮である玄英宮では無い。
「慶女王は真にお優しくておられる。主に恵まれぬ官のためにとお手をわざわざ割いていただきました」
「陽子、お前・・」
 陽子が困ったように笑い、延王に手をあわせた。
「すみません延王。どうしてもと頼まれて断れきれなかったんです。朱衡にはいつもお世話になっているから」
「俺の恩より、朱衡を取るか・・・裏切り者め」
「恐れながら、主上。慶王君を責められますはお門違いでございましょう。そもそも王宮を抜け出される主上が
 諸悪の根源なのですから」
「お前・・・」
 いつもより容赦ない朱衡の目は冷ややかに据わっていた。
 延王は思い出す・・・そういえばここ一ヶ月の間、まともに王宮に帰っていなかったことを。
「さぁ、主上。参りますよ・・・悧角」

 『―――はい』

「主上を逃さぬよう、きっちり王宮までお送りしてください。私は慶王君にご挨拶をしてから戻りますので」

 『―――かしこまりました」

「お前っ、悧角まで・・っ!」
 延王の文句を陽子は最後まで聞くことは出来なかった。
 遁甲していた悧角は延王の襟をくわえると高く空に飛び上がり・・・星となったからだ。
 ・・・使令に加えられて王宮に戻る王・・・あれだけは真似したくないな、と陽子は見送りながら思った。
「・・・・・・」
「慶王君にはお手助けいただきましたこと、延国官吏一同心より御礼申し上げます」
 朱衡は深々と陽子に向けて頭を下げた。
「・・・あまり、延王をいじめないでいただけると嬉しいな」
「これはこれは・・まことに慶王君はお優しいばかりでなく慈悲深い。あのような不良王に心遣いいただけるとは、
 我が主上には慶王君の爪の垢でも煎じて呑ませて差し上げたいものです」
「・・・・・・・」
 日頃、延王に容赦のない朱衡だったが、本日は更に容赦が無い。
「・・・・ご苦労様だな、朱衡」
 心から呟いた陽子に、朱衡も苦笑を浮かべた。
 他国の王君に労を値切られるなどそうは体験できるものでは無い。
「では、これにて失礼致します。ご政務をお邪魔し、申し訳ございませんでした」
「いや、気にするな。延王とお話できるのは私にとって楽しい時間の一つだし、朱衡にも久しぶりに会えて
 嬉しかったから」
「・・・・・ありがとうございます」
 礼を口にしながらも、絶対にこのことは主君には内緒にしておこうと心に決める朱衡である。
 調子に乗らせるときりが無いのが、己の主・・延王なのである。
「では、本当にこれにて失礼致します」
「ああ。またゆっくり遊びに来てくれ」
「・・・それは、主上に全てかかっておりますね。では」
 延王とは違い、人の通り道である廊下を通って去っていく。
 
「・・・・あれが、滅びないコツなのかもなぁ・・・」
 雁主従のやりとりに、陽子はくすりと笑った。







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