■ 玉樹後庭花 ■


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「そういうことだから、お前は明日から・・・いや、今日からでも後宮に移れ








 下界におりていた景麒は、突然の主の召還に何事があったのかと急いで金波宮に舞い戻った。
 だが、金波宮の様子は出かける時と全く変わった様子は無く、官吏たちも至って和やかに景麒へと挨拶して廊下を通り過ぎていく。
 景麒は、嫌な予感がした。
 今の主と共に過ごすこと300有余年。
 頑迷だと思っていた人間が、実は物知らずながらも誠実だと気づいて10年。しかし実の実のところ、かなりの破天荒な性格であることを悟って50年。しかしまだまだ甘かったと頭を抱えて100年。
 もはや自分の手に負えないと諦めの境地に到達してしばらく・・・・
 景麒の勘は、否応無く振り回されるうちに磨き磨き吹かれてそんじょそこらの玉など敵わぬほどにぴかぴかのてかてか、眩いほどだった。
 その景麒の勘が『マズイ』と警鐘を打ち鳴らしている。

         向かわぬほうが良いかもしれない・・・

 景麒の足が止まる。
 だが、そう思うのは些か遅かった。主の堂室はもう目と鼻の先である。
 今更引き返すことなどできようはずは無い。
 ・・・・気配に敏感な主のこと、すでに景麒の訪れには気づいているだろう。

 はぁ。

 景麒は憂鬱そうに溜息をついた。


 そして、顔を見せた早々、挨拶もそこそこに主・・・陽子は『お前を大公にすることにした。』とのたまいやがってくれたのだ。呆然とする景麒なんて何のその。
 何がどうして『そういうことだから』になるのか、全く不明のまま景麒は後宮行きを命じられた。


「主上!」


 いくら何でも無茶苦茶だ。景麒は悲鳴まじりの叫び声をあげた。
 仏頂面で鬼気迫る、とはなかなか器用である・・・と陽子は感心したとか。
 それはともかく。

「いったい、今度は何を始められたのです?私を大公などにするなど…とても正気の沙汰とは思えません!しかも、後宮へ移れとは・・・非常識にもほどがあります!」
「・・・私の非常識なんて今さらだろ・・・」
「主上っ!」
「わかったわかった。そう耳元で叫ぶな」
 顔をしかめてわざとらしく耳を塞ぐ。
「ともかく、もう浩瀚に準備はさせているから」


「はぁっ!?」


 また陽子のふざけた遊びの一つであろうと思っていた景麒は『浩瀚』の名前に目を見開いた。
 冢宰まで巻き込んでいるとなると・・・ただの悪戯ではすまない。
 だいたい、どうして冢宰は主上の暴挙を見過ごすどころか加担するようなことを!?
 景麒はくらりと眩暈がした。

「何だ。ただ肩書きが変わるだけだろ?どうせお前は私が死ぬまで傍に居ることには変わり無いんだし。寝食共にして300年。実質的に夫婦と似たようなものじゃないか」
「・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・」
 朗らかに笑う陽子に・・・景麒を襲う眩暈が強くなる。
 『本気で仰っているのか・・・ああ、きっと本気なのだろう・・・いっそ冗談であれば・・・・っ!!』
 苦悩する景麒に、陽子はにっこり笑った。
「では、反論も無いことだし。そういうことで」


「ちょ・・・っ!?」


 マズイ。
 このままでは本気でマズイ。普段のすかした面からは想像できないほど景麒は慌てふためいた。

「っ主上!私はお断り申し上げます!だ・・だいたいっ何故今更大公などと・・・っ」
 それは陽子とて同じだ。
 しかし言ったのが祥瓊であるならば、多少の無理は通さなければ・・・・・・後が恐ろしい。
 陽子は笑みを収め、鎮痛な表情を浮かべた。

「・・・・・わかった。どうしてもお前は大公は嫌だと言うのだな」
「嫌です」
 迷いなく言い切った相手に、陽子は少しむかっとした。
 ・・・己も似たようなことをしたくせに。
 だが、ここは我慢する。
「・・・お前の固い意志はわかった。ならば仕方ない。お前を大公にすることは諦めよう」
 景麒はほっとした。ほっとしたと同時に、あまりの引き際の良さが不安になる。
 良くも悪くも300年の付き合いである。お互いの性格はわかっている。

「仕方ない。こんな自国の恥を晒すことは私としても遺憾だが・・・・・六太君!

         何故にそこで延台輔の名が・・・


「やっほ〜。おひさ、景麒!」
 ぴょこり、と窓から顔を覗かせた隣国の麒麟は、相変わらず軽かった。
「延台輔・・・何度も申し上げるようですが、窓というのは風の通り道であって人が・・・」
 聞き飽きた説教に、六太は耳に指を突っ込んでへーへーとおざなりな返事をするのみ。
「景麒」
 その景麒の説教をとどめたのは、主である陽子だった。
 ・・・・嫌になるほど、明るい笑顔を浮かべている。
 景麒は渋面になった。

「お前が駄目だというのなら、六太君にお願いすることにした」
ば・・・っ
 目も口も盛大に広げた景麒の目の前で、陽子は六太に近寄り・・・抱き上げた。
「ね、六太君」
「な!陽子!」
 首を傾げて笑いあう。
 その様は、夫婦といより『姉弟』と言ったほうが百万倍ふさわしい。

「主上!そ・・そのようなことが許されるとお思いですか!?だいたい、延台輔は他国の麒麟!主上は慶国の王ですっ!お二人が仮初にとはいえ、夫婦などに・・・っ」
「別にいーじゃん。どうせ王は正式な結婚なんかしないんだからさ」
「そうそう、相手の戸籍なんて関係無いだろう?」
「・・・・・・・・・。・・・・・・・・・」

 そういう問題では無い。

「嬉しいな。陽子の大公になったらずっと傍に居られるな!」
「ええ。・・・でも、ちゃんと仕事もして下さいね?延王はともかく、朱衡たちに恨まれるのは嫌だから」
「えー。ま、仕方ないか。陽子と一緒になれんなら、俺、真面目になる!」
「六太君・・・っ」
 いやいやいやいや。
 感極まってる場合じゃないでしょ、主上!

「・・・・せん」

「「あ?」」




「私は絶対に認めませんっ!!」




 一息に言い切った景麒は、ぜはーっと肩で息をする。

「延台輔が主上の大公などと、冗談ではありませんっ!!」
「・・・本気だが?」
「もってのほかです!!」
「そんなことを言っても・・・お前は嫌だって言うし・・・」
 仕方ないだろう?と陽子が困惑した表情を浮かべる。
「そうそう。陽子はちゃんと俺が幸せにしてやるから。・・・この場合は蓬莱だとどう言うんだっけ?えーと・・・そうそう。

            娘さんを俺に下さい!・・でいいんだっけ?」



「お・・・・・・・」

 景麒の肩がぷるぷると震えている。










おとといきやがれっ!!!









 ・・・・と叫んだ景麒は興奮し過ぎて、気絶した。










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「全く。延台輔も主上も、台輔を揶揄うのもいい加減にして下さらないと」

 すわ失道か、と黄医が走り回るのを温かく見守って見送った(・・・いい加減この300年に何度もあったので慣れたらしい)陽子と延麒のもとに、この騒動の元凶である祥瓊が顔を出した。

「元はと言えば、祥瓊が悪いんだろう」
「あら。大元の元は主上よ。主上が男より男らしすぎるのが悪いんですから」
 そんなことを言われてもな、と自覚の無い陽子は茶菓子をぱくつく。
「わかるわかる。陽子はなぁ、カッコイイもんな!惚れるのもわかる!」
「さすが延台輔!」
 責めているわりに、主のことを誉められて祥瓊は嬉しそうだ。
 意気投合して、陽子がどれほどにカッコイイかを語りだした二人に陽子は遠い目になる。

「でもさ、だったら大公より寵姫とかのほうが良くないか?」
 六太の台詞にぶっと陽子は呑みかけの茶を吹き出した。
「ええ、それは私も考えました。・・・でもそうすると相手がねぇ・・・下手をすると金波宮は阿鼻叫喚、流血の惨事になりかねませんもの・・・・女官たちの」
 冗談にならないところが、恐ろしい。
「んなもん、誰もが認める相手ならいいじゃんか」
「・・・誰もが?」
 そんな人が居ただろうか、と陽子と祥瓊が首を傾げるのに六太はにっと笑った。


「目の前に居るじゃん」


 陽子と祥瓊は、一瞬沈黙し・・・・・・・・・・ぽんと手を打った。












 数日後。
 袖を噛み締め、滂沱の涙を流しながら金波宮を去る女官が続出したとか・・・








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何故、続いているのか・・・それが最大の謎(爆)