● 女王陛下の遊覧 ●
その日、陽子はかねてからの計画を実行に移そうとしていた。 『・・・主上、本当によろしいのですか?』 姿の見えない使令の伺うような声が陽子にかかる。 「大丈夫」 なぜそれほど自信ありげに頷くのか・・・。 「班渠、失敗するなよ。・・ああ、見えて気配に敏いからな」 『・・・御意』 ため息まじりに使令は答えたのだった。 慶国、赤楽70年の春。 国もだいぶ落ち着きを取り戻し、街には他国に逃れていた人々の姿が溢れている。 こちらのことはまるでわからなかった陽子も、知らないことはまだまだ多くはあったが、だいぶ慣れてきていた。 それはいい意味では余裕が出てきたともいい、悪い意味では余計なことまで思いつくようになった・・とも言える。 もともと責任感が強く、真面目な陽子であるから延王ほど奔放に王宮を飛び出すことは無いが、家臣たちの目を 盗んで下界に赴いたことは一度や二度では足らない。堅苦しい景麒などはそのたびに眉間にしわを寄せている。 しかし側近たちもあまり強くそれを止め立てすることも出来ないでいた。 陽子は決して遊ぶために下界におりているわけでは無い。民の暮らしを肌で感じ、政策がうまく活用されている か、災いとはなっていないか自身の目で見るために下界におりているのだと皆、知っていたからだ。 「失礼いたします、主上」 「入ってくれ、浩瀚」 書類に目を通していた陽子は外からかかった声に応じた。 「・・・お呼びと伺い参りましたが。何かございましたか?」 有能な慶国冢宰、浩瀚は満面に笑みをはいた主に、わずかに驚きつつも会釈をして入ってくる。 「うん、ちょっとね・・・・・・班渠!」 「は?」 『・・・どうぞ、お許し下さい』 いったい何が・・と浮かんだ疑問が解決されることなく、一瞬後・・・浩瀚は強い衝撃を受けて気を失った。 「・・・すまないな、浩瀚。それじゃ、冗祐。よろしく頼む」 『・・・・は』 短く応えをかえした冗祐は、陽子では無く、気を失った浩瀚の中へと入っていった。 これからいったい何が始まるのか。 知っているのは、陽子と使令ばかりなり。 「浩瀚、・・・浩瀚っ!」 自分を呼ぶ声に目覚めた浩瀚は、浮かびはじめた輪郭にとまどう。 「浩瀚・・・良かった。強く殴りすぎたかと心配したぞ」 「・・・殴る?」 眉をしかめた浩瀚は、後頭部に痛みを感じて手を当てた。 ・・・大きな瘤が出来ている。 いったい何が・・・? 浩瀚は状況を把握しようと、すさまじい勢いで記憶を探り思考をめぐらせる。 そして、主に呼び出され・・・・た後の記憶が無いことに気が付いた。 しかも目に映る光景からして、ここは呼び出された主の堂室では無い。 「・・・恐れながら、主上・・・私はいったい・・・?」 「大丈夫か?身を起こすのがつらいようなら、もう少し横になっていたほうがいいが・・・」 「いえ、大丈夫です。それよりも・・・」 「ああ、ここは堯天の妓楼だ」 「ぎょうてん」の「ぎろう」・・・。 すぐさまその単語が変換されず、浩瀚の頭の中をめぐる。 「・・・・・・・・。・・・・・っ!!」 ぎょっとして目を見開いた浩瀚は、無邪気に笑っている主の腕をつかんだ。 「主上!!いったい・・・いったい、どういうことなのか、ご説明くださいますね・・・?」 「もちろんだ」 浩瀚の据わった目にひるむことなく陽子は頷いた。 「実はな・・・」 悪戯がまんまと成功した童子のように無邪気に笑いながら陽子は事情を説明しはじめた。 それによると、陽子は日頃働きすぎて宮殿から自邸へ帰ることもままならぬ冢宰のために今回のことを計画 したらしい。 (浩瀚は、そんな計画を考える時間があるのならばもっと他に活用してほしいと思ったが) だが、そう簡単に浩瀚が陽子の計画に乗るはずもなく、今度はいつになるかわからない。 それならいっそのこと、と・・・班渠に浩瀚を襲わせた、らしい。そして気を失った浩瀚に冗祐をとりつかせて 着替えさせた。 ―――とんでもない主である。 景麒に知れたら大目玉だろう。 あらかた事情を聞き終えた浩瀚は、特大のため息をつくと、どうしてもあと一つ聞きたいことを口にした。 「しかしながら、主上。・・・何も妓楼でなくとも構わなかったのでは」 「他に気絶している人間を寝かせられる場所を知らなかったし、ここは馴染みだから」 「・・・・・・。・・・・・・は?」 「いつだったか、延王に教えていただいた場所なのだ。泊まるだけならばそこらの宿屋より安いし、ご飯も美味しい」 そういう問題では無い。 女王が妓楼を馴染みの宿にしているなど・・・・。 「景麒には内緒だけど」 「・・・懸命なご処置でしょう」 もはや小言を言う気力さえなかった。 ここまで来たら腹をくくるしかない。 浩瀚は陽子と共に堯天の街を歩いていた。 街は郊祀を控えて、いつも以上に賑わい、多くの店が建ち並んでいた。 「即位したばかりの頃は、祭りどころじゃないと・・人通りも無く寂しかったのが嘘のようだ」 「左様・・・いえ、そうですね」 堅苦しい言葉遣いも今日ばかりは禁止だと命じられている。 浩瀚も主の言葉に昔を思い返した。 予王の後、景麒が選んだ王は女王だった。多くの民や臣下が、また女王かと何も期待せず溜息で玉座へ迎えた。 だが、王であるならばそれは天によって名君となる資質を持っていると判じられたからに他ならない。 正しき導きさえあれば男であろうと女であろうと良い王になるのだ。 この十二国において、始めから王である存在などいないのだから。 「私は・・・少しだけ安心している」 「?」 「誰よりも、私が王であることを疑っていたのが自分だから。・・・予王のように政をかえりみなくなるかもしれない。 民を苦しめるかもしれない。・・・ずっと不安だった。その不安が、余計に民たちに負担を強いて虎嘯たちには 迷惑をかけてしまった。浩瀚にも、身に覚えの無い罪をきせてしまい、すまないことをした」 「主・・陽子様、それはすでに済んだこと。私に頭を下げていただく必要はありません」 これまでの数十年幾度となくされたやりとりに、陽子も浩瀚も微苦笑を浮かべる。 「だから・・・民に笑顔があることが、私は安心する。そして、とても嬉しい」 陽子は目を細め、通り過ぎる民を見つめる。 「まだまだ至らないところも多くある。それでも民の笑顔を見るたびに、私は間違っていない・・まだ頑張れる。 そう思える。だから浩瀚・・・私は、誰よりも私を支えてきてくれたお前と、この堯天の街を歩いてみたかった」 「・・・・。・・・・」 浩瀚は言葉をなくす。 至上とも呼べる存在に、これほどの言葉を戴き、何を言えるというのだろう。 「これからも・・・できうる限り、末永く頼む」 「私も・・・長く、永久(とこしえ)に・・・どうぞ、お傍に」 二人の間に喧騒が消えた。 互いに見つめあい・・・しばらくして、どちらも笑みを浮かべた。 「さて、そろそろ帰るとするか」 「そうですね。・・・台輔がお待ち申し上げていると思いますよ」 「・・・・・。・・・・帰りたくないな・・・・」 うんざりとした表情を浮かべた陽子に、浩瀚は声をたてて笑い出したのだった。 ――― 王宮にて ――― 「・・・主上、いったいどちらにお出ましでございました・・・?」 班渠あたりから聞いて知っているだろうに、わざわざ聞いてくるのが景麒たるゆえんである。 昔の陽子なら、むっとして言い返しただろうが、70年も付き合っていればいい加減、対応の仕方も学習する。 「ちょっと下界にな。楽しかったぞ」 「・・・主上。常々申し上げておりますが」 「ああ。常々耳にしているよ」 「主上!」 「わかった、わかった!今度は景麒も一緒に行こう、な?」 「・・・・・・・・・。・・・・・・・・・」 否や、とは言えない所詮は王の下僕・・・その名を麒麟。 めっきり景麒のあしらいに慣れてしまった陽子に、使令たちは影でこっそり溜息をついたのだった。 |
70万HIT、あいか様のリクエストでした♪
リクエストありがとうございましたっ!
浩陽の堯天デート、というリクエストでしたが、出来上がってみると・・
メインは浩瀚が班渠に襲われたシーンだったような・・・・。・・・。
いや!まぁ・・その・・
お楽しみいただけましたら幸いですv