● 女王陛下の植物 ●







 蒼い穹(そら)を一筋の白い線が棚引いている。
 どこかの麒麟が駆けたのか別の何かか……それはわからない。
 ただ赤い髪をした少女の目にそれらは映っていなかった。
 彼女の視線はただ一つ。己の足元にあった。

「……芽が、出ている」

 ぽつりと零した呟きは感慨に満ちていた。
 まるで信じられない、奇跡が起きたと言わんばかりに。
 少女―― 陽子の足元には小さな緑の目が土から顔を出していた。
「雑草では、無いよな?芽、だよな?」
 それでも疑がり深く陽子は土に鼻がつきそうに寄せて数センチほどだけ土の上に姿を現したそれを睨みつけている。その眼光だけで「あ、やっぱりやめます」と芽が引っ込んでしまいそうだ。
「触ってみても、いいかな?幻じゃないよな?」
 植物が応えるわけは無いが他に聞く相手も居ない。
 よしっ。
 気合いを入れて伸ばした陽子の手は突然目の前に出てきた赤茶色の毛に留められた。
「驃騎?」

『お待ち下さい、主上』

「ん、どうした?」
 ひょっこり土の中から顔を出した驃騎に驚くこともなく陽子は首を傾げる。
 驃騎は陽子の手の先にある芽を見て、重々しく頷く。長年人間と共に居ると妖魔でも非常に人間っぽい。
『出来たばかりの新芽は非常に脆いと聞きます』
「そ、そうか、そうだろうな」
 陽子も頷く。
 何しろ顔を出している新芽は指先のひと関節程度の大きさしかない。
 驃騎が言う言葉も最もだと陽子も重々しく頷いた。
「そうか、それほど脆いのならば私が触って駄目にしてしまう可能性もあるな」
 伸ばそうとしていた手が引っ込められる。
『御意』
「私を止めてくれてありがとう。助かった」
『間に合い、何よりです』
「しかし、だがこれからどうするかな。水は今まで通りで良いんだろうか?それとも二日置きにするべきか?いや、むしろ水だけで良いのか?作物というのには水以外にも栄養が必要だと聞いたことがある」
 これまで作物の収穫の報告は聞いたことがあっても肥料がどうとか水をやる過程まで聞いたことは無かった。そこまで手を伸ばす余裕は陽子には無かったから。まあどこぞの国のように王自らが農業に精を出している国もあるにはあるが。それはそれ、これはこれ。
「私もまだまだということだな。ここは遠甫に聞くべきか」
 遠甫ならば知っていそうだ。困った時の陽子の知恵袋。
「他に必要なものがあれば手配しなければならないな」
 色々検討しながら陽子は新芽を見て頬を緩ませる。漸く陽子の手で育った初めての植物。
 そう、初めての。
 これまで陽子は手ずから新種の植物を路木に願って試しにと自ら植えてみたこともあったのだがどうしたものかどれも芽さえ出ることは無かった。隣に植えた祥瓊や鈴のものはきちんと芽が出て育ったのに。
 それを繰り返すこと数度。陽子は己の手が植物を育てることに絶望的に向いていないと悟った。
 けれども。
 だからこそ育てたいという願望はいつも持っていた。それがこの度、ついに実ったのだ!
 これを喜ばずして何を喜べという。
『主上。伺っても?』
「何だ?」
 嬉しい陽子は麗しい笑顔を惜しげも無く披露しながら驃騎に応える。
『主上は何を植えられたのでしょう?』
「ああ、言ってなかったか?私が植物を育てられないと聞いた延王が、これならば何をしなくても育つからと頂いたのだが……何ができるかはお楽しみにだそうだ」
『……。……左様でございますか』
 何を育てているのか知らないままに育てているのか。大丈夫なのか。
 いや、大丈夫では無いだろう。
 しかも延王からというのが否応にも不安を煽る。
 しかし聡明な使令である驃騎は不安を口にすることは無かった。
 何しろ健気に頑張っている陽子の姿を周囲は微笑ましく、温かく見守っている。そこに水を差すような真似ができるはずが無かった。




『台輔……』

 驃騎と班渠は景麒の前に呼び出されていた。
「主上が大変喜んでいらっしゃる。周囲の官も非常に仕事が捗っているようだ。くれぐれもその植物を枯らさぬように万難を排して育てるように」
 陽子が不機嫌だからと言って他に当たるようなことはしないが笑顔で三割増しに美人だと官吏の活力が違う。主上の姿を見ようとせっせと仕事に励んでいる。
『一つ、よろしいでしょうか?』
 そう言う驃騎に景麒は静かに頷く。
『主上に伺ったところ種は延王に頂いたものだと』
 横に並ぶ班渠が「えーマジかよ」みたいな顔をした。
「それは、私も聞いた。……非常に甚だ憂慮すべき点ではあるが今のところ通常の植物のようだと報告を受けている。ならば今のところは様子を見るべきだろうと浩瀚とも話している」
 たかが植物の種。されと延王からの種である。
 何が起こるかわからない。
「ゆえにお前たちにも面倒ではあるがしっかりと見張り、いや見守るように」

『『―― 御意』』

 それは俗に言う「貧乏くじ」じゃね?と思いつつ驃騎と班渠は頷いた。









 さて、育った植物は夜な夜な土の中から逃走して使令たちをやきもきさせたが朝には元の場所へと戻る。
 明らかに普通では無かったが、驃騎たちは『普通』の植物を知らなかった。

 元気に育つ植物を見て、女王陛下はご機嫌麗しかった。








私がサボテンさえ枯らした人間なので陽子も苦労していたら楽しいな、と。
きっと周りは全力でサポートするでしょう!(でも育たない/笑)