■ 逆鱗 ■
「陽子」 「はい?」 いつものように、・・・そうここ百年の間に、もはや習慣と化したかのように、慶国は金波宮に訪れた延王は 路亭にて陽子と共に、今年の新茶を楽しんでいた。 高価な玻璃の茶器に緑青の輝きが反射し、馥郁とした芳香を漂わせる。 ここ最近では、最高の出来に仕上がっている。どこの国に出しても恥ずかしくない、立派な産物である。 しかしながら、延王の顔色は優れなかった。 いつも磊落な延王がこのような表情を陽子だけでなく、浩瀚や景麒、女官たちも控えている中で浮かべるのは 至極、珍しいことである。 それほどの難事があっただろうか、と陽子は首を傾げた。 「――― 実はな」 「はい」 延王は、玻璃の茶器を小卓に置き、真面目な顔で陽子を射抜いた。 「俺は・・・」 ――――― お前が好きだ 「・・・・・・・・・。・・・・・・・・」 陽子は僅かに目を大きくしたものの、すぐに口元に微笑を浮かべる。 「延王、また何の冗談――・・・」 「俺は、本気だ」 「・・・・・・・。・・・・・・・それは、ありがとうございます」 好意を向けられて、嬉しくない人間は居ない。陽子は素直に受け取った。 陽子だって、延王のことは嫌いでは無い。だが、それは多くの者に向けるものと大差は無かったが。 問題は。 絶句している、その取り巻きたちである。 同じ席につくことを許されていた浩瀚と景麒は茶器を抱えたまま彫像のごとく固まり、せっせと給仕に勤しんで いた女官たちは、茶器を取り落とすことは何とか危うく逃れたものの、目を大きく見開き、自分の仕える主である 慶女王と、隣国の延王を凝視している。 「陽子、わかっておらぬな」 「??・・・何をですか?」 無邪気に陽子は首を傾げる。 「俺は、お前を・・・『女』として好いている、と言っている」 「・・・・・・・・。・・・・・・・・」 『主上ーーーッ!!』とどこかで、叫ぶ心の声がした。 王宮に長く勤めている女官の数人が気をきかせ、新入りを追い立てるように慌てて姿を消していく。 おそらく『この話』は恐ろしい勢いで、金波宮中に知れわたるだろう。 『主上と延王陛下は野合の仲であられるっ!』 ―――――― と。 そんな来るべき騒ぎのことなど知らず、延王を見つめたまま陽子はふぅと息を吐いた。 「・・・延王、今度はどのような賭けをされたのです?御身が甚だしく賭けに弱いことは600年以上生きてこられて 重々承知されているでしょうに・・・お相手は誰です?六太君ですか?」 「決め付けるでは無いか?俺の本心だと言っているだろうに」 陽子はやれやれと首を振る。 「百年の付き合いです・・・もしあなたが本気でそう思ってらっしゃるならば・・・」 「ならば?」 「こんなところで告白などされず、即座に既成事実をお作りになっているでしょう」 にっこりと笑って、とんでもない発言をされた延王はさすがに言葉を失った。 女官たちのように立ち去ることが出来ず居た堪れぬ思いをしていた浩瀚と景麒も唖然とした面持ちで自分たちの 主を眺めている。 「そうですよね?」 笑顔のまま、陽子は言葉を重ねる。 ・・・その目は、全く笑って居なかった。翡翠の瞳には、凄まじい覇気が宿っている・・・いや、怒気か。 「よ、陽子・・・」 「延王。私ですから、何とも思いませんけれど・・・他の女性に遊びでそのような戯言を囁くのはやめて下さいね。 そのような最低な行いは、同じ女として許せません。延王は美丈夫な方ですから、本気にされる女性もある ことでしょう。その方が哀れだ」 「・・・いや、その、陽子・・・」 600年の治世を誇る偉大なる(はず)の王は、しどろもどろに何かを言おうとするが陽子の咎めるような視線に すごすごと口を閉じる・・・・まるで形無し。 「お分かりいただけましたか?」 「・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・大いに」 「それは結構です」 陽子は美しい笑顔を浮かべた。 最強の笑顔だ、と浩瀚と景麒は恐れ戦きつつも、感動に胸を熱くした。 ・・・・ただ、ほんの少し。 延王が哀れに思ったのも確かだった。 「・・・・本当、お前・・・馬鹿だな」 自国に戻った延王は、自国の麒麟にしみじみと呟かれる。 「日頃の行いが悪いからそういうことになるんだぜ。しばらくは精進潔斎しろって!」 「・・・・・・。・・・・・・悪いのは俺か?全部俺が悪いのか?」 「・・・・・・・・。・・・・・・・・」 本気で落ち込んでいるらしい主の姿に、延麒は隣国の女王の逞しすぎる成長を思わずにはいられなかった。 |