絶体絶命
後編
「まずは、お一つどうぞ」 銚子を傾けられれば、普通の客ならば盃を取り受けるものだが、いくら待ってもそれを手に取ろうとしない楽俊に 胡蘭は首を傾げた。 「お酒はお嫌いですか?」 「いや、嫌いじゃないけど・・・おいら、やっぱこういうのが苦手なんで」 銚子が傾けられるのを押し戻して、楽俊は立ち上がった。 「おいら失礼します」 「え・・・・」 花娘が、ぽかんと楽俊を見上げた。 金のことは気にしなくて言い、存分に遊んで帰れ・・・と言われた楽俊の行動があまりに、非常識で・・・。 こんな上手い機会を自分から放り出す人間が居ることが信じられない。 「ぇ・・・あっ、お待ち下さい・・っ私がお気に召しませんのならば別の娘を連れて参りますから・・っ」 「誰が来たっておんなじだ。だいたいおいらは、こんなところ遊べる身分じゃ無し・・・風漢殿にはよろしく言っておいて下さい」 「そんな・・・困りますわ、何のおもてなしも出来ずお客様をお帰ししては妓楼の名折れ。明日からは顔もあげて歩けなくなりますわ」 胡蘭は袖を目元に当て、よよと崩れ落ちる。 「うーん・・・」 困り果てた顔で楽俊は頬をかいた。 胡蘭の言うことももっともだとは思うが、楽俊もここは引くことが出来ない。 「本当に、お姐さんにはすまないとは思うけど」 「誰か義理だてするお方がいらっしゃるのですか?」 「あ、いやそういうわけじゃ・・・」 無いのだが・・・楽俊の脳裏には浮ぶ一つの顔がある。 景王陽子。 楽俊を友人だと言いはってきかない、隣国の女王だった。 楽俊は陽子に、恋愛感情を抱いているわけでは無い。 放っておけない危なっかしさにはらはらさせられて、気の休まる暇を与えてくれない、友人だ。 だが、半獣としてこの世に生を受けた楽俊に、あそこまで堂々と迷い無く『友人だ』と言い切った初めての人間 でもあった。あのときは、笑って誤魔化したが・・・正直なところ泣き出しそうだった。 そう、たとえ楽俊が遊郭に通おうと、女を抱こうと、陽子の態度は変わらないだろう。 そうなんだ、楽俊もやるね・・・と笑い飛ばす姿さえ想像できる。 だが、自分が嫌だ。 妙なところで不器用で、まっすぐすぎる陽子に顔向けできなくなるようなことはしたくない。 ここで済し崩しに花娘を抱けば、楽俊は絶対にそれを気にせずにはいられない自信がある。 「・・・わかりました、楽俊様には大事に思う方がいらっしゃるのですね」 「は?」 沈黙していた楽俊に、何を思ったのか胡蘭が続ける。 「楽俊様にそこまで思われて、その方が本当に羨ましいですわ」 「え、いや・・・」 そういうわけでは無いのだけれど。 (・・・まぁ、いいか。同じようなことだもんな・・・) 『ちょ・・っ押さないで下さい・・っ』 「ん?」 べきっ。 ガタンッ!! 「・・っ楽俊にバレ・・・・・あ」 「あ・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 隣室に続く襖が倒れ、そこから姿を現した陽子と延王は気まずそうな顔をして、目が点になった楽俊に、誤魔化す ように笑いかける。 「や、やぁ・・楽俊」 「よぉ、楽しんでる・・・か?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・陽子、風漢殿」 普段穏やかな、滅多なことでは怒らない楽俊の目が細まり、二人の名前を呼ぶ声はどこまでも低い。 「あ、いや・・これは風漢殿が・・・っ」 「お前こそ面白そうにしていたでは無いか・・っ」 「へぇ・・・」 互いに罪をなすりつけようとした王二人は、固まる。 「ら・・・・ら、楽俊、何だか顔が怖い・・ぞ?」 「いや、まぁ何だ・・・」 しどろもどろに言い訳しようとする二人に無言で近づいた楽俊は、言葉もなく静かに見下ろす。 その顔に浮ぶのは、うっすらとした微笑で。 かなり恐ろしい。 絶体絶命だ、と王二人は思った。 |
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楽俊が陽子に抱いているのは、恋愛感情では無いのですが
でもただの友情でも無いと思うのです。
うちの楽俊は、たぶん陽子のためだったら命かけますね。