■ 遊楽歳歳 ■
「やぁ、楽俊!」 声を掛けられた楽俊は、そこにあってはならない存在を確認し、飲んでいた茶を盛大に吹き出した。 雁の首都、関弓。 活気溢れた賑わいをみせるこの街の、流行っているのかいないのか、微妙な入りの茶店。 安いということで学生に人気のそこへ、楽俊は誘われるままにやって来ていた。 昼日中から酒を飲むのもと、茶と菓子を一皿頼み、大学の友人である鳴賢と埒も無いことを話していた。 大学は忙しい。勉学だけでなく弓射や乗馬までも允許を取らなければならない。殿上での礼儀作法に ついてもしっかり習得させられる。おちおち遊び暇なんて無いのだ。 そんな中で得られた短いが平和な休息の時。 ――― が、それも思いもよらぬ人物の登場であっけなく崩れ去ったのだ。 「よ、・・・よ、陽子っ!」 珍しく人型の楽俊は動揺して立ち上がり、湯呑みを見事に倒した。 「あ・・」 「――― 文張、お前・・・俺に何か恨みでもあるのか・・・?」 「いやっ!!」 楽俊の目の前に座っていた鳴賢は吹き出した茶を顔面に浴びた上に、湯呑みからこぼれた茶で目の前の 菓子も水びたしになっている・・・。 「す、すまねぇっ!!」 楽俊は必死で頭を下げる。 そんな楽俊の姿を元凶である陽子は挨拶の手を挙げたまま、気まずげに見ていたのだった・・・。 陽子と楽俊は大通りを並んで歩いていた。 「全く、何でこんなところに居るんだ?」 茶店では鳴賢を振り切るのに難儀した。 陽子の姿を見た鳴賢は興味津々で、『何だよ、あの美少年は!』と後で話すからという言質を取るまで 放してくれなかったのだ。 大きな吐息をつく楽俊に、さすがの陽子も申し訳なく思った。 「ごめん、楽俊・・・姿を見かけたから嬉しくなってつい」 「・・いいけどよ・・それより一人でどうしたんだ?」 「・・なんか妙な感じだな。いつもなら目線が下なのに見上げなくちゃいけない」 「・・・・・・」 「あ、それでどうしたんだって話だよね。一人で出歩いていたわけではなく、延王もご一緒だったんだ」 「・・・あの方も相変わらず」 思わず漏らす。 「それでつい、鈴たちにいいお土産になりそうな飾りを見つけたもので目をやっていたら、姿を見失って しまって・・・」 邪気なく陽子は経緯を話す。 「―――・・・つまり、お前・・・迷子になったんだな?」 「ああ、そうとも言うね」 「・・・・・」 そうとしか言わない・・・・楽俊は再度、大きな吐息をはいた。 「今日は延王がいらっしゃるからと使令をつけていなかったからはぐれてしまって、どうしようかと思っていた ところへ楽俊を見かけたからつい声をかけてしまった。一緒に居たのは友人だろう?邪魔をしてしまった」 「あいつなら気にすることねぇって。大学に帰れば嫌でも顔をあわせなくちゃなんねぇんだから。陽子の 方が大事だろ。・・しかし、王が一人でふらふらするもんじゃねぇぞ」 「ありがとう、楽俊。大学まで行くつもりだったんだけど、会えてよかった。・・でも、どうして今日は人型?」 「・・・おいらいつも半獣の格好でこっちの姿には慣れてねぇんだ。それで色々感覚が掴みにくくてな、慣れる 意味で今日一日はこれで過ごそうってことで出てきたんだ」 「そうか、大変だ・・・頑張ってるんだな、楽俊」 「そうでもねぇ。陽子だって頑張ってるだろ?・・・もっとも頑張りすぎて危ないことまでしてるようだが・・・あんまり 台輔に心配かけちゃ駄目だぞ」 乱に加わっていたことを言っているのだろう、陽子は苦笑した。 楽俊には内緒にしていたはずなのに、どこからか漏れているようだ。 「それより大学に来るつもりだって・・・何か用事があったのか?」 くすりと笑う陽子に楽俊はどきりとした。 髪の大変を布で覆い隠し、男物の衣服を違和感なく着こなしてはいるが、どこか男の持ち得ない艶が 滲み出る。目の毒だな、と視線を泳がせた。 「大学に用があったのではない。・・雁まで来たのだから、楽俊に会いたかった」 「あー・・そ、そうなの、か」 「うん」 楽俊の心臓はさらに早く脈打ちはじめる。 顔も何やら熱い・・・赤くなっているかもしれない。どうしてこんな時に限って人型をとっているのだろう。 鼠の姿なら毛が隠してくれただろうに・・・楽俊は悔やんだ。 「よ、陽子!延王とはぐれたんなら捜さなくちゃいけないだろう、な?おいら、用事をいただいたときによく 待ち合わせをする店があるんだ、そこへ行こう」 「そうだな」 照れを隠すために早口で言った楽俊に疑問を持つことなく、陽子は促された。 実のところ、延王との待ち合わせに使われる場所は二つあった。 これから陽子を案内するほうは普通の食堂だが、もう一方には緑の柱が立っている。さすがにそちらへ 陽子を案内することは楽俊には出来なかった――― たとえ陽子が気にしないと言っても。 「ところで陽子・・・まさか、いつもこんなことしてるわけじゃないだろうな」 「まさか、今日は延王に援助していただいていることでお話があって来たんだ。・・・もっとも今頃王宮では 官吏たちが騒いでいるかも。延王がお誘いなるものだから出てきてしまったけど」 「・・・・・・・」 『―― 延王は、こんなに街へ下りてこられて大丈夫なんですか?』 『ああ。慣れているからな。大丈夫だ』 そんな遣り取りがあったことを楽俊は思い出す。 ―― 官吏が慣れてしまうほど王が出奔しているのか、と呆れるやら感心するやら。 もしかして陽子もそんな風になってしまうのだろうか・・・とてつもなく不安だ。 「楽俊、大丈夫だよ。私は馬鹿だけれど、王宮を度々留守にするような余裕は無いし、しっかりと働かなければ ならないってわかってるから ――― 落ち着くまでは」 落ち着いたら飛び出すのか、と言いそうになった口を押しとどめ、楽俊は頷いた。 どうにもおかしい・・・普通、王というのは王宮の奥深くにいて市井になど下りてくることなどありえない。 それが何故か知る王のことごとくは世界の常識を覆すほど自由奔放だ。 ・・・それとも、楽俊の常識が間違っているのか。 (――― やっぱり王に選ばれる方は普通じゃねぇんだろうな・・・) 「ん?」 見下ろした陽子が「何か?」と見上げてくる。 それに何でもないとかえし、目の前に迫った食堂を指差した。 「やはりここに来たか」 食堂につくと、奥のテーブルで一杯やっている延王の姿があった。 「延・・・いや、風漢殿。良かった、もう一度お会いできて」 陽子が笑顔で卓に近寄り、延王に話しかける。楽俊もそれに続いた。 「いつの間にやら居なくなっていたから驚いたぞ」 「すみません」 「いや、俺も気をつけていれば良かった。楽俊に会えて何よりだったな」 「はい。楽俊には迷惑をかけてしまって・・・ありがとう、楽俊」 「いいんだって!どうもお前は他人行儀でいけねぇな、陽子・・・その、おいらたちは、と、友達だろ」 「!ああ、そうだな!」 はじかれるように顔を上げた陽子は、笑顔を浮かべる。 それは、延王も楽俊も言葉を失うほどに輝かしい笑顔だった。 「それでは、帰るとするか・・・・朱衡たちが手薬煉引いて待っているだろうからな」 くすり、と陽子が笑う。 それがわかっていながら、飛び出す延王も延王。 実のところ、官吏とのそういう遣り取りも結構楽しんでいるのでは無いかと陽子は睨んでいる。 「陽子、笑い事では無いぞ。お前は景麒が手薬煉引いているだろうからな」 「・・・・う・・・凄く、リアルに目に浮びました・・・」 景麒の渋面を脳裏に思い浮かべた陽子はふぅぅと溜息をつく。 「・・・・・・・。・・・・・・・」 その二人の王を、楽俊は複雑な心境で見つめるのだった。 |