■ 劉來は愛を叫ぶ ■
この日、劉來は徹夜続きの五日目だった。 仙席に入ったとはいえ、官吏は超人になった訳でも人間辞めた訳でも無い。 無理をすればやはり辛いのだ。唯人よりはちょっと丈夫になったとはいえ。 一徹目は全然問題が無かった。普通に仕事をしていた。文章もまともだった。 二徹目は少しだるいな、そろそろ休まないとな……でも仕事が終わらないなあと正常な思考は残っていた。 そして五徹目。何だか世界が白んでいる。 これ、本格的にやばい奴だ。でも問題ない。まだまだ俺はいける。大丈夫。あと二徹ぐらいいける! ――― 正常な思考は皆無になっていた。 年度末というのはその名の通り、年度の終わりなわけで、色々な処理をしなければならないときだ。 一月ほど前から忙しさが加速度的に増していき、片付けても片付けても仕事が沸いていた。 何故今それが出てきた!どこに隠れていたっ!今更決済なんてされる訳ねーだろっ!捨ててこいっ! 皆が荒みつつあった。 ましてやここは夏官府。書類仕事なんて……という脳筋どもの住まう場所だ。いや、そんな者たちばかりでは無い。 無いと劉來は信じなければやってけない。 「……異動願い、出したい」 わりと本気で呟いた。 「別にいいけど、たぶん握りつぶされて終わるな」 隣で同じように五徹目の同僚が断言してくれた。嬉しくない。 「……横暴だ」 確実に劉來の上司である真は笑顔で目の前で物理的にびりびりに破いてくれそうだ。 「……これ、持って行ってくる」 「おう」 愚痴を言っていても書管の山は減らない。劉來は処理し終わったものを決済して貰い片付けるべく手に抱えた。 立ち上がると眩暈がした。そのふわふわ感が何だか気持ちいい。 このままふわふわしていたら浮き上がれるかもしれない。そうしたらふわふわ浮いて夏官府を飛び出し、陽子の居る場所までだって簡単に行けるかもしれない。 新米官吏とこの国の頂点にある王との距離は物理的にとてもとても遠い。 もし陽子が劉來の直接の上司だったら……きっと毎日が楽しいだろう。朝の挨拶から陽子の笑顔に癒されて、朝の活力を得て仕事に臨み、仕事を終えれば陽子から労いの言葉が掛けられる。そして偶には「どうだ、一緒に食事でも」と誘われて陽子と並んで堯天の街に繰り出すのだ。そして、もしかすると……陽子と手を繋いだり、肩を寄せ合ったりするかもしれない。 きっと陽子はいい匂いがする。そう劉來が言ったら陽子は頬を染めて「劉來の馬鹿」とか頬を染めてしまうのだ。 陽子は美人なのに可愛い。最高だ。 ちなみに、忘れているかもしれないが劉來は五徹目である。 妄想を止めるはずの理性は半分寝ている。 「劉來、扉に向かって何をぶつぶつ言っている?不気味だぞ」 現実はかくも厳しい。可愛らしい陽子の姿は立消え、劉來の前には憎らしい上司の顔があった。 はあ。 「おい、人の顔見て溜息つくな」 「何であんたは俺の前に居るんだ」 「ここが俺の房室だからだな」 「……陽子に会いたい」 「何の告白だ。主上と言え、主上と」 さっさと書管を寄越せと強請る上司の脇の棚に抱えた書管をどさりと置く。 「そっちの目を通したから片付けておけ」 果たしてこの遣り取りも何度目だろうか。もう数えるのも嫌だ。休みたい。帰りたい。 陽子に会いたい。 「陽子が足りない」 そう。 そうだ、俺には陽子が足りない! 陽子さえいればあと十徹はいける! 「あ、おい……」 「陽子ーっ!」 叫んだ劉來は扉に突撃し、そしてそこで力尽きた。 「……ん?誰か呼んだか?」 「誰も呼んでおりません。こちらに御璽をお願いいたします」 その頃、陽子も浩瀚が運んできた書管の山に埋もれて御璽を押し続けていた。 |
今年最後の十二国記でした。
来年は小野主上の新刊と巡り会えることをせつに願う次第です。
ああ……陽子が登場してくれるといいなあ……