濫 觴
3
「よお楽俊!」 こうして唐突に窓から現れる姿を目にするのも後少しのことだろう。 ……少しであって欲しいと願いながら楽俊は延麒を迎えいれた。 「どうなさったんですか?」 「ついに楽俊も陽子のとこに行ってしまうだろ。あー俺も陽子の所に行きたいぜ。おっさんの顔なんか見てても何にも面白くねぇし」 だんだん愚痴になってきている。 「でさ!楽俊に餞別でもやろうと思ってな」 「そんな……おいら、今まででも十分にお世話になってます」 慌ててぱたぱたと手を振る。 「そう言うなって。お互い様なんだからさ」 彼らは彼らで楽俊に動いて貰っていたのだから。 延麒は腰にぶら下げていた袋を差し出した。 「何が良いか考えたけど無難にな」 ほいっと放り投げられ、楽俊は短い腕を伸ばして何とか受け取った。 かなりの重量があり、聞きなれた金属の擦れる音が漏れる。 「これは……」 「先立つものが要るだろ?尚隆が今までの給金だとさ」 ずっしりと重いそれを、楽俊は小さな手で抱えて深々と頭を下げた。 出したものを引っ込める人ではない。楽俊にできるのは有りがたく受けとることだけだった。 「これも先行投資」と呟く声が聞こえた気がした。 広い堂室に集められた兵たちの表情はどこか憂いを帯びている。 何しろこれから彼らにとって死刑宣告にも相応しいものが待っているのだから。 目の前の禁軍将軍の隣には大司馬が立っている。 忙しすぎる彼ら二人が揃っているのは大変に珍しい光景だったがのんびり眺められる気持ちでは無い。 さあいったい何を言われるのか。 「ここに集まって貰った者たちは先日の試験に見事合格した者たちだ」 それは大変に喜ばしいことであろうに、普通ならば。 「君たちは本日より夏官府事務処での業務に当たって貰う」 事務処。それは夏官府に集まってくる大量の各種文書とその処理を行うところだ。 期末には武官も総出で手伝うこともあるので彼らも何度か顔を出したことがあるだろう。 彼らにとってそこは無限の紙の海の底。沈んだら帰ってこられないとさえ噂される恐怖の場所である。もちろん、大夫大袈裟に言われているがそれほどに武官にとっては文字を追うという仕事は苦行であるらしい。 しかし彼らに否を唱える権利は無い。 「あのぉそれは異動ということでしょうか?」 しかし一人空気を読まない人間が居た。 姜桂英(きょうけいえい)、禁軍に所属して十年になるちょっともう新人では無いなと言われるお年頃の男である。彼の別字は無空。大層ないわれがあったはずだが今では皆に『空気読め無い』からだと思われている。 しかし今回ばかりは皆が彼に感謝した。それこそが最大の気がかりだったのだから。 「そうだな……希望者には配慮をする予定だ」 なかなか赴きのある言葉を大司馬は告げた。 暗に強制じゃないけど、お前たちわかってるよね?と聞かれた気分になる。 自然と縋るような眼差しが彼らの直接の上司である桓?に向けられる。 もちろんそんな視線を向けられても桓?は嬉しくも何とも無い。 まあしかし彼らも一応は大事な部下である。 「……経験もまた重要なことだ」 そして救いにもならないような事を告げられた。 その後、捨てられた犬のような表情で彼らは書庫へと強制連行されたのだ。 しかし彼らはそこで息を吹き返した。 「「主上っ!!」」 彼らにとって女神がそこに居たからだ。 |
ん・・・ん?何か話しがずれていってるような・・・ま、いいか。