■ 景王御乱心 ■







「もういいっ!私は家出するっ!!」
「主上っ!・・お待ちくださいっ主上っー!!」
 桓堆の叫びもむなしく、騎獣の背に乗った緋色の髪を持つ少女は遠く空へと消えていった。















「・・・・何でお前がここに居るんだ・・・?」
 大学の寮の自分の部屋へ戻ってきた楽俊は、そこへ居るべきではない隣国の王を発見し眩暈がした。
「やぁ、楽俊。ご無沙汰してる。元気だった?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・・陽子」
 明るく声をかけてくる相手を、半獣姿の楽俊は諦め半分観察した。
 さて、今度はいったいどんな騒ぎを持ち込んできたのやら。
「楽俊、実は折り入って頼み事があるんだ・・・聞いてくれる?」
 陽子は両手を拝むように合わせ・・言っておくがこの世界にそんな挨拶の仕方はない・・楽俊を上目遣いで
 ちらりと見た。
 その相変わらず美しい碧眼に、見惚れつつも、楽俊は荷物を置き、陽子と向き合った。
「・・・頼みごとってのは何だ?」
 何のかの言っても陽子には甘い楽俊である。
「しばらく私をここにおいてくれないか?」
「―――――― は?」
 楽俊の大きな目がぎょろりと広がった。
 けれど陽子はさらにとんでもないことを言い出す。
「あのわからずやの景麒にどれほど私が腹を立てているのか思い知らせてやろうと思って、家出をしてきたんだ」
「・・・・『家出』、して、きた・・・・」
 呆然と繰り返された言葉に、陽子は命一杯力強く頷いた。
 楽俊の眩暈は酷くなる。
 どうせならこのまま意識を失ってしまいたいほどだ。
「陽子・・・お前、自分が何であるかわかってんのか?」
「わかっている・・・・・・・・・一応」
「・・・・・・・・」
 一応、て何だ。それのいったいどのあたりがわかっているというのか。
「わかっている。私は自分の責任を放棄するために家出したんじゃない。今回ばかりは、どうしても景麒の奴に
 ぎゃふんと言わせてやりたくて!」
「ぎゃふんて・・・」
 ふと楽俊は、景麒が『ぎゃふん』と言う光景を想像し・・・・有りえないと慌てて打ち消した。
 ――― どう考えてもあの方に『ぎゃふん』などと言わせるのは無理だ。
「あいつは口を開けば、やれ王というものは、王としての心構えは、王の振るまいというものは、と本当に
 ねちねちと小姑顔負けにうるさい。うるさすぎる。何故景麒はあんなにうるさいんだろう・・・六太君なんて
 無駄に元気一杯でフレンドリーなのに」
「・・・・いや、比べるのはどうかと思うぞ、おいらは」
 しかも『フレンドリー』とは何だ。
「私だって、こちらのことは全然わからないし、今まで景麒に言われることを出来る限り頑張って成してきた
 つもりだ。だけど!」

 どんっと陽子は憤懣やるかたない、と机に拳を打ちつけた。
 落ちそうになった教科書を慌てて楽俊は短い腕でキャッチする。

「私のたまの気晴らしの、桓堆との手合わせまで邪魔するなんてあんまり横暴すぎる!」
「気晴らしの・・・手合わせ・・・」
「私の唯一のストレス発散の場なのに!」
「す、すとれす・・・?」
「『そのように危険なことは主上のなさることではございません。お怪我でもされたら如何なさるおつもりです?
 その僅かな時間さえ民には救いをもたらすものとなるかもしれないのです。畏れながら主上には・・・・・・・』
 あーーーーっ!!!本当に腹の立つ!」
「・・・・・・・・・・」
 陽子の目が怖い。
 なるほど、と楽俊は納得した。これが『すとれす』というものなのだろう。
「私だってそんなことわかってる!わかってるけど、半刻くらい自分の好きに使える時間があってもいいじゃないか。
 それも毎日じゃない。1週間に一度だ。その時間だって急ぎの決済が必要なものがある時には後回しにしてる。
 ・・・・・・・それなのにあいつときたら・・・・っ!!」

 ぽんぽん。

「まぁ、落ち着け、な。陽子」
 血管ぶちきれそうな陽子の肩を、楽俊の手が優しく叩く。
「・・・ごめん、楽俊。取り乱してしまった」
「いいって。煮詰まってるのはよーくわかったから。でもな、やっぱ家出はまずいと思うぞ」
「・・・・・やっぱり迷惑だった?」
「そうじゃなくてだな・・・」
 楽俊は困った。
 出会った当初から自覚の欠片も無いとは思っていたが、それが改善されるどころかいや増している。
 陽子は楽俊が半獣だが、正丁・・・つまりは成人している男だということが頭から抜けているに違いない。
 その楽俊の部屋に、うら若き乙女・・・思って悲しくなる言い回しだが・・・つまりは陽子だ・・・簡単に寝泊り
 させることが出来ると思っているのだろうか。



「その通りですよ、主上」



 ぎょ、としたのは楽俊ばかりではない。
 何と窓の外に転変した麒麟が居るではないか。

 ―――― 勘弁してくれ・・・

 楽俊は額をぺちりと叩いた。

「景麒!お前・・・っ」
「さ、主上。いつまでも我が儘を仰っていないで、お帰り下さい」
「い・や・だ」
 いーっ、と顔を顰める。
「私は今日という今日こそ、お前がぎゃふんと言うまで帰ら ――――」





 『ぎゃふん』





「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 楽俊は完全に動きを止めた。
 い、今のは何だ?何の幻聴だ!?

「さ、これでもうよろしいでしょう?」
「・・・・・よ・・・・・・・・・・・・・・・・・・よ、よろしいわけあるかーーーっ!!!
「聞き分けの無い」
「そういう問題じゃないっ!お前、私を馬鹿にしているのか?!」
 景麒の目が、ちらりと陽子を眺める。
 まるっきりこ馬鹿にした視線で。
「―――〜〜〜〜ッ!!!!」
 言葉も無く、陽子は怒った。



「死んでも帰ってやるものかーーーーーっ!!!」



 窓のある反対側の扉を、陽子はぶち破る勢いで飛び出していった。

「主上!・・・・・全く、無駄なことを」
 王気の見える麒麟にとって陽子がどこへ逃げようと居所はすぐにわかる。
「それでは、お騒がせ致しました、楽俊殿」
「あ・・・・へ・・・・・はぁ」

 麒麟は優雅に空を駆けていく。
 部屋はまるで嵐が通りすぎた後のような静けさに包まれた。

 楽俊はぽりぽりと頬をかいた。

「・・・・・・・・まぁ、仲良くやってるんだろうな」
 たぶん、おそらく、きっと。
 そういうことにしておいて欲しい。

 あれもきっと、主従のあるべき姿の一つなのだろう。
 とんでもなく規格外であったとしても。


 ――――― 疲れた


 楽俊は、ふぅぅぅと息を吐き出した。









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