■ 第七話 ■ |
がたがたっと何か物が崩れ落ちる音がした。 「宰輔っ!?何事ですか!?」 部屋の外に立っている護衛が物音に驚いて、顔を覗かせる。 「・・・大丈夫です。少々書類を落としてしまっただけです」 「左様でございますか。失礼致しました」 兵士が引いたのを確認して景麒は椅子に深く腰掛けた。 「何故・・・」 感じていた王気がぷつりと何かに遮られるように途切れた。 王が水禺刀の扱いに長けてくれば、自身でその気配を制御することも可能であるが陽子にそんなことが出来るはずが無い。 気配が途切れるまで、それは確かに堯天に在った。それが何故・・・。 「主上・・」 景麒の表情は能面のように変わらなかった。 ・・・が握った拳は小刻みにふるえていた。 今すぐにでも駆けていきたい。 だが景麒にそれは許されていない。この国に縛りつけられている景麒には・・・。 ************************************** 「仕事には大夫慣れたようですね」 「はあ、まあ何とか・・」 朱衡に声を掛けられた陽子は、いつものように命じれらた書類を部署に届けて帰ってきたところだった。 確かに迷わなくはなった。 「行って戻ってくるまでの時間が半分になってます」 「そ、そうですか・・」 これはもしや仕事が増える前振りだろうか、と陽子の表情が不安に翳る。 「そこで貴方にお休みを差し上げようと思います」 「はあ、そう休み・・え?休み、ですか?」 聞き間違えかと思い、再度繰り返す。だが朱衡は頷くばかり。 「ここに来てから外出らしい外出をしていないでしょう?気分転換も偶には必要です」 「・・・それを言うなら朱衡様こそ・・」 実際役人の誰よりも働いているのが目の前の朱衡だということは傍に居た陽子にはよくわかっている。 「お気遣いありがとう。そうですね・・・私も他の者たちが今の二倍の業務、いえ、1、5倍でも働いて貰えれば考えたいですが・・」 他の人間が聞いたら逃げ出しそうなことを朱衡が言い出した。 否。考え始めただけではなく、表情からすると本気で検討を始めている。不味い。ひたすら不味い。 「あっあの!お休み、というのは・・・」 「ええ、そうです。関弓の街を楽しんで来て下さい」 「はあ・・・」 よくはわからなかったが、すでに決定されているのならば逆らえるはずも無い。 陽子は降って沸いた休暇を享受することにした。 翌日、関弓に不案内な陽子のためにと用意された案内人と門のところで待ち合わせをしていた。 朱衡によると『間違っても風漢殿ではありませんから、安心して下さい』とのことだったが・・。 「あんたが陽さん、か?」 「楽俊、さん?」 人の良さそうな中肉中背の青年だった。 「あの、今日は手数を掛けてすみません」 頭を下げる陽子に楽俊は苦笑した。 「いいって。このくらい手間でも何でもねえよ。おいらも町に用があったしな。それからさん付けもいらねえよ。おいらも陽って呼ばせてもらってもいいか?」 「あ、はい。今日はよろしくお願いします」 「だから、そんな丁寧だと肩凝るだろ?」 同年代なんだし気楽にいこうぜ、と言われて陽子は笑った。不思議と警戒心を抱かせない雰囲気を持った青年だった。 「うん、よろしく頼む」 「おいらこそ。よろしく」 二人は握手をかわして、街に繰り出した。 久しぶりに目にする関弓の街は相変わらず賑わっていた。 「あのな、陽」 「ん?」 「・・スリとかも居るから手元には気をつけろよ?」 「わかった」 色々珍しいものがありすぎて、見るからに「おのぼりさん」な陽子を楽俊が心配そうに見つめる。 人が良さそうだという第一印象は間違っていないのだろう。 「楽俊は、役所で働いているのか?」 「いや。おいらは、使いっ走りみたいなもんかな。あちこちふらふらしてて、お呼びがかかったらこうして顔を出すんだ」 「ふーん」 「陽は役所で働いているんだよな?」 「ああ。朱衡様にお世話になってる」 「・・・そっか。朱衡様はお忙しい方だからなあ」 「そうなんだ。私は朱衡様がお休みになっているのを見たことが無いんだ」 いつも陽子より先に部屋に居て、遅くまで部屋に居る。いつ休んでいるのか本気で謎だ。 あの細身の体のどこにそこまでのスタミナが隠れているのか。 「色々苦労されてる方だから、自分なりの休み方は心得ていらっしゃるさ」 「それなら良いんだけど・・」 栄養ドリンクでも差し入れたほうが良いだろうか。 「それより陽はどこか行きたいところはあるか?」 「いや特に、突然だったし・・」 「それなら先においらの用事を済ませちまっても良いかな?」 「うん。構わないよ」 楽俊に連れられて大通りから2つ3つ奥に入った通りの小さな店に入る。 どうやら古書店らしい。 どうやら注文していた本が手に入ったから受け取りに来たらしい。楽俊が店主に声を掛けて用意してもらうまで、陽子は並んでいる本をぼんやりと眺めていた。 そして一冊の本に目を留める。 背表紙には、『王と国の呪い』とあった。 |