華炎記
 ■ 第三十八話(終) ■







「陛下、タオルをどうぞ」
「ああ、すまない。助かる」
 日課の剣の素振りからの型の練習を終えた陽子に指南役の桓魋が声を掛けた。
「鋭くなりましたね、剣筋」」
「そうか?まだまだだろう。桓魋には勝てる気がしない」
「いや、そりゃまあ……こう見えても本職ですし」
 陽子の負けん気に桓魋が困ったように頬を掻いた。職業軍人である桓魋が成り立ての王である陽子に負けては違う意味で問題である。しかし陽子の剣筋は日増しに鋭くなっており、桓魋を抜く日もそう遠い日ではないかもしれないと背筋がひやりとする時もある。
「陛下、生き急がんで下さい」
「……は?」
「いやいや、陛下に抜かれたら俺らの存在意味がありませんよ」
「ははは、何を言っている。そんなことある訳無いだろう」
「……そうだと良いんですけどね」
 あり得そうだから怖いのだ。
 何しろ、麒麟を殴り飛ばした人だ。そんなことこの国の誰にも出来ない。

「陛下……我が君、そろそろ会議の時間です」

 その殴られた当人景麒が陽子を待っていた。
 相変わらずの仏頂面だったが、少し雰囲気が柔らかくなった気がするのは桓魋の気のせいか。
「ああ、もうそんな時間か」
「お召し変えを」
「別にこのままで良いだろう」
「なりません。汗もお流し下さい」
「……わかった」
 引く気配の無い景麒に陽子もしぶしぶ頷く。
 陽子に殴られた景麒は暫く呆然自失していたが、いつの間にか復活していた。意外と打たれ強いのか。
「どうだ?景麒も一緒にやってみるか?」
「……は?」
 それは素振りの練習に誘っているのか。あの麒麟を。この国最弱である存在を。
「前に殴った時にわかったが、お前弱すぎるだろう」
 桓魋が顔を覆った。
 景麒の顔が引き攣っている。
「私ぐらいの拳、避けれなくてどうする」
 陽子は景麒をどうしたいのか。
「……あいにく、そのような経験をしたことがございませんでしたから」
「子供時代にだいたい男の子なら殴りあったりするのでは無いか?なあ?」
「えーまあ……人それぞれでは」
 景麒にそんな殴りあうような友人が居たら、それは驚きでしかない。
 麒麟に関する認識を改める必要があるだろう。
「そうか。まあ強くなりたかったらいつでも言ってくれ。一応うちは軍事国家なんだから、麒麟だって強くないとな」
「……畏まりました」
「……」
 本気なのか。本気で景麒は訓練に参加してしまうのか。
 桓魋は戦慄した。





 陽子を隣を静かに歩く景麒を横目で盗み見た。
 景麒を殴った後。いきなり殴ってしまったことは、やはり駄目だったかと一応景麒には謝罪した。
 殴ったことは欠片も後悔していなかったが、弱い物イジメは駄目だ。延王や延麒の話を聞いて反省した。
「……何か?」
「いや……殴った後、顔は腫れなかったのか?」
「……すぐに侍女が冷やしましたので」
 殴られたとに自失していた景麒はよく覚えていないが、侍女が慌てて氷水を押し当てていた。
「すまなかったな」
「おやめ下さい。すでに謝っていただきました」
「うん、だが……弱い者イジメだったから。だからな、私は思ったんだ!景麒だって私に殴られったぱなしにならないように強くなれば良いんじゃないかって!」
 え、この人。まだ殴るつもりなの?
 景麒の足が止まった。
「だから景麒も遠慮なく強くなってくれ。私も強くなるから!」
 拳を握って決意宣言する陽子に景麒は、遠く空へ視線を向けた。
 雲ひとつ無い、青い空が広がっている。

 その青さが目に沁みた。












前回で終わりでも良かった気がするのですが、景麒が殴られるだけの出番はあまりにも・・・と思い。