■ 第三十五話 ■ |
慶国に宣戦布告された雁国では迎え撃つ準備を……していなかった。 「こんなもん燃やしておけ」 宣戦布告の書はそう言う延王の命令で燃やされ灰になった。 一応公文書なので、後で知れたら大問題である。 「ああ、一応陽子を迎える準備だけはしておけよ」 「尚隆本気で陽子を雇うつもりなのか?」 いつになく本気の気配を漂わせる延王に六太が目を細めて尋ねた。 「慶国が要らんと言うのなら貰い受けるまで」 何か問題があるか?と笑う顔はとても胡散臭い。 「しかし……」 望みは叶わないだろうがと雁国から去っていく陽子の背中を思い出して内心で呟く。 ろくに王とは何かも、王の役割も説明せしなかった国に覚悟して陽子は戻って行った。 「俺ならば……この腕に囲い込んで、存分に甘やかしてやるのになあ」 「……」 冗談交じりに嘯く延王の目に浮かぶ本気の色に六太は何も言わず口を噤んだ。 五百年という時を共に歩んできたが延王の本心を六太は把握できているとは言いがたい。言動からして不真面目で捻くれている男は、容易く内心を人に晒すことは無い。 冗談のようなことを本気でやり、本気に見えて冗談だったことも多々ある。 その度に振り回されるのは六太や側近たちなのだ。絶対にこちらの反応も楽しんでいるだろう。 果たして今回はどちらなのか。 「失礼致します。慶国より親書が届きました」 四阿で傍目には日向ぼっこをしているようにしか見えない主従の下へ朱衡が書を持って現れた。 延王は無言で書を受け取り、裏書にふっと笑みを零した。 「残念なことだ」 六太がまさかと立ち上がる。陽子が慶国を抑え切れなかったのか。 「陽子の手だな」 「っ紛らわしい真似すんなっ!!」 怒る六太に笑い声をあげて、親書を広げた。 書面に目を走らせた延王はそれを六太に渡す。 「どうやら、陽子は上手いことやったようだ。朱衡、景王がお越しになる。準備をしておけ」 「御意に」 詳しいことなど言わなくても朱衡は心得ている。能吏なのだ。 「では陛下もご準備をお願いします」 しかも延王にちくりと刺しておくことも忘れない。 「そうだそうだ」 「台輔もですよ」 薮蛇だった。 雁国に行くと決めた陽子だったが、『ではすぐ行こう』とはならないのが国対国の面倒なところ。 まずは相手に行くことを告げ、了承を得た上でそれなりな体裁を整えなければならない。 陽子にとってはその『体裁』が色々と面倒なのだが、ここで面倒だと投げることも出来ない。 そして、出発の準備を浩瀚に任せた陽子は侍女軍団に捕まっていた。 「どうか、私どもにお任せ下さいませ。陛下」 ずらりと並んだ侍女たち。 その手には煌びやかなドレスが何着も用意されていた。 陽子の顔が引き攣る。 「……私は軍服で構わない」 お茶会に行く訳でも、ダンスを踊りに行く訳でも無い。 今回は雁国に謝罪と言い訳に行くのだ。 「女性の軍服はドレスですわ!」 そんな訳無い。 陽子は心の中でツッコミながら、どうすれば彼女たちを説得できるかと頭を悩ませる。 彼女たちも遊んでいるのでは無い。ただただ職務に忠実なのだ。……ありがた迷惑であろうが。 「今回は馬にも乗る。動きやすさを最優先に考えて欲しい。延王をお待たせする訳にはいかないのだ」 何としてもここで折れることは出来ないと譲らない陽子の決意に侍女たちも互いに視線を交し合う。 「……畏まりました、陛下。では移動用と式典用の両方で軍服をご用意させていただきます」 「そうしてくれると助かる」 理解してくれたかと安堵した陽子は知らない。 侍女たちの執念の凄さを。 |