■ 第三十一話 ■ |
「……水禺刀がそれほど貴重なものだったとは……知りませんでした」 慶国の宝。きっとそれは自在に形を変えるこの不思議な剣なのだろう。 そう、陽子は鎮痛な面持ちで告白した。 「はあ?」 「え?」 しかし返ってきた反応は罵声でも怒声でもなく、気が抜けるような疑問符だ。 空間に何とも言えない微妙な空気が漂う。 延王は面白そうな表情を浮かべ、六太は不可解に首を傾げ、三人の重臣も無言のままだ。 「……これを」 陽子はペーパーナイフほどの大きさになっていた水禺刀を胸元から取り出して延王に差し出した。 「これが、きっと彼らの言う宝なのでしょう。……私が勝手に持ってきてしまったから。迷惑を掛けてすみません」 頭を下げる。 謝ってすむ問題では無いのかもしれない。しかしこれで争いが退けられるのならば、躊躇う理由はない。 「お前、勘違いしているぞ」 「え?」 差し出した水禺刀を受け取らない延王の顔を見上げた。 「慶国が返せと言ってきているのはこのようなものでは無い」 「……それ以外には、私は何も」 慶国から持ち出してきたものは無い、はずだ。 「陽子ぉ、本当にわからないのか?」 六太が呆れたように首を振る。 しかしそう言われても陽子は不可解な表情を浮かべたままだ。 「お前だ」 唐突に延王が告げた。 「え」 「お前を返せ、と言って来ているのだ」 「……。……」 次々と陽子の表情が変化する。不可解……驚き……納得、そして……怒り。 「ふざけるな……っ」 机に打ち付けられた拳が大きい音を立てた。 「ふざけてなどおらんさ。本気だ」 「なおさら悪いっ!」 ここが何処であるかを忘れて陽子は怒鳴った。 負けるとわかっているのに戦いを挑む。それは慶国民を無駄死にさせるということだ。 慶国を捨てて逃げ出した陽子にそれを怒る権利は無いかもしれない。 だが、この宣戦布告を聞いた陽子が戻ると楽観してのことであれば愚かと言うしかない。 雁国が『じゃあ、やりましょうか』と受けて立ったらどうするのだ。 そこで、はっと延王を見た。 陽子をじっと見ていたらしい延王は曲者らしい笑みを浮かべている。 「どうする?」 ここで、お好きにどうぞと言えるならば。 陽子はきっと景王として傀儡の王にでも成り果てていただろう。 「それは……私の意見を聞いていただけるということですか?」 名ばかりの景王。ましてや今まさに国を捨てようとしている王だ。 問いに問いで返した陽子に延王は更に笑みを深めた。 「さて、どうしたものかな」 是とも否ともわからない延王の言葉に、ごほんと咳払いが響いた。 傍で沈黙を守っていた一人、朱衡である。 「お戯れもほどほどに」 ぎろりと延王を睨む。 「しかし我が国を侮られて黙っているのか?」 強国に喧嘩を売ってただで済むと思っているならば、それ相応の対応をするべきだ。 「子猫がじゃれてきているのを虎は本気で相手には致しません」 雁国にとって慶国は所詮その程度のものなのだ。 「……時間を、下さい」 |