■ 第三十話 ■ |
玄英宮に戻った陽子は、再び朱衡にこき使われていた。 延王がすでに陽子が景王であることを知っているということは朱衡も知っているのだろう。 だが朱衡の陽子に対する態度は全く変わらなかった。 それは構えていた陽子が拍子抜けするほどで……。 渡された書類の山を抱えて廊下を歩きながら、すれ違う忙しそうな役人たちに目礼する。 彼らもすっかり顔見知りだ。 「このまま……」 もしかすると陽子はずっとここで働いていくことになるのだろうか。 それが許されるのだろうか。 静かな喧騒に包まれたこの場所で。 「あーっ!居た居たっ!探したぜっ!!」 本当の喧騒が前からやって来た。六太である。 何やら慌てた風である。 「どうしたんだ?」 「大変なんだって!ちょっとこっち来いって!」 ぐいぐいと陽子の手を引いていく。 陽子の手から書類の山が雪崩れそうになっている。 「ちょっ……」 何とか崩さないようにバランスを取りながら、陽子はどこかの一室へと連れ込まれた。 「え……」 そして、そこに居たのは延王を始めとした錚々たる面々で。 先ほどまで顔を合わせていた朱衡、成笙や帷湍という首脳陣である。 陽子で無くてもいったい何事かと固まるだろう顔ぶれだ。 椅子に掛けた延王の前にあるテーブルに並び、今まさに会議中でしたと言わんばかりだ。 とんでも無いところへ邪魔をしてしまったのでは無いだろうかと冷や汗が浮かぶ。 「ああ、陽子。よく来た」 延王が手を上げる。その言葉からするとやはり、陽子は呼ばれたのだろう。 しかし延王の軽い声に反して部屋の空気も面々の表情もどこか緊迫している。 「あの……」 訳がわからない。 途方に暮れる陽子に延王は楽しそうに告げた。 「慶国が我が国に宣戦布告した」 「……は?」 「慶国が軍を出した」 どうやら陽子の聞き間違いでは無かったらしい。 どさどさっと陽子が持っていた書類が床に落ちる。 「な……えっ、ど……何故っそんなことにっ!?」 混乱するしかない陽子に延王はぴらりと一枚の紙を指し示す。 見ろということなのだろう。 陽子は近づき、紙を覗き込んだ。 上等な紙には、美しい字で……慶国が雁国に対して宣戦布告する旨が書かれていた。 簡単に言えば、『今からお前のところに喧嘩売るからな』ということが流麗な文章で書かれている。 紙から視線を逸らした陽子は大きく息を吐いて、頭を抱えた。 信じられない。 それに尽きる。 軍事的に弱小国家である慶国が軍事大国である雁国に喧嘩を売るなど、叩き潰してくれと言っているようなものだ。 負けるとわかりきっている戦いだ。 「これは……雁国に属国にして欲しいという嘆願ですか……?」 「はっはっは!それならば慶の奴らもなかなかに狡猾だと褒めてやるのだがな」 慶国など属国にしても雁国にメリットは欠片も無い。貧しさに喘ぐ民を抱え込むだけだ。 その雁国の負担を見越してわざと国を売るような真似をしようと言うのか。 「国が国に喧嘩を売るには、それなりな理由というものがある。体面とも言うが、な」 周辺国に対しての言い訳である。 「慶国は何と?」 「盗んだ慶国の宝を返せ、と」 すぐにはその言葉の意味はわからなかった。 だが、陽子がここに呼ばれたその理由がそれだと言うのならば。 ひゅっと息を呑んだ陽子の顔から血の気が引いた。 |