■ 第二十九話 ■ |
「気が、狂いそうだ」 「もう狂っているさ」 「……っ」 言葉をなくした陽子に延王は肩をすくめる。 「狂わねば、五百年も生きていられるか」 そう言う延王を陽子はじっと見つめた。 飄々としながら平然と狂っていると言ってしまう男のことを。 そして苦笑した。 「何だ?」 陽子は首を振る。 「いいえ、貴方は狂ってなどいない」 迷いなく、断じた。 翡翠色の瞳でじっと延王を見つめ、その深淵を暴くように。 「狂人は見た目だけではわからぬものだぞ」 「狂っていません。……狂っているふりはしているかもしれません……っが」 腕をとられた陽子が延王を見上げる。 いつもどこかふざけた微笑を浮かべている表情を真顔に変えて、陽子を見つめている。 「お前に……何がわかる?」 「……何も、わかりませんよ」 わからないから迷い続けているのだ。 自分のことは何一つわからない、と陽子は思う。けれど。 「でも、貴方が狂っていないことはわかります」 退かなかった。 ここで退いてはいけないと、陽子の本能が訴えていた。 この男を狂人にしていはならない。言質を与えてはならない。 「…………参った」 掴んでいた陽子の手を離す。 ほら、衝動的なように見えて理性を忘れない。陽子の手には痣一つ無い。 「貴方は、良い王なのですね」 景麒も目の前のような男が王だったのなら、溜息をつくことも無かっただろうに。 「部下には罵られ続けているが?」 「それは……」 あまりに延王が自由奔放だからなのか。 「貴方がそれだけ信頼されているから、でしょう。頭の良い人は無駄なことに時間を割かないから」 どうせわからないだろう、と諦めて放置されるだけだ。 「お前はどれだけ善人だ。あれをそんな前向きに解釈できるなど」 「朱衡様は私に無理は言われませんでした」 「それはお前が部下だからだろう?あいつは上司には容赦ない」 普通は逆では無いだろうか。 「それを許されている貴方の度量は、どれほど広いんだろう」 その言葉に延王は大きく溜息をついた。 今の陽子は何を言っても良い方向にしか解釈しないらしい、と。 「お前は俺を善人か何かと勘違いしているのでは無いか?俺は必要とあらば慶国と潰すことだって躊躇わんぞ」 「そうでしょうね。貴方は雁国の王だから」 でも、と陽子は続ける。 何故か、自信を持って言えるのだ。 「躊躇わないけれど、きっと……誰よりも」 責任を感じて傷つくのだ。何も無い顔をして。誰にも気づかせないように。 何となく陽子はそう思うのだ。 だって、こんな馬鹿な小娘にわざわざ時間を割いてまで話をしてくれているのだから。 「貴方は、優しい人ですね」 |