華炎記
 ■ 第十九話 ■





 何とか氾王に辞去の挨拶だけして、動きにくいドレスからいつもの軍服に着替えると延王に連れられて街に出た。

「いったいどこに……」
「楽俊のところだ」
「楽俊?」
「その格好では目立つところに行くからな、そこで着替える」
 楽俊のところに行くのは途中行程らしい。
 軍服では目立つというのは……街には割と軍服姿はよく見かける。今も陽子と延王の姿は特別に目立ってはいないはずだ。
 大通りを抜けて大きな建物の中に入っていく。
「ここは?」
「大学だな」
「大学……」
 大学に行くほどの頭が無かった陽子は慶の大学というものを見たことが無いが、さすがに立派な建物だった。
 複数の建物が建っている様子は一つの街のようでもある。
「何故大学に楽俊が?」
「楽俊が大学生だからな」
 陽子は目を瞬いた。
 先日会った時にはすでに働いているような口ぶりだったので、社会人だと思い込んでいた。
「楽俊が何故雁の大学に通っているか聞いたか?」
「運が良かった、とだけ」
 延王が静かに笑う。
「まあ確かに運は強いだろう。良いか悪いかは判断に迷うところだが……俺にとっては幸運か」
 勝手知ったる何とやらなのか、延王の足取りに迷いは無く一つの建物に入っていく。
 数人の学生とすれ違ったがこちらを特に気にしていない……どころか、知り合いのように延王と挨拶している。
「えん……風漢は非常に顔が広くていらっしゃるんですね」
「それなりに長生きだからな」
 不敵に笑い、一つの部屋の前で止まった。
「ここが楽俊の部屋だ」
「急に訪ねて不在だったらどうするんですか?」
「その時はその時だ」
 もうここまで来てしまっているのでどうしようも無いが、楽俊が居ることを願うばかりだ。
 さすがにノックをした延王に、中から声が響いた。
「俺は強運だな」
「……そうですね」
 二人が会話している間に、ガチャリと扉が開けられる。
 顔を出した楽俊が延王と陽子の姿を目に入れて、口を大きく開け、そしてがくりと頭を落とした。
 ……どういう反応だ。
「また抜け出して来られたんですか……中にどうぞ」
「邪魔するぞ」
「……えーと、楽俊。先日ぶり?」
「ああ、そうだな。まあ中に……嫌な予感がしてたんだ」
 ぼそりと呟かれた台詞は部屋に中に入っていく二人には届かなかった。
 部屋の中では楽俊が勉強していたのだろう、色々な本が机の上に並んでいる。
「で、今日はどうされたんです?」
「陽子に例の服を着せてくれ」
「は?いや……はあ、えーと。いいんですか?」
「構わん。お前に任せる」
 二人の会話の意味がわからない陽子は首を傾げるばかりだ。
 そんな陽子に楽しそうに笑った延王が告げる。
「陽子。お前には港湾局に新人局員として潜入操作をしてもらう」
「は?」
「心配するな。この楽俊も一緒だ。わからないことは楽俊に聞くと良い」
 その楽俊に視線を向けると、頼れと言われた本人が一番困惑しているようにも見える。
 大丈夫なのか。
「陽子。念のためにこれを渡しておこう」
 渡されたのは腕の半分ほどの長さの細長い黒い棒だった。
「……これは?」
「ただの棒に見えるだろうが、こう回転させ……柄のところを押すと」
 バツバチっと音がして、棒先に電撃が発生した。
「扱いには注意しろ。人を気絶させる程度には強い電撃だからな。あとの詳しいことは楽俊から聞け」
 呆気にとられた陽子にさっさと棒を渡すと、延王は部屋を出て行こうとする。
「ちょ……っどこに」
「俺は俺ですることがある」
 そして何故か、にやりと笑う。
「陽は俺がおらぬと心細いか?」
「心細いというよりは……風漢から目を離して六太君や朱衡様に何と言われるか心配です」
「お前も言うようになったでは無いか。ここに来ることはあいつらも了承済みだ」
「それなら良いのですが……」
 そんな二人のやりとりを傍で黙って見ていた楽俊は苦笑を浮かべ、そっと延王に頷いてみせた。