ある日の情景









 クラスティは悪辣な笑いをその口元に浮かべた。
「ミロード。悪どい顔です」
 真っ直ぐな言葉にクラスティは肩をすくめた。
「仕方在りません。楽しくて仕方ない」
 その瞳はここには居ない付与術師の彼に向けられているのだろう。
 高山はその彼に大いなる同情を寄せた。
 こういう表情のクラスティはろくなことを考えていない。
「さて、では鬼ごっこに行ってきます」
「止めはしませんが、ほどほどに。嫌われてしまいますよ」
 心得ていると頷いてクラスティは背を向けた。
 恐らく先ほど光輝いた場所へと向かったのだろう。
 ギルドホールの損失は彼の私財で行って貰おう。高山はそう決意した。







 シロエは窓にディスペルの魔法を使用した。
 上手くいくかどうかは半分賭けだったが、どうやら上手くいったらしい。
 窓は扉とは違ってあっさりと外側に開いた。
 そこから見える景色はアキバの見慣れた風景だ。
 高さは三階ほど。レベル90ともなれば幾ら戦闘職で無いにしてもその程度の高さは障害にはならない。
 そのことを忘れている訳では無いだろうに、こうしてあっさりと出口を開放するのは何かあるとしか考えられない。
 シロエは外を観察し、腕を差し出す。
 特に空間が歪んでいるということも無さそうだ。
「さてどんな仕掛けがあるのか」
 あるにしてもギルドホールに殺傷性があるような仕掛けは無い。
 決意して窓枠に足をかけ、シロエは外へと身を躍らせた。
 一瞬の浮遊感と着地の衝撃を受け止める。
 星辰の霊衣がふわりと落ちてきた。
「無事着地、と」
 特に何か仕掛けが起動した気配も無い。
 だが大手ギルドの<D.D.D>がこれほど閑散としているだろうか。
 何か遠征に出ているというのならクラスティが暇を持て余すことなど無いはずだ。
 シロエは修練場にでもなっている広場を突っ切って歩き出した。
 しかしやはりそう簡単にはいかないらしい。
 シロエが歩いていた広場の前方の土がぼこりぼこりと持ち上がる。
 そこから現れたのは毎度お馴染みのゴブリンだった。
「これは……」
 ここはギルドホール。アキバの街のエリアだ。
 いや、もしかするとそのシロエの認識そのものが最初からおかしかったのかもしれないと三匹のゴブリンを警戒しながらシロエは一つの情報とて見逃さないように神経を研ぎ澄ませる。
 いくら紙装甲。脆弱な攻撃力の付与術師とはいえゴブリン程度に遅れをとることは無い。
 シロエという獲物を見つけて近づいてくるゴブリンたちを視界に捕らえながらショートソードを取り出した。
 果たしてこうして敵と1対1で対峙し、シロエが武器で直接攻撃するのは何時振りになるだろうか。
「……少々不安だな」
 そう言いつつもシロエは動揺することなくショートソードを構える。
 叫び声をあげてシロエへと向かってくるゴブリンたち。
 すでに魔術で二匹のゴブリンの足を止め、一匹だけがシロエのショートソードに切り裂かれる。
 燐光を残して消えていくモンスター。
 シロエの経験値に変動は無い。それはあまりに弱いモンスターだからなのか。
 それとも……。


「捕まえました」


 唐突にシロエの背後からそんな声が掛けられた。
 咄嗟に振り向けばクラスティが良い笑顔で立っていた。

「おや、昨日した約束を忘れたかい?」
 そう言われ、シロエは記憶を浚う。
 約束?そんなものしただろうか?
「忘れてはいけないよ。シロエ君」
 その台詞にフラッシュバックのように記憶が甦る。
 そう、確かに……

『退屈を君が解消してくれるのでしょう?だからこうしよう。君が私から逃げ切れたら君の勝ち。どんな無理難題でも受けてみせよう。ただし私が勝ったら君は一週間<D.D.D>の一員になること』
 目が覚めたら開始だ。
 忘れてはいけないよ、シロエ君。


「……っ」
 シロエは思い出してしまった。
 忘れたままなら無かったことに出来ただろうに。
 そしてシロエが思い出したことをクラスティも気づいただろう。
「<ルミノックス>!」
 シロエが咄嗟に唱えていたのはライトなど比べものにならないほどの輝きだった。
 目も眩まんばかり……それが狙いの魔法である。
 鬼ごっこがしたいと言うのなら相手になろう。
 是非とも勝ってシロエのどんな無理難題にも答えてもらおうでは無いか。
 半ばキレながらシロエはそう思っていた。
 正攻法でクラスティに勝つのは無理だ。付与術師らしいやり方で逃げ切ってみせる。
 辺りが真っ白に染まっているうちに幻術で身代わりを作り出し、クラスティの腕から逃げ出したシロエは外ではなく、内に向かって走り出した。
 足の速さでは到底クラスティには敵わない。
 ならば障害物のある建物の中のほうがいい。
 シロエはカラシンが作成した小型ボムを壁へ投げつける。
 ボンッと中々盛大な音がして壁に穴が開いた。
 瓦礫がパラパラと崩れ落ちるのを横目にシロエは目立つ白いマントを脱いだ。


 あっさりと腕から逃げ出してしまったシロエをクラスティはすぐに追うことはせず光が収まるのを待っていた。
「逃げる獲物を追うのもまた狩人の習性だよ、シロエ君」
 シロエの逃げ出す気配を捉えていたクラスティは誤ることなく、建物のほうへと視線を向ける。
 そこには大穴を明けた外壁がある。
「これはこれは」
 高山女史の静かに怒る顔が思い浮かんだが、クラスティはすぐに蓋をする。
 大なり小なり怒られることは想定内。ならば勝利を手にしてシロエを<D.D.D>に迎えることが出来ればお釣りどころでは無い。
「どんなレイドをしましょうか」
 今からそれが楽しくて仕方ないクラスティはやはり狂戦士の名に相応しい。
 高山女史が傍らに居れば、『そういうのを取らぬ狸の皮算用と言うんです』と助言しただろうか。
 クラスティは未だに瓦礫がぱらぱらと落ちている壁に手を添える。
「ここを通って中に……などという面白みの無いことはしないだろうね」
 こちらの期待を裏切らない獲物であることは確かだ。
 さてとクラスティは周囲を見渡す。
 この瓦礫の向こうでないとするならばシロエはどこに逃げてしまったのか。
 受けてたつと言ったからには空に逃げるなんて有り得ない。
 いや、クラスティがそう考えると考えているだろうか。
 裏の裏、そのまた裏。
 クラスティは腰に刺していた剣を引き抜いた。
「だったら……こうしようじゃないか」
 
 地面へと突き刺した。
 クラスティが持つ武器はメイン武器の魔人斧では無く、剣だった。
 それが地面に突き刺さり、そこから地面が割れていく。
 どれほどの力を込めたのかと呆れるところであるが、クラスティの動きはあまりに無造作だった。
 割れた地面が崩れ、開いた大穴へと飲み込まれていく。
 そう修練場の下には空間があった。
 地面の下から出てきたゴブリンはここに居たのだろうか。
 クラスティはその不思議な場所に躊躇うことなく身を躍らせた。








 その頃シロエは予想外の展開に混乱しながら逃げていた。
 ちょっとした穴でも作ってその中に隠れてしまおうとただそれだけだったのに、穴は地面を貫通しよくわからない空間に落ちてきてしまった。
「ここ……どこ?」
 途方に暮れながらもシロエの足は止まらない。
 こんな場所があると知っているならばクラスティはすぐに追いかけてくるだろう。
 地の利は相手にある。
 シロエにとってこの鬼ごっこは非常に不利な状況だった。
 周囲に注意深く視線を投げながら分析していく。
 薄暗くてよくわからないことも多いが、ここが自然に出来たもので無いことは確かだった。
「ギルドホールの地下にまで手を加えたのかな」
 あまりに大掛かりすぎるとシロエなどは思うが大所帯の<D.D.D>ならというところだろうか。
「ここで息を殺しておくか」
 この広い空間の薄暗い闇の中ではそうしていればクラスティも見つけることは困難なはずだ。だがしかし。
「そんなの面白く無い」
 カッコ悪い。
 だからシロエは歩みを止めない。
 例えそれが敵と遭遇することがわかっていたとしても。
「ぎ、ぎぎぃ」
 前方から聞きなれたゴブリンの声がする。
 その気配はかなり多い。
「……ここでゴブリンを飼っている、なんて」
 そんな恐ろしいことはやめて欲しい。
 シロエは切実に願いながら攻撃と敏捷アップのエンチャントをかけて敵に備える。
 前衛が居ない今、戦えるのは自分だけ。
「ついでに攻撃力低下バフを」
 相手に放り込む。
 彼らの声の響きから、ここが別の部屋に通じていることがわかる。
 まずはシロエはそこを目指していた。
 虎穴にいらずんば……

 足を一歩踏み出したシロエの躯は宙に浮いた。

 宙に浮いたシロエの体は誰かに抱えられていた。
「……え」
「危ない真似はやめて下さい」
 それは鬼さん……否、クラスティだった。
 何時の間に近づかれたのか。
「ちょっ……」
「上に戻りますよ」
 シロエが発しようとした反論など聞く耳持たずクラスティは動き出す。シロエを抱えたまま。
 鈍重な守護戦士とは思えない身軽な動きである。
 クラスティはこの場所を知っているのだろう、動きに迷いが無い。
「選択肢の一つにはありましたが、地下は少し困りますね」
 そう言われてもシロエも困る。
 抱えられて動いているため口が開けないが色々と聞きたいことがある。
(……せっかくかけた攻撃力アップが無駄になったな)
 現実逃避ぎみにそんなことをシロエは考えていた。

 大きな穴が空いている。
 クラスティに抱えられて地上に戻ったシロエは未だに現実逃避していた。

「さて、シロエ君」
「仕切り直しですか」
 シロエは最後の抵抗をしてみる。
 クラスティが微笑む。
 その笑みの意味はすでに勝負はついているでしょう、だ。
「この程度ではクラスティさんの退屈の虫は死なないのでは」
「いや、私はこれ以上なく愉しいよ」
 そうだろう。そんな笑顔である。
「……なるほど」
 シロエは悄然と項垂れた。
 そして大きく一歩下がって膝をつき、両手もついて頭を下げた。
 つまり土下座という格好だ。
「何を……」
 いったいシロエが何を始めたのかとクラスティに戸惑いが浮ぶ。
 その一瞬の油断こそがシロエの狙いだった。
「マインドショック」
 普通の状態ならばクラスティには防がれてしまっただろう。
 だがクラスティは油断した。
 シロエを捕まえたという心の油断と余裕が隙を生んだ。
「くっ……」
 ほんの僅かな時間でいい。
 クラスティをこの場に留めることが出来るのならシロエは逃げることが出来る。
 最後まで足掻く。
 シロエは一目散に逃げ出した。
 やられた……
 動かない体で逃げていくシロエを見送りながらクラスティは苦笑する。
(本当に君は……私を退屈させない)
 次にはいったい何をやってくれるのか。
 これほど心躍ることは戦いの中に在っても滅多にない。
 敵を葬るのはただひたすらに蹂躙すればいい。だがシロエを手に入れるためにはそれだけでは足りない。
 ぎりぎりの駆け引きの中で頭をふる回転させてそれを楽しむ。
(今回は逃がしてあげよう……けれど次こそは)
「ミロード。悪どい顔です」
 いつの間にかやってきた高山が冷たい視線を注いでいた。
 しかしいつものように返事は出来ない。現在絶賛麻痺中である。
「せっかくの機会でしたのに……詰めが甘いです」
 たとえ一週間といえどシロエが<D.D.D>に入るという意味は大変に大きい。
 これから何が起こるかわからない世界での前例はシロエを<D.D.D>に取り込む上で良い材料となっただろう。
 だからこそ高山もクラスティのやる事に特に文句を言わず傍観していたのだ。
「そろそろ動けるでしょう。あの壁の工事と穴の修復をよろしくお願いします」
 材料費はクラスティのポケットマネーから出される。




 シロエは背筋にぞくりとした寒気を感じながら<記録の地平線>のギルドホールに帰り着いた。
「主君!」
 連絡不通になっていたシロエを心配していたアカツキが飛び出してくる。
「大丈夫なのか!?」
「はは、まあ大丈夫かな」
 色々と大丈夫では無いこともあったがとりあえずはと心の中で呟く。
「シロ先輩っ!」
「ソウジロウ」
 やはり心配でギルドホールに顔を出していたソウジロウも出てくる。
「シロー、お前はどこに顔を出してたんだ?」
 態度にはあまり出ないが気が気でなかった直継も顔を出す。
「ああ、ごめん。連絡が遅くなって」
 さすがに今から予定していたエリアに行くのは無理だろう。
「それはいいけどさ」
 後で詳しく説明しろよと直継が視線で語る。
 それに了解と視線で頷く。
「ソウジロウも余計な時間をとらせてごめん」
「とんでも無い!」
 ソウジロウはじっとシロエを見上げ、ふにゃんと顔を緩ませる。
「でも約束は絶対に守って下さいね!」
 その勢いのままシロエに抱きついた。
「っ!」
 さて息を呑んだのは誰だったのか。
 ぎりりと歯噛みしたのは誰だったのか。
 シロエは僅かに目を瞠ったものの、微笑を浮かべてソウジロウの頭をぽんぽんと叩いた。
 普段ギルマスとして皆を守らなければと気張っているソウジロウが甘える姿を見せることは滅多に無い。
「もちろんだよ。みんなで行こう」
 シロエは皆を見渡す。
 ギルドの入口ではにゃん太の顔も覗いていた。