知られざる


 ぐしゃり。
 めきっ。
 ごぎっばきっ。


 肉の潰れる音。
 骨の砕ける音。
 

 僕は笑顔をはりつけ、微塵たりとも表情を動かすことなく足元の『残骸』を見下ろす。
 それは肉と骨と血とからなる、ただのゴミ。
 僕に何の感慨ももたらさないただのモノ。

 視線を自分の手元に移し、そこにある一冊の古びた本を巡るとりとめのない暇つぶし。
 ぼっと火がつき、燃え上がる。
 後に残るものは炭の一欠けらも無いように。

 何をするでもない長い時。
 存在することに飽き始めた頃、獣王様からいただいた命令は人間界にある異界黙示録の写本の処理。
 丁度いい暇つぶし。
 
 けれど。
 


 僕は夜が明けはじめる茜色の空を見上げた。
 思い出す一人の人間の少女。
 

 誰かを・・・人間を・・・・これほど気にとめたことがあっただろうか?
 あるわけがない。
 人間など、塵芥と同様に・・・気にするほどのものでも無かったのだから。
 


「・・・・・・・」
 少女の名前をそっと呟いてみる。
 ・・・・胸に広がるこの思い。
 この痛み。
 これはいったい何なのか。

 僕を作られた獣王様ならばご存知でしょうか。


 自分自身でわからない感情など無かった。
 いいえ、そもそも僕に『感情』なんてものがあったのでしょうか・・・・・


 だから。
 知りたい。
 この思いの・・・痛みの正体を。



「・・・・と言ったら貴女はどんな反応をされるでしょうね・・・・」
 きっと、綺麗なルビーの瞳を輝かせて・・・・・


『そんなことあたしが知るわけないでしょっ!このヘッポコ神官!!』


 くすっ。
 ・・・・・そんな風に仰るに違いありませんね。




 これは暇つぶしなんでしょうか?
 わずかに短い人間の少女の生きている間だけの・・・・。




 ズキッ。





 ああ・・・・また、痛む。
 










 







「こんにちわ、リナさん♪」
「うぬっ!ふぬっぬぬぬぬっ!!!」
 リナさん・・・口の中に詰めすぎですよ?
「えーと・・『ゼロスっ!また出たわねっ!』・・・・でよろしいですか?」
「ふぬっ!」
 どうやら正解だったらしい。
「いやー、またというほど最近はお邪魔してなかったと思うんですが」
「ふほほほひっ!!」
「えー・・・・『嘘おっしゃいっ!』ですか?」
「ふぬっ!」
 ・・・・・・ちょっと待ちましょうかね。
「リナさん・・・とりあえずお食事を続けてください」
 彼女は大きく頷いた。




「・・・・で、今日はいったい何の用?」
「別に用というほどの用も無いのですがリナさんにお会いしたくなりまして」
「・・・・あたしに会ってどうすんのよ」
「いえ・・ちょっと確かめたいことが」
「はぁ?」
 彼女は食後の紅茶を飲む手を止めて怪訝そうな眼差しを僕に向けた。
「リナさんはこのあたりが痛くなることがありますか?」
 僕は自分の胸のあたりに手を置く。
「・・・・今のとこ無いけど」
「実は・・・最近のことなんですが・・・僕は痛くなるんです」
「はぁぁ?あんた魔族でしょ・・・なんでそんなとこが痛くなるのよ」
「そうなんです。僕も不思議で獣王さまにお聞きしようと思ったんですが、その前にリナさんにお聞きしてみようかと思いまして」
「何であたしに?言っとくけどあたしが知ってる魔族のことなんて普通の人間レベルからちょっと上くらいのもんよ?」
「ご謙遜を。いえ・・・でも確かに魔族のことならリナさんにお聞きするのは筋違いなのですがどうにも・・・この原因がリナさんにありそうで・・・」
「はぁぁぁ???」
 彼女は目を見開いた。
「何しろ、ここが痛くなるのは・・・いつもリナさんのことを思い出したときなんですよ。
 一仕事終えて・・リナさんは今ごろ何をなさっているだろう・・とか。リナさんは今日は何を食べているんでしょう・・とか」
「・・・・・・・・。・・・・・・・」
「あぁ、あと・・・夜明けの空はリナさんの髪の色に似ているなぁ・・・・・・・て、リナさん?何を顔を赤くされているんですか?」
「あ・・・・あんたねぇっ!!」
「はい?」
「う・・・・もういいわよっ!!」
「いえ、よくないですよ。リナさんはやはりご存知なんですか?」
「・・・・・それ、あたしに言わせたいわけ?」
「ええ、是非。教えて下さると有難いです」
 彼女はじっっっと僕の顔を見つめる。
「・・・・・あたしをからかってるわけじゃ無さそうね」
「リナさんをからかうなんて・・・はははは、そんな命知らずなことは・・・・って何を呪文を唱えてらっしゃるんですかっ!?」
 これが並の魔道士ならいざ知らず、相手がリナさんでは洒落にもなりません。

「全く・・・あんたって前から魔族らしくないと思ってたけど・・・・。・・・・ねぇ。本当に教えてほしいの?」
「はい」
「じゃ・・・・・・」
「はい?」
 彼女はにこりと最上の笑みを浮かべた。




「・・・・秘密、ね♪」


「・・・リナさぁぁんっっ!!」
 いつもの僕の台詞を彼女にとられてしまった。

「だって、ゼロスはいつもそう言ってあたしには肝心のこと何も教えてくれないでしょ?だからあたしも・・・秘密♪」
「そんな意地悪を仰らず・・・リナさん!」
「だーめ!そうねぇ・・・・明日一日あたしに付き合って食事を全部おごってくれたら考えないでもないわね・・・・」
「・・・・僕は薄給なんですが・・・・しくしく」
「じゃ、その痛みの正体がわからなくてもいいの?」
「・・・・・。わかりました。明日一日お付き合いさせていただきます♪」
「やった~っ♪この町ってねっ!!ショボイんだけど食事だけは絶品に美味しくていい店が揃ってんのよね~~♪ふふふ・・・明日はあそこに行ってあそこに行って・・・ああ!あそこも忘れちゃ駄目よね~♪♪」

 ・・・・僕のお財布の中身で足りるでしょうか物凄く不安です・・・・・しくしく・・・・




 けれど。
 不思議ですね。
 あの痛みが無くなってます。
 



「ゼロスっ!!絶対に明日、約束だからねっ!!破ったら・・・神破斬をお見舞いするから!」
「・・・・う゛・・・きちんとお迎えに参ります・・」
 
 
 
 



 肉と骨と血と・・・・。
 それだけで出来た存在。
 けれど。






 僕は貴女がとても眩しい。