プランツドール 【闇の神官】


 コツ・・・コツ・・・
 霧に包まれた街に革靴の音が響く。
 人々はいまだ眠りの中にあり、夜明けは遠い。
 
 コツ。
 足音はある家の前で止まった。
 そこは付近でも有名な商人の家だった。
 詐欺とも言える土地売買で一代で財をなした、成金の家。
 この家も元はある貴族から騙し取ったものである、とまことしやかに噂される。
 
 
 その門前に闇に溶け込むように人影が一つ。
 頭の上からつま先まで全身を黒に統一された服装に身を包み、数ある中の角の部屋の窓を見上げていた。





 暗黒社会の闇の中。
 静かに囁かれる名前があった。
 
 『闇の神官』

 それは、畏怖をこめて呼ばれる不吉な名。
 「彼」に依頼した仕事は必ず達成される。
 類稀なる暗殺技術。
 誰にも明かされない正体。
 だが、確実に”死”をもたらす。




 「ここですね・・・」
 どんな感情も読み取れない声音で男は呟く。
 窓枠に手をかけるとこの世に重力など存在しないかのように飛び上がり、そっと手をかけた窓をいとも簡単に開け放つ。
 音をたてることなく、屋内に入り込み・・・・・主人の寝室に歩を進めた。
 影の耳に聞こえてくる健やかな寝息。
 
 簡単な、ことだった。
 
 ぐさりと胸にダガーを突き刺せばそれおしまい。
 男の命はこの世にない。
 自分が死んだことさえ気づかぬ『死』
 影はそのダガーに男の手を添わせるとその脇に静かに佇んだ。
 
 ただ一人、男の死を看取る者として。
 そこには何の感慨もない。
 
 影は自分の仕事の成果を確実に知るために、そこに在る。


 
 夜の闇に身をひそめ、死を看取る。
 

 『闇の神官』
 その意味はここにある。




 生きることは男にとって何も意味しなかった。
 ただ空気を吸い、肺を動かし、心臓が脈打つ。
 その繰り返し。
 彼の瞳に映る世界は灰色で、全てが死に向かっていると思っていた。
 喜怒哀楽、男にはその全てが存在しなかった。



 いや。


 存在しない・・・そう思っていただけだった。
 
 その勘違いに気づいたのは奇跡。
 霧雨が降りしきる、あの日。
 彼の凍っていた感情は突然に溶け出した。


 彼は『ただ一つのもの』と出会ったのだ。
 

 


 
 「リナさん、そんな薄着で窓の傍に居ては風邪をひいてしまいますよ?」
 厳密に言えば少女は人間ではないので人間がそうであるように病気にかかるかは不明なのだが。
 それでも彼は、動こうとしない彼女にショールをかけてやった。
 少女は依然、曇った空を見上げ天から降る雨を見つめている。
 「意外ですね、リナさんは青空の広がる晴れの日のほうが好きなのかと思っていましたが・・・」
 「うん、晴れの日も好き・・・・・・でもね」
 彼女はそこで彼を振り向き、極上のルビーを輝かせて微笑んだ。
 「雨の日は・・・・・・・ゼロスと会った日だから、もっと好き!」
 「・・・・・リナさん」
 嬉しい。
 涙が零れそうなほど、ゼロスはリナの言葉が嬉しかった。
 自分ひとりではなく、彼女もその日を特別に想っていてくれたことが。
 
 自分に感情があると知った日。
 この世で最も大切なものを見つけた日。
 

 そして。




 闇から光へと足を踏み出した日。



 「リナさん・・・・・・ありがとうございます」
 貴女がこの世に存在したこと。
 「リナさん・・・・愛しています」
 貴女が傍にいる限り、二度と僕の手が闇に染まることはない。
 「あたしもゼロス・・・大好き!!」
 

 彼女は芳しいミルクの匂いを漂わせて、彼の腕の中へ飛び込んだ。