無臭
「ボンゴレ。貴方からはいつも違う匂いがする」
取引のために最近よく顔を合わせる相手にそう言われた綱吉は、緩やかに目を瞬いた。
その仕草は、年の若さに似合わない鷹揚さを秘めている、ように見える。
未だに身内には(特に家庭教師には)ダメツナだと言われている綱吉も、傍目には家庭教師に仕込まれた優雅な所作と東洋の血がなせるミステリアスな容貌のせいで、いい加減過大評価されている。
男相手にぽわぁと惚けている相手に、綱吉は曖昧な微笑を浮かべた。
「そうですか?…私は基本的に香水の類はつけませんから」
お前はいつも匂いがかいでいるのか、という突っ込みを呑みこんだ。
「そうなのですか?……確か、初めてお会いした時にはフゼア系、ラベンダーの香りが微かに……一昨日は、刺激的なエゴイスト……本日は渋みのあるエルメスのベルミですな」
詳細に解説されてしまったが香水のことになど全く感心の無い綱吉にはちんぷんかんぶんだ。
最近はそうでも無いのかもしれないが、日本人というのは体臭が薄いせいで、外国人ほどに香水が日用品とは思っていない。綱吉など『何か匂う』、というレベルだ。
「香水には造詣がおありのようですね。恐らく傍に居た相手のものが移ったのでしょう」
思い出してみれば、この男の最初の取引のときに護衛役を務めたのは獄寺だ。彼は火薬の匂いを消すために香水をつけている。それが、そのフ・・・何とか系とやらなのだろう。一昨日は、ディーノと食事をした。確かに彼は匂いだけでなく、存在自体が刺激的である。しかも出会った当初から弟弟子というせいなのか、やたらスキンシップ過多でそれは未だに続いている。出迎えて抱きしめられ別れ際にも抱きしめられ・・・まぁ、されていたら匂いの一つや二つ移っても仕方が無い。
綱吉は綱吉自身が言うように体臭は薄く、肌に余程近づかない限りその匂いはわからない。ゆえに他人の匂いというのも貰いやすいのだろう。
「そんなに気になりますか?」
「いえ、ただ……」
何かつけろ、という遠まわしの嫌味なのかと綱吉が尋ねれば相手は言葉を濁す。
「いつも違う香りというのも、淫らで艶っぽいものですな」
「……。……」
これはどうコメントするべきなのだろうか、と綱吉はひきつりそうになりながら必死で微笑を維持し続けた。
「なぁ、俺も香水をつけるべきなのかなぁ?」
「あ?」
ちょっと尋ねただけなのに、何故か凶悪な視線で睨まれた。
「だってさ、こっちに来て思ったんだけど、男も女もだいたい香水をつけてるよな?」
「東洋人、特に日本人みてぇに毎日風呂につかってるなんて人種も珍しいからな。一種の体臭消しだ。てめぇみたいに無臭に必要無い」
「無臭……て人を消臭剤みたいに。そういえばリボーンも香水つけてないよね」
「当然だ。俺を何だと思ってやがる」
綱吉僅かに考えた。ここで求められているのは自分の家庭教師、という答えでは無いだろう。
「……至上最強のヒットマン?」
綱吉の回答は先生に不敵な笑みをもたらした。どうやらご満足いただけたらしい。
「暗殺する人間がふらふら匂いをつけて歩けるか」
「あーまぁ、そうだよね」
気配を殺しても、香りで主張しては意味が無い。
「あれ?でもそしたらザンザスは?」
「何?」
「だって、一応ザンザスも暗殺……て言うのもおこがましいくらいいつも目立ってるけど……が仕事だよね?」
「まぁな。あいつも匂いなんてつけてねーだろ」
「昨日はつけてたみたいだよ。だって、俺に渋い匂いが移ってたらしいもん」
渋いと言われてついつい苦い緑茶を思い出していた綱吉だ。
「……クソどもが」
ちっ、とリボーンは何故か舌打ちした。
綱吉には匂いが無い。
だからすぐに他の匂いが移る。
それはまるで、己に染めたようで非常に男たちの――― 征服欲を煽る。
――だが、……すぐに消えてしまう。
己の匂いに染めたことが嘘だったように……
何ものにも染まり、何ものにも染まらない。