主よ 人の望みの 喜びよ 9


 一夜明けて、眩しい日の光がカーテンを開け放したままだった窓から燦燦と降り注ぐ。
 寝汚い綱吉にしては珍しく早く目を覚まして、身支度を整えていた。

(このままなし崩しに10代目になったんじゃそれこそリボーンの思うままじゃん・・っ)

 そうだ。日本に帰ろう。帰ってしまおう!

 昨夜、ザンザスが物騒な言葉を贈って去った後・・・綱吉の中にふつふつと怒りがこみ上げた。
 どれほどリボーンに虐待されようと、9代目に泣かれようと綱吉はこれまで10代目になることを承諾したことは無かった。大仰なスピーチもしたが、その中でさえ10代目という言葉は一つも吐かなかった。言質をとられればそれこそ後にひけなくなる。
 だいたいマフィアなんて物騒なもののボスが自分なんかでよいわけが無い。
 むしろ、ザンザスのほうが見るからにそれっぽいではないか。
 ザンザスが継げばいいのだ。マフィアのボスなんてやりたい奴がやればいい。綱吉はご免だ。
 ボンゴレリングなんて糞食らえ。どうしても必要だっていうなら、マリアナ海溝に沈めてやる。証拠隠滅。あとはレプリカでも作ってザンザスに贈りつける。ボンゴレの血筋だか、超直感だか知らないがそんなもの持ってない人間には、本物かどうかなんて見分けがつきはしないのだ。
 我ながらなんて名案だろう!
 ・・・とそこまで考えた時点で睡魔が遅い、綱吉は夢の世界へ旅立ったのだ。
 おかげで目覚めはここ数日無かったほどにすっきり。お肌も艶々。今ならば何でも出来そうな気さえする。獄寺は泣落としできるし、山本は『ツナがそー言うんなら別にいいぜ』と言ってくれそうだ。
 問題があるとするならば、やはり恐るべき家庭教師殿だろう。
 イタリアに来てからこっち、綱吉の視界に入らなくてもリボーンはその逃亡を警戒して傍に張り付いていた。一瞬でも良いからリボーンの意識を綱吉から逸らさなくてはならない。
 それが出来る方法を綱吉はたった一つだけ知っていた。
 綱吉は携帯を取り出し・・・ある番号を呼び出した。













 何事かあれば、屋敷の警護の総括をしているリボーンの元に報せが齎される。
 そのときも、黒づくめの男が戸惑うようにリボーンに伺いを立ててきた。

「門外顧問だと?……家光か?」
「はい」
 どうやら家光が訪ねてきて、綱吉に会わせろと言っているらしい。
 家光は一人息子の綱吉を溺愛している。その方向は少々……否、多分に間違った方向に行ってしまったため、当の息子には蛇蝎のごとく嫌われている。リボーンの知る限り、ここ数年親子でまともに顔を合わせたことも、会話を交えたことも無かったはずだ。妙なところで超直感を最大限に活用して綱吉は、家光を避けまくっていたのだ。おかげで、リボーンは家光に会う度に『お前はいつも傍に居てずるい』だの『俺もツナと遊びたい!』だの愚痴をきかされる。
 この際、無視して放り出せと命じようかとリボーンは一瞬考えたが……大人しく放り出される玉でもない。
「・・ここに通せ」
「はい」
 入室した時と全く態度の変化しないアルコバレーノに畏怖の念を抱きながら男は首肯した。


「よぉ!友よ!」
 数年前より少しばかり顔の皺の増えた綱吉の父親は暢気に片手を挙げて入ってきた。
「何の用だ?」
「おいおい。久しぶりに会ったてのに冷てぇこと言うなって。元気だったか?」
「見てわかれ。……ツナに会いに来たのか」
 綱吉がイタリア入りしたことは当然門外顧問にも知らされているだろう。
「もちろん……この数年、9代目のところに送られてくる写真でしか息子の成長を確かめられない父親の気持ちがお前にわかるか!?」
 かなり情けない主張だ。
「わからねぇな」
 まだ齢二桁にも達しないリボーンに父親の気持ちなどわかる訳などない。
「だいたい自業自得だろうが」
 何が何やら事情がわからぬうちに、10代目候補に祭り上げられ、暗殺騒ぎやら、ボンゴレリング騒動やら……他諸々……全ての元凶は家光が綱吉を候補として推薦したせいなのだから。
 その父親といえば、ほとんど家に寄り付かず、死んだか蒸発したかと思っていれば、平気な顔で帰ってきて「よぉ元気か!」だ。世間では難しい年頃と言われる頃だった綱吉が、そんな父親に対して好意を抱く余地など全く、これっぽっちも無い。
「ついてはだな、リボーン君」
「うさんくせぇ」
「せっかくイタリアに来たんだ。同じ土地で暮らすことになるわけだし、ここは親子の間の溝を一つ埋めるのに協力してくれっ!」
「……」
 頼むっこの通り!と手を合わせる……そういう姿は親子揃ってよく似ている。
 ため息をつきそうになりながら、リボーンはじろりと家光を見た。
「……見返りは?」
 当然、タダなわけが無い。
「おうよ!」
 家光はリボーンの目の前にワインのボトルをどん、と置いた。
「ほぉ、ブルネロ・ディ・モンタルチーノのビオンディ・サンティ・レセルバか」
「好きだろ」
「まぁ、嫌いじゃねぇな」
 綱吉が居れば、『子供に酒なんて贈るなっクソ親父!』と叫んでいたことだろう。
 リボーンはボトルを手にしようとして……はっと動きを止めた。
 そのまま立ち上がると無駄の無い動きで部屋を出て行く。
 向かった先は綱吉が居るはずの隣部屋。


 勢い良く開けられた扉の向こうで、庭に続く巨大な窓が開け放たれて風が吹き込む。


「ちっ」
 綱吉の姿はどこにも無かった。
 カーテンが自由を謳歌するように舞い上がっている。
「どうした、リ・・・」
「家光!」
 リボーンを追いかけてきた家光の眉間に、黒光りする銃口を向けた。
 慌てて両手を挙げる。
「おいおい、どうしたリボーン」
「てめぇ……ツナと謀りやがったな」
 家光は友の詰問に、情けなく目元を歪ませた。
「仕方ねーだろ。お前の隙を作ってくれたら、絶交取り消すって言うんだからさ」
 家光の返事は『YES』しかなかっただろう。
「っダメツナが……っ」
 低くドスのきいた声で一言吐き捨てると……リボーンはにやりと笑った。
 家光の背筋さえ震えさせるような獰猛な気配を纏って。



「おもしれぇじゃねぇか……鬼ごっこの開始だな」



 リボーンの目に宿った執着の強さに、家光は天を仰いだ。