主よ 人の望みの 喜びよ 8
与えられた屋敷での初めての夜。
またとんでも無い理由をつけて騒ぐのかと思いきや。
リボーンは『チャオ』と告げて姿を消し(愛人のところにでも行ったのかもしれない)、獄寺も山本も綱吉を残して己に与えられた部屋に戻っていった。
綱吉に与えられた部屋は広く、防弾ガラスの向こうにはよく手入れされた庭が広がっていた。夜の闇の中でその素晴らしさはわかりかねたが、空を見上げれば満天の星が輝いている。
静かだった。
悪戯をする子供もおらず。
銃弾が飛び交うことも無く。
町の喧騒も遠い。
耳鳴りがするような静寂。
綱吉は無表情で夜の闇を眺め、ぼんやりとしていた。
(ずっとこんな夜が続くのかな……)
だとすれば、耐えられない。耐えられるわけが無い。
底知れぬ恐怖と不安に襲われ夜を生きなければならない。
(そんなのは嫌だ……嫌だ……イヤだ……っ)
「おい」
「!!!!!!」
突然頭上から響いた声に、声にならない叫び声を綱吉は上げた。
慌てて振り返れば、いつの間に入り込んだのか・・・・懐かしい(というにはその思い出はあまりに殺伐としていたが)顔が。
「相変わらずの間抜け面だな」
「ザン、ザス……」
何でここに、と問おうとして……それが愚問であることに気がついた。
ここはイタリア。ザンザス率いるヴァリアーの、当然本拠地でもある。
しかし、それでも今ここに、この場所に居る理由にはならない。ここは9代目から綱吉に与えられた屋敷で、未だ人気も少なく、最低限必要な人間しか置かれていない。
もしや性懲りも無く、また綱吉の命を狙ってきたのか!?
瞬間的に身構えた綱吉を、長身から馬鹿にするように見下ろしてくる。
そのままずかずかと綱吉に歩み寄ると……ぶつかる直前で止まった。
「……」
「……」
そのまま互いに上下で睨みあう。
「や、やぁ」
とりあえず挨拶してみた。
「ふん」
鼻であしらわれた。
いったい何の用なのか。用があるならさっさと言ってほしい。わざわざここまで近づいて睨みつける必要など無いのに。
「遅ぇ」
「は?」
「来るのが遅ぇ」
来るのは、て・・・来たのはザンザスだ。遅いも何も無い。
遅いのが嫌なら早く来い。
超直感の持ち主のくせに、綱吉の思考回路は鈍い。リボーンに未だダメツナ呼ばわりされる所以の一つだ。
「てめぇだ」
「あ?」
「てめぇにリングが渡った時点で10代目は決まっていただろうが」
「えー……と」
それはつまり、ザンザスは綱吉に対してイタリアへ来るのが遅い、と。
主語も何もかも必要なものを根こそぎ省いて文句だけ言うので伝わらない。
「俺は、マフィアなんて……」
常に綱吉の預かり知らぬとろこで事態は進展していく。周囲は綱吉を追い込むようにこの世界へ閉じ込める。逃げ道はどんどん塞がれていく。
それでも綱吉は、マフィアになる気など無かった。
ザンザスがちっと舌打ちした。
「いい加減諦めちまえ」
はっと綱吉はザンザスの顔を見なおした。
「諦めきれねぇなら」
ザンザスが綱吉の腕を拘束し……耳元で宣告した。
『俺が殺す』
ザンザスが綱吉の部屋から出てくると、黒衣の死神が壁に凭れていた。
トレードマークのボルサリーノを引き上げて、綱吉には一度も向けたことの無い無情な視線をザンザスに流した。
「アルコバレーノも地に堕ちたな」
ザンザスは口端を引き上げ、見せ付けるように嫌味に笑う。
「……誰よりもボンゴレ。てめぇらのボスだ。満足だろう」
戦慄のアルコバレーノさえも手こずらせる綱吉はザンザスの主となる。
リボーンは誰よりも諦めの早い綱吉の、諦めの悪さを叩き崩す役目をザンザスに押し付けた。本来ならばリボーンがするべきことだったはずだ。
だが、出来なかった。
リボーンはあまりに綱吉の傍に長くありすぎた。
誰もが畏怖する死神に、綱吉は甘える。……本人は決してそれを認めはしまいが。
その甘えを、リボーンは拒むふりをしながら……拒めない。その甘えを、リボーンの理性ではなく、本能が許してしまっているのだ。
それをリボーンは自覚していた。
親しい言葉など交わす余地も無く、ザンザスはリボーンの前を通り過ぎる。
「これで、あいつは俺たちのものだ」
淡々としたザンザスの、通り過ぎざまの言葉。
リボーンの、少年の幼い手が……強く握り締められていた。