主よ 人の望みの 喜びよ 5



 届いた服に着替えさせられた綱吉を見て、リボーンが口角を上げた。
「うるさいっての」
「十代目っ!いつにもまして輝いてますっ!」
「…ありがとう」
 そこまで手放しの賞賛は嘘っぽい。
「似合ってるぜ、ツナ」
「ありがとうございます。でもディーノさんのほうがずっと似合ってますよ」
 普段、ボスとは思えないラフな格好をしているディーノだったが夜会服の黒を纏った姿は、男の色気5割増といった感じで。自分とは全然違うな、と綱吉は鏡に映る自分を見つめ返した。
 どこか不安そうな顔で分不相応な紳士服に包まれている、まだまだ少年の域を出ない華奢な体躯は頼りなく、情けない。こんな自分のいったいどこが十代目と呼ばれるに相応しいのか本気で謎だ。
「ツーナ。せっかく可愛い顔してんだから眉間に皺はダメだぜ」
「可愛いって…それ、全然嬉しくありませんからっ」
 半分羞恥、半分怒りのために頬を僅かに染めた綱吉は、可愛い以外の何者でも無い。知らぬは本人ばかり。
「大丈夫だって。そのうちツナは化けるからさ」
「化けるって…」
 はぁ、と綱吉は肩を落とした。
「ぐだぐだ言ってねーで。そろそろ行くぞ。スピーチは考えたんだろうな」
「……一応、ね」
 どうしても避けて通れない道ならば、何とかして通るほかは無い。ここで無理だっ!と言い張ったところで、今度はリボーンに死ぬ気弾を打たれるだけの話なのだから。
 さすがに不特定多数のマフィアの前でいきなり裸になりたくは、無い。
「十代目っ楽しみしてますっ!!」
「………」
 獄寺君は楽しそうでいいなぁ、とその性格がちょっぴり羨ましくなった。










 いったい何人くらい収容できるのかわからないくらいに広い大広間に、埋め尽くすほどの人が集まっていた。これら全員がボンゴレと友好同盟を結んでいるファミリーのボスや
右腕、その他主要人物だというのだから、ボンゴレがどれほどに巨大な組織なのか察せられる。

「ではそろそろ行こうか、綱吉」
「・・・はい」
 綱吉のエスコートは9代目自らが勤める。もっと別の目立たない人間が良かったが『誰にしろ10代目の初披露で目立たないわけがあるか』とリボーンに一刀両断された。
 正直に言えば気が重い綱吉だった。
 あの、光の下に出れば二度と戻れない場所に足を踏み出すことになる。
 今さらながら意地を張らずにコロネロと逃避行すれば良かった…と後悔している。
「綱吉」
 優しい9代目の声、だが同時に有無を言わせない力がこもっている。
 戻れない、では無い。
 ボンゴレという巨大な檻が、綱吉を決して逃がすことは無い。
 背中に当る温かな手にさえ、悪寒を感じる。
 ああ。
 目を閉じて、開けた向こうにあるのは眩い光の洪水。
 シンと喧騒が静まり返り、現れた9代目と綱吉に全ての視線が集まっているのを感じる。

 リボーンはどこに行ったんだろう…獄寺君は……?

「ようこそ我が屋敷へ。今宵は誠に素晴らしい夜です。私が待ち望んでいた者がついにやってきてくれました」
 9代目はそこで言葉を切り綱吉の肩に手を置いた。

「私の正当なる唯一の後継者。ボンゴレ十世です」

 一拍置いて、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。
 綱吉は、呆然とそれらを上から眺めることしか出来ない。

「綱吉。彼らに言葉を」

 オレは。

「オレは…」
 マフィアになんて…

 『世の中には、そんな世界でしか生きられない奴が居る。獄寺に今さら”普通に”生きろと言って、生きられると思うか?………この俺だって同じだ』

 なりたく、など無い。
 なれるわけが、無い。
 だが。
 ここで、綱吉が10代目などになる気は無いと告げたならば……恐らく後継者争いの抗争が再び勃発するだろうことくらい容易く想像がつく。
 平和に普通に生きる綱吉、その一方で傷つく『仲間』たち。知ってしまったからには、もう知らないままでいることなど出来るわけが無い。そこはもう無関係な世界では無く……

 静まりかえった大ホール。
 同盟マフィアのドンやトップたちが、今か今かと綱吉の言葉を待ちわびる。
 豪奢なシャンデリアの下、よく磨き上げられているはずのホールの床は彼らに埋められて見えない。ふと、ホールの隅に目をやった綱吉は…壁に背を預けるように立てるリボーンを見つけた。トレードマークの黒い帽子を目深に被り、いつものように肩へレオンを乗せて…

『この俺だって……』

 あれは。
 綱吉が始めて聞いた、リボーンの弱音だったのではないだろうか……


「オレは、………贄、です」


 綱吉は静かに、リボーンに叩き込まれたイタリア語でゆっくりと言葉を綴る。


「ボンゴレに捧げられた生贄。この細胞の一欠けら、この身に流れる血の一滴に至るまで」



       ボンゴレのために」



 綱吉は幼さの残る柔和な顔に、リボーン仕込のアルカイックスマイルを浮かべてみせた。
 それはまるで、聖母の浮かべる慈悲の表情にも、堕天使の浮かべる誘惑の笑みをも思わせ、彼らは綱吉の言葉以上に、その表情に魅せられた。
 しばらく、沈黙が落ち。
 ボンゴレ…と誰かが呟いた小さな囁きが…ヴィーバ、グローリアと熱気の篭った歓声へと変わってく。

 呆然と、笑顔を貼り付けたままその騒動を見下ろしている綱吉の横で、9代目が満足そうに笑みを刻んでいた。










 十代目!オレ!オレっどこまでもついて行きますっ!!
 オレの全ては十代目に捧げますっ!!

 一段落ついて、漸く人ごみから解放されて部屋に戻ってきた綱吉に付き従っていた獄寺が興奮して言葉を綴る。顔は紅潮し、目はキラキラして…いつもの美男っぷりなどどこに置いてきたのかという崩壊した表情。
 いきすぎた獄寺の忠誠には、ここ数年ですっかり馴らされた綱吉は…ははは、と乾いた笑いで応じる。
 ここで綱吉まで興奮していては、相乗効果で、本当にどこまでもいってしまいかねない。
 そんなのは嫌だ。
 イタリアに来ていることさえ、まだ納得できていないのに。
「……疲れた」
 本気で、疲れた。
 呟いた綱吉に、はっと我にかえった獄寺が『お騒がせしてすいませんっ!どうぞごゆっくりお休みください!オレ、外で見張ってますから!!邪魔する奴は果たしますっ!』と、どう考えても綱吉がゆっくり休めそうにない発言をしてくれる。
「いや見張ってなくていいから!ほら…獄寺君もオレに付き合って疲れただろ。ゆっくり休んだほうがいいって」
 獄寺が外で通りがかる人間全てに喧嘩を売る様が想像できて、とてもではないが『ゆっくり』休めないという本音は置いておいて。
「ありがとうございますっ!十代目っオレのことを心配してくださるなんて…っ!!でも大丈夫っす!この程度の疲れなんてジャングルで野生の虎と戦い続けた日々に比べれば…」
 何やってんの君!?
 遠い目になった獄寺に、綱吉は改めて得たいの知れなさを感じた。
 

「獄寺、下がれ。ツナはオレが見張ってる」


 『オレを』ね…。
 いつの間にか部屋に入り込んでいたリボーンに、驚くのさえ面倒だ。
 獄寺はリボーンの言葉にも渋っていたようだが、反論を許さない気配に……まるで母犬から離される子犬のような目を綱吉に向けながら部屋を出て行った。
 リボーンは部屋の中央にあるソファに歩いていくと、そこに身を投げ出す。
「寝るなら、服はちゃんと掛けとけよ」
 綱吉の視線にそれだけ言うと、リボーンは銃の手入れを始めた。

「リボーン」
「戻れるなんて思ってねーだろ」
「……」
 心が読めるリボーンにとって、綱吉が何を言い出すかなどすっかりお見通しというわけか。
「まぁ、戻っても『沢田綱吉』なんて人間は存在してねーけどな」
「な…!?」
 驚く綱吉に構わず、リボーンは淡々と続ける。
「お前があの家を出た瞬間に、お前に関係するモノは全部消してきた。……ママンと京子たちの記憶からもな」
「……っ」

「お前の戻る場所は無い」

 綱吉の膝がかくり、と崩れ落ちる。
 顔に落ちた前髪が影を造り、華奢な肩が震えていた。
「………ひどい、酷いよ、リボーン……」
 ぽとり、と毛の長い朱色の絨毯に何かが落ちた。
「……誰にも、何も、別れの言葉さえ、言わせてくれないなんて」
 責めるような綱吉の言葉にもリボーンは微動だにせず、銃身を磨いている。
 ただ。

「恨んでも、構わねぇぞ」

 そんな言葉を。 
「…………恨む、なんて」
 綱吉がゆっくりと立ち上がった。



         ありがとう」



 聞き間違えようのない感謝の言葉に、初めてリボーンの手が止まった。
 綱吉は笑っていた。

「…お前を恨むなんて出来るわけないだろ。…お前から見れば、オレは相変わらずダメツナなんだろうけど…お前が、母さんたちを守るためにそうしてくれたことぐらいわかるよ。…オレの弱みだもんね。守ってあげられればいいけど…今の、オレじゃ…無理だ」
 ボンゴレ十代目が確定しているとはいえ、組織全てを掌握しているわけでは無い。
 リボーンは綱吉には容赦なく厳しかったけれど…彼は綱吉の周囲の者には優しかった。綱吉から波及する害からいつも守ってくれていた……自分のことだけで精一杯な綱吉の代わりに。

「今さら恨むなんて…恨むんだったらお前がオレの目の前に現れたあの時にしてたよ」

 だからせめてもの意趣返しに、感謝の言葉を。
 恨みの言葉の代わりに。

「もう、日本には帰らせてくれないんだろうね……」

 琥珀色の目を窓に向けた綱吉は、リボーンを振りかえり…おやすみ、と小さく呟いて寝室に消えていった。









 残されたのは、苦虫を噛み殺したような表情を浮かべる黒衣の暗殺者だけ。