主よ 人の望みの 喜びよ 4


『ありがとう、コロネロ…』

 切なくなるような笑顔で、そう言った綱吉は抱きこんでいたコロネロを解放した。
 そのまま口を閉じ、窓の外の景色に目をやった。
 車は屋敷へ戻る。
 コロネロは繰り返さなかった。





 9代目の屋敷に戻ると、静かだったはずの屋敷は喧騒を帯び、色々な人間が忙しなく出入りしていた。
 それでも綱吉たちが乗った黒塗りのロールスが通り抜けると、まるでその進路を邪魔することは神への冒涜であるかのように即座に脇へのけ腰を折って一礼する。
 玄関先のスロープに横付けされた車から降りると、出迎えたのは何とディーノだった。
「よっ」
「ディーノさん!?」
 驚く綱吉に、笑顔で軽く手をあげる。
「ツナがイタリアに来てるって連絡もらって来てみたんだ」
「そうなんですか…」
 かなり身軽に日本に来ていたからディーノがこのイタリアでボンゴレの同盟ファミリーの一つを率いていたことを忘れてしまう。
「いい所に来た。こいつとマナーの復習だ」
「は?」
「いいぜ」
「え、ちょっと…っ」
 何でいきなりマナーの復習?と戸惑う綱吉にリボーンは鼻で笑う。
「お前はこのパーティの主賓だ。とちらねぇようにな。あとスピーチも考えておけよ」
「はぁ!?」
 それだけ告げるとリボーンは屋敷の中へとさっさと入っていく。
「リボーンっ!」
「ツナ、オレたちはこっちだぜ」
「ディーノさんっ、こっちって・・・っ」
「おいこらっ十代目に馴れ馴れしく触るんじゃねぇっ!!」
 いつになっても変わらない十代目フリークな獄寺は、ダイナマイトを取り出す。
「ちょっ、獄寺君!ここっここ九代目の屋敷だからねっ!!」
「あっははは、相変わらずだなぁお前ら」
 初めて出会ったころよりも更に大人の余裕と渋さを増したディーノは若手のマフィアの中ではダントツの実力者なのだろうに、弟弟子であるツナを可愛がってくれる。
「あ、そういえば・・・ディーノさんとはここ一年くらい会ってませんでしたっけ?」
 一時は月1どころで無い回数、日本を訪れていたディーノだったが、一年前くらいから、その訪れがパタリと途絶えた。最初は何かあったんじゃないかと心配した綱吉は、リボーンに尋ねてみたが、『他人の心配よりてめーの心配でもしてろ』とケンモホロロにあしらわれた。
 それでも教え子の一人であるディーノの情報をリボーンが何もつかんでいないなど在り得ず、綱吉に何も言わないということは変わり無いのだろうと思っていたのだが。
「あー、そうだったな」
「忙しかったんですか?」
 マフィアが忙しい、というのも微妙だが。
「あー、忙しいっつーか、リボーンに来るなって言われてたんだ」
「リボーンに?」
 初耳の話に綱吉は驚いた。
 ディーノをいちいちイタリアから呼び寄せて、ツナにボスの何たるかを教えようとしたのはリボーンのはずなのに・・・それが何故。
「あいつも色々考えてんだろ」
 渋い顔をする綱吉に対して、ディーノは気にするなと笑ってみせる。
 リボーンの本当に意図するところをディーノが全て察することは不可能だ。だが、ディーノをキャバッローネファミリーのボスに、数ヶ月で育て上げたリボーンが、綱吉には数年ずっと傍に居て、未だボスに育てきれていない。
 綱吉にその能力が無いから、では無い。それならば、無駄なことはせずに早々に見切りをつけて離れていたはずだ。それをせず、ずっと傍に居るというのは・・・
 ダイナマイトに点火しようとした獄寺を諌めている綱吉を見て、ディーンは目を閉じた。

(リボーンは……ツナを唯一無二の『ボス』に)

 一年会わずにいた弟弟子は、少し身長が伸びた以外は変わったところは無い。
 よくまぁ、あのリボーンの教育に毎日晒されていながら変わらないものだ、とそのほうに驚いてしまうほど。
 いっそ厄介な生徒を与えられたリボーンに同情してしまいそうになる。

「すみませんっディーノさん……忙しいのにリボーンが無理言って」
「気にスンなって。オレも呼ばれてたしな、今日のパーティ」
「そうなんですか?何かいきなりなことばっかり、オレ……」
 綱吉の眉間に再び皺が寄る。
 見たことの無い、伏目がちの憂いを帯びた綱吉の表情にディーノは驚かされた。
 はっとするような、底知れない暗さを秘めた……
「ツナは、やっぱボンゴレのボスになるのは嫌なのか?」
「それはっ……その、オレは、ボスって柄じゃありませんから」
 ディーノの問いかけに答えているようで答えてない。
「…ディーノさんも初めはマフィアのボスになるつもりなんて無かったて言ってましたよね?」
「ああ、そうだな……」
 しかし、まさに青天の霹靂のように振って沸いた綱吉とは違い、ディーノは生まれたときから己の素性については知っていた。知っていたからこそ、マフィアのボスなんぞ糞ッ垂れと思っていたのだから、綱吉とは随分違う。
「それが……どうして、ボスになったんですか?」
 綱吉が恐る恐ると言った風情で、ディーノを見上げてくる。
「・・・そうだなぁ・・・」
 理由ならいろいろある。部下を守るため、街を守るため。一般人を巻き込む馬鹿なマフィア連中に腹を立てたため。気分よくするための理由ならいくらでもある。
「強いて言うなら、仕方なく、か?」
「仕方なく?」
 まさかディーノの理由がそんなものであるとは思いもしなかったのだろう綱吉が目を丸くしている。
 そう……仕方なく。それが一番の理由かもしれない。
 ディーノの前に初めて姿を見せた黒衣の死神が告げた言葉……


 『ボスになるか死ぬか、どちらか選べ』


 二者択一を迫る銃口の先で、ディーノの選べたのは前者のみ。
 あまりに理不尽だと思った。だが、また理解もできた。
 ディーノがボスにもならず生きていては、それこそ騒動の種にしかならない。ボスにならないのならば、余計な火種は早々に始末してしまう。
 今一人死ぬか、後で百人死ぬか。
 リボーンなら迷うことなく前者を選ぶ。そこに容赦は無い。
 ずっと。
 そう、ディーノの元を離れて新しく生徒を持ったという話を聞いて…会いに行くまで、リボーンという存在は、どこか違うもののように感じていた。

「リボーンも人間離れしてるけど、人間だったんだよなぁ」
「は?」
 ディーノの独白に、綱吉が首を傾げる。
「…リボーンはリボーンですよ。あいつを人間と一緒にするのは、人間に対する冒涜だとオレは思いますねっ」
 口をへの字にして言い切った弟弟子に、笑ってしまう。
 そういうことをリボーンの前でも平気で言えてしまう、その存在の方が計り知れない。
 リボーンはリボーンだと言い切ってしまう、その強さが。

 最強の暗殺者を、……リボーン自身をも翻弄しているのだ。

「ディーノさんはオレと違って、優秀だから……」
「そんなこと無いだろ。綱吉だって十分……」
「……オレは、ダメツナのままでいいんです。それで…普通に暮らせれば」
「ツナ……」
 小刻みに揺れる、薄い肩にディーノは手を置いた。



         諦めなくちゃいけないって、判っているのに」



 囁き、綱吉は空を見た。