主よ 人の望みの 喜びよ 1




 あの頃は大変だったなぁ、と綱吉は晴れ渡る青空を見上げてしみじみ思うのだった。







 高校受験。
 ボスたるもの、頭も良くなくてはいけないと言うリボーンによって近隣でも有数の進学校へ進路希望を無理やりに(脅されて)出すことになった。もちろん、担任は呆れるのを通り越して『現実を見ろ』と哀れむような視線で説得をはじめた。綱吉だって、出来ることなら担任の言うように自分の成績でも行けるような無難な高校にしたい。したいが、背後には銃で脅す家庭教師が居るのだ。
 こんな理不尽なことがあるだろうか。
 自分の進路を自分では決められないなんて。
 だが、そこは今まで周囲に流されるまま生きてきた綱吉である。人生に苦悩するなんてことは無く、リボーンに死ぬ気弾を撃たれて泣き喚き、獄寺も借り出されて(彼は狂喜乱舞していた)猛勉強させられること一ヶ月(…どうせならもっと早く勉強はじめさせてくれればいいのに)。
 信じられないことに、合格してしまった。
 周囲もそれはそれは驚いたものだが、一番驚いたのは綱吉本人だ。まさに奇跡。
 嬉しいんだか、悲しいのだか胸中は複雑だったが。(だって別に自分が行きたくて選んだ学校じゃないのだ)
 そんな中で、唯一の救いといえばずっと憧れている京子も同じ高校だったことくらい。
 そしてやはり獄寺も同じ高校で、山本もスポーツ推薦で入学を決めた。
 結局、綱吉の周囲は何も変わることなくそのまま高校に上がったようなものだった。

 そんな感じで始まった高校生活は、適度に楽しく、適度に大変で。おそらく、日本の標準的な高校生と同じように過ごせたのだろう。進学校ということで懸念されていた勉強も、リボーンのスパルタ教育の結果か、上位という訳にはいかなかったが中程度の成績で、特に目をつけられることも無かった。
 ごくありふれた…というにはプライベートは相変わらず騒々しかったが、まぁそれは除いて…日常が続き、綱吉は都合よくリボーンの本来の目的を忘れていた。
 いや、忘れたように暗示をかけていた。リボーンが未だに傍に居ることが、彼の目的が果たされず継続中であることを示唆していたが…綱吉は、故意に忘れた。
 このまま普通に、日本で大学に進学して就職して、結婚して。
 ボンゴレなんて、マフィアなんて紙面やテレビの中だけのことにしておきたかった。
 だが。



「もういいだろ」



 高校三年の夏。
 銃の手入れをしながらぼそりと呟かれたリボーンの言葉に、綱吉は『普通』が終わったことを否が応でも自覚せずにはいられなかった。










「嫌だ。オレはマフィアになんてなる気ないから」

 綱吉は、ぐっと拳を握り締めてリボーンを睨みつけた。
 恐怖で冷汗が流れる。たった五歳児を何故これほど畏れなければならないのか理不尽だが、相手は理不尽な五歳児なのだ。彼に常識など通用しない。
 それでも口答えできるようになっただけ、綱吉も成長したのかもしれない。
 以前なら、問答無用。口答えした瞬間に銃で脅され、無理やりに頷かされていた。

「ふん。お前の意思なんか聞いてねぇ」
 相変わらずのリボーン節。
「9代目がお前を10代目に指名した。それが全てだ」
 確かに、それが綱吉の最悪な運命を決めた。
「……たかが、初代の血を引いてるからって、それだけで別にオレじゃなくたって、もっと相応しい奴は居るだろ!?オレは嫌だ!オレは下りる!」
「馬鹿だな、ツナ。お前に決定権は無い」
「……っ」
 怯んだ綱吉に、リボーンは物騒な笑みを刻んだ。
「もっとも、お前が死ねば話は別だけどな」
 マフィアになるか死か。そんな究極の選択なんて最悪だ。
 唇を引き結んだ綱吉は、うつむき……そして、勢いよく顔を上げた。
「だったら、オレを10代目に指名した9代目に別の人を指名してもらえばいいじゃないか」
 ひょい、とリボーンは器用に眉だけ動かした。
「な、それだったらいいだろ!?」
 勢いこむ綱吉に、リボーンは手入れを終えたらしい愛銃を懐にしまった。
「誰が9代目にそれを言う?」
「それはリボーンが…」
「オレの仕事はお前をボスにふさわしく育てるってだけだ」
「……だったら、オレ手紙を書くよ」
「マフィアになるのは嫌だから他の人を指名してください…て?はん、9代目の元に届く前に処分されるだろうよ」
「…っだったらどうすればいいんだよ!お前だって、オレが本当にボンゴレのボスが勤まるなんて思ってやしないだろっ!いつまでこんな茶番続けるつもりだよ!」
 綱吉は、綱吉なりに必死だった。
 そんな綱吉に、やはりリボーンはあっさり言ってくれた。

「お前が直接、9代目に会って言えばいい」

「…9代目に?オレが?」
 寝耳に水の如く、綱吉が無防備な表情を晒した。
「案内ぐらいはしてやるぞ」
「……それってオレがイタリアに行く、てこと、だよな?」
「当然だ。9代目はイタリアに居るんだからな」
「………」
 綱吉はこれまで『正規の手段で』海外に行ったことは無い。…不法に、なし崩し的にマフィアランドに連れていかれたことはあるが。あれはカウントには入らないだろう。
「…オレ、イタリア語なんて話せないもん」
「心配するな。9代目は日本語もぺらぺらだ」
「え!?そうなんだ…でも」
 ここにきて生来の気弱さが現れた。
「よし、行くぞ」
「は!?」
 気づけばリボーンの手に小さなスーツケース。準備万端だ。
「な、何言ってんだよ!オレ、パスポートなんて持って無いし!第一学校はどうするんだよ!」
「パスポートは必要ない。学校には風邪とでも言っとけ」
「はぁっ!?」

「リボーンさんっ!車まわしてきました!」

「獄寺君っ!?」
 何で君がここに。
「本日もご機嫌麗しく、十代目!」
「……全く麗しくないんだけどね…」
「さっさと行くぞ」
「ちょっと…っ」
「十代目、お荷物はこちでよろしいですか!?」
「えぇっ!?」
 何そのボストンバッグ!?
「ていうか獄寺君が運転するのっ!?」
「まかしてください!あっちじゃ、物心ついたころから乗り回してましたから!」
「それ普通じゃないよっ!」
「ありがとうございますっ!」
「いや、誉めてないって!」
「さっさとしろ」
 リボーンの言葉と共に銃弾が目の前を過ぎる。
「っ危ないだろっ!!」
 言っても無駄なことはわかってはいるが、それでも綱吉は未だに苦情を叫んでしまう。
 いったいパスポートも飛行機のチケットも何も無い状態でいったいどうやってイタリアまで行くつもりなのだろう、との綱吉の疑問は獄寺の運転する(絶叫マシーンなんて鼻で笑ってしまうような恐怖のひと時だった)車が東京湾のある埠頭についたところで解消された。

「よお、久しぶりだな。コラ」

 成長したコロネロが、潜水艦らしきものから頭を出していた。













 久しぶりに会ったコロネロに挨拶もそこそこに、綱吉は潜水艦に放り込まれた。

「痛っ!…たく乱暴なんだからな…へぇ…潜水艦の中ってこんなになってるんだ」
 打った頭を抑えながら綱吉は興味津々ときょろきょろ見回す。
「おい、コラ。遊んでるんじゃねーぞ」
「あ、コロネロ。潜水艦の中って結構広いんだね。映画とか見るともっと狭い感じなのに」
「特別仕様だ」
 それはそうだろ。普通の潜水艦に、赤い絨毯は敷かれていないだろう。
 しかも妙に中世的な内装で、ここが潜水艦の中であることを忘れてしまいそうだ。
「お前はそっちだ、コラ」
「へ?」
 前方の網目模様のメインスクリーンの椅子を示され、綱吉は首を傾げる。
「そういえば、この潜水艦ってコロネロ以外に乗組員とか居ないの?」
「居ない。お前らが動かせ」
「は!?」
 今、何かありえない言葉を聞いたと思った綱吉は、コロネロの顔をまじまじと見つめる。
 だが、その顔はリボーンと同じように表情からでは冗談なのか本気なのかうかがうことは出来ない。
「じょ…冗談、だよな?」
「そんな暇はないぞ、コラ」
「ばっ…そんな、無理言うなっ!!操縦の仕方なんて知らないからなっ!」
「問題ない。睡眠学習で覚えさせた」
「はぁっ!?」
 リボーンは事も無くそう言うと、背後に備え付けられたクッションの良さそうなソファに偉そうに腰を下ろした。
「そんなの、聞いてないっ!」
「当然だ。言ってない。おら、さっさと出せ」
「馬鹿っ!潜水艦の中で銃なんて出すなよっ!!」
「騒々しいぞ、コラ。兵士は無言、行動で示せ」
「オレ兵士じゃないしっ!!」
「さすが十代目!ではオレはこちらを!!」
「てか、獄寺君操縦できるの!?」
「大丈夫です!根性で★」
 素敵な笑顔で、親指をぐっと立ててくれる。
「根性でどうにかできるもんじゃないよっ!!!!」

 綱吉は海の藻屑と消えるか否かの瀬戸際に立っていた。