真心配御無用
その日、情報部の巨大スクリーンの前に、O2は満面の笑みで座っていた。
日頃、嘲笑や罵倒以外ではほとんど表情を変えないO2の、そのあまりに異常な様に、部下たちは
揃いも揃って、我先にと仲間のことなど気にかける様子もなく押し合い圧し合いしながら入り口に殺到した。
彼等の混乱は極みに達しようとしている。
あともう少し突付けば、泣き喚いて『お母さ~ん』と叫び出しそうなほどに。
連邦でも名高い、悪の牙城に勤める情報部の生え抜きエージェントたちが。
今日はきっと仕事にならないだろう。
そんな混乱を招いているなど、O2が知らないはずも無く、知っていて面白がっているのだろうが、O2は
珍しくもそれ以上に、逃げ出す彼等を苛めたりはしない。
普段ならば、ここでもう一押ししておくところだが、今の彼には一瞬たりともこのスクリーンの前から動けぬ
理由があった。
もちろん、テロリストに片足をやられて動けないから、なんて理由では無い。
O2にとって、足の一本や二本、自由自在に生やして増やせるものだ。タコと同じ。
……と、そんな信憑性の高い噂が情報部では流れている。
そんな噂はともかく、今のO2の笑顔は、間違いなく世間で評されるところの『やにさがっている』という
状態が一番近いだろう。
そのとき、通信開始の合図が広い部屋に鳴り響いた。
いつもならば、それに対応するオペレーターが居るのだから、あいにく逃げ出した連中の一人。
しかし、O2にはそんなもの不用である。
応答する、という意識を向けるだけで、スクリーンに待ちかねた人の姿が映し出された。
「マリリアード……」
『……ふぅ』
夢心地に呟いたO2に対して相手は、彼の顔を見るなり大きな溜息をついた。
「久しぶりに顔をあわせる夫に大してあまりな反応だな」
『ええ、あまりに元気そうな姿に、少し眩暈がしました』
「そうか、思う存分喜んで構わんぞ。どうせならば、直接に会って抱きしめてやろう」
『寝言は寝て言って下さいね、オリビエ。本当にあなたは・・・相変わらず懲りずに、仕事に励んでいらっしゃる
ようで、悪名が轟いていますよ』
「なつかしくなったか?いつでも帰ってきて構わんぞ」
『何だか、突然通信を切りたくなってきました。今、こうしてあなたと話している自分の正気を疑っている
ところです』
「安心したか?」
会話の飛躍に戸惑うことなく、マリリアードは沈黙すると再び溜息をついた。
『さすが殺しても死なない、というだけあっていつも以上にお元気にピンピンされてるようですね。その足を
見なければ、誰もあなたがテロにあったなどとは信じないでしょう』
「むしろ、私はテロリストに感謝したいほどだ。おかげでこうしてお前から通信がきた」
『……。……』
「マリリアード」
『その胡散臭い声で名前を呼ぶのはやめて下さい。私の名は”フリーダ”ですよ』
往生際の悪い相手に、O2の笑みはますます深まる。
今回ばかりは、どうやらマリリアードの負けのようだ。
『別に心配をしたわけではありません』
「ほぅ」
『あなたがあの程度ではくたばらないことは、よくわかってますから』
「では、何故通信を寄越した?」
『あなたの弱っている姿をネタに揶揄おうと思いまして』
「それはそれは、思惑が外れて残念だったな」
『全くです』
O2はついに、くつくつと喉を鳴らし始めた。
マリリアードがどれほどに憎まれ口を叩こうと、その本心はO2を心配していたのだとそれこそ、O2には
わかりすぎるほどに『よくわかっている』のだから。
当のマリリアードも自分の分が悪いことがわかっているのか、秀麗な美貌を不機嫌に歪めている。
それでも、破格の美しさは少しも損なわれていない。
「心配するな。私は死なない。テロリスト如きにやられては、これまで地獄に送ってやった奴らにそれこそ
あわせる顔が無い」
『あなたにそんな殊勝なところがあるとは少しも知りませんでした』
「憎まれっ子世に憚る、だ。せいぜい長生きしてやるさ」
『そうですね』
「そして、お前に私の死を看取らせてやろう」
『……。……さすが年寄りは仕返しがねちっこいですね』
「麗しい夫の愛情を疑うのか?」
『誰が夫ですか、誰が』
「離婚した覚えが無いから、私はお前の夫で、お前は私の妻だ」
『確か、離婚が成立するのが別居して5年でしたか』
「心配するな。別居では無く、単身赴任ということにしてある」
『……。……あなたの用意周到さに涙が出ます』
「そうか、大いに感謝して涙を流せ」
『これ以上あなたと話していては、私の精神衛生上よろしくありません。こちらの場所が割れないうちに
さっさと通信を切らせていただきます』
逆探知される、ギリギリのラインでマリリアードは会話を打ち切った。
さすがに手ごわい相手である。
『・・・・お元気で』
O2の返事を聞く間もなく、通信は一方的に遮断された。
―――――― 翌日。
笑顔どころか、鼻歌さえはじめかねないO2の様子に、体調の不良を訴える者が続出し、昨日と
同じようにやはり仕事にならなかったらしい。