コンマ1秒
恋に落ちるのに時間は不要だ。
コンマ1秒もかからず、私はあれに落ちた。
銀河連邦情報部本部にて密かに発行されている『瑠璃の行方』という訳のわからないタイトルの
ついた会報に掲載されたある文章が最近、話題になっていた。
この会報はどこぞの雑誌のように娯楽ではなく、真面目な読み物なのであるが、全くそういう趣向が
無いというわけでもない。毎回会報の巻頭では著名な情報部OBや、現役情報部幹部などの談話が
掲載されているのだが、今回の会報ではその人物の一切のプライバシーは不明のまま談話だけが
掲載されていた。
とは言っても同内部事情が全く漏れないわけがない。公然の秘密として、これが誰であるか、薄々
皆勘付いていたのだが、どうしても談話の内容が本人とあまりにかけ離れているため、もしかすると
ただの勘違いかもしれない、と様々な推測が飛び交うこととなったのだ。
さて、その問題の談話の内容というのが・・・
『あなたは恋をしたことがありますか?』
と何の芸もひねりも無い質問だったのだが、相手が相手だけに逆にネタになると思ったのだろう、
編集部はそんな質問を相手にしたらしかったのだが。
当の相手の答えは予想以上の反響を呼ぶことになった。
以下掲載された文章の抜粋である。
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今回は取材相手が情報部の中でも多忙を誇る方でしたので、激務の合間の僅かな時間を
編集者が命がけでもぎとり、独占インタビューに成功しました。おそらく私はこれで当分の間、
ここ瑠璃宮を離れることが不可能になったかと思いますが、本望でもあります。
快くインタビューに応じてくださった氏には感謝の言葉もありません。
さて、テーマは『あなたは恋をしたことがありますか?』です。
以下、氏の言葉をそのまま引用させていただきました。
『この俺にそんなことを堂々と正面から聞いてきた度胸に敬意を表し、1分だけ時間をやろう。
さて、その質問の答えはずばり、『ある』だ。ふふん、意外が?そうだろうな。俺は部下の間
では冷酷非常、容赦の欠片も無いと評判だからな、しかもそんな人間らしい情も無いと思わ
れるのも無理も無かろう。残念だったな、ろくな経験も無いだろうお前たちに教えてやろう。
恋に落ちるのに時間は不要だ。私はコンマ1秒もかからず、あれに落ちた。さて、これで
1分だ。済んだらさっさと部署に戻り、仕事に励め。それからこれを目にしている暇人ども。
当分こきつかってやるから覚悟しておけ。以上だ』
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そして、瑠璃宮。ある情報部部長の自宅にて。
「オリビエ、少しよろしいですか?」
「何だ」
「この雑誌のことです。これはあなたのことでしょう?」
「ああ。それか、暇な部下が多いようだ。余裕がありすぎるようなので、2割増しで仕事を入れておいて
やったんだが。それがどうかしたか?」
「こんなことをよくもぬけぬけと仰いましたね。尊敬に値します」
「ほほう、では思う存分尊敬するがいい」
「値する、と言っただけで私が尊敬すると言ったわけではありません。ところで、このあなたが恋に
落ちたという相手はどこの誰なんでしょう?是非私にも紹介して下さい」
「・・・・・・・・・マリリアード、本気で聞いているのか?」
滅多に表情を変えることのないO2はこの友人兼妻の前でだけは色々な表情を見せる。例えば、
今は苦虫を潰したような、情けないような表情を浮かべた。
「当然でしょう。あなたにそんな相手が居たとは初耳です。もし今でもその方に恋をしているのであれば
私なんかとはさっさと離婚して、その方と結婚してあげてはどうですか?女性に不実をしてはいけませ
んよ、オリビエ。さ、これに印鑑を」
準備万端すでに整っているらしい。恐るべし、マリリアード。
「・・・・・・・・マリリアード」
「もっと早く気づいてあげればよかったですね、オリビエ♪」
「・・・・・・・・」
人間離れした美貌に、至高の笑顔を浮かべる相手から本音はうかがえない。
本気でそう思っているのか、O2で遊んでいるだけなのか・・・・・・・・。
どちらにしろ、これほど性質の悪い相手もいないだろう、と改めてO2は認識した。