わりと単純な人
オリビエ=オスカーシュタイン、通称O2と呼ばれる情報部部長は、あるテロ事件以来姿をくらまし
杳として行方が知れなかったのだが、ある日ひょっこり昔のまま、寸分違わぬ姿で戻ってきた。
冷酷非常で、敵にも見方にも容赦の無かった人物であるが、能力だけは飛びぬけていたため再び
その地位に返り咲いたことにも裏口を叩く度胸のある人間は居なかったのだが。
そのO2に対して、最近情報部では不思議な噂が飛び交っていた。
その噂とは。
『人が丸くなったのでは?』
と、言うものであった。
O2を知る人間なら誰もそんなことは思うどころか、思いつきもしなかっただろうが……『確かにそんな
気もする』と確かな筋(どんな筋)からの情報もあり、信憑性を増していた。
またその信憑性をさらに現実のものとしていたのが、O2自身の行動でもあった。
「……六時だな」
時計を確認するでもなく一分違わず正確な時間を捉えたO2は手にしていた書類をデスクに置くと
帰り支度をはじめた。
あの仕事の鬼、仕事の虫、仕事中毒……とにかく何よりも仕事を優先していたあのO2が定時に!
情報部の人間で無くとも何事かと思うだろう。
しかも帰宅時には妙に楽しそうなのだ。
その理由を知りたくてたまらない情報部員一同だったが、本人にそれを問いかける勇気のある者は
幸運にも誰も居なかった。
万全のセキュリティーを誇るO2の自宅に入るには、指紋、掌紋、網膜パターン……ありとあらゆる
チェックをパスしなければ本人といえど、入室できないのだが、帰宅したO2はそこに自分以外の
人の気配を二つ感じた。しかし、O2はそれを気にすることもなく部屋へ進んでいく。
そのO2を真っ先に出迎えたのは3,4歳ぐらいの可愛らしい子供だった。
「お帰りなさい!」
「ああ、ただいま」
子供の声にO2は穏やかとも言える眼差しで答える。もしここにO2の部下が居たら確実に心臓の
働きを止めていたに違いない。それほどO2の態度は異常だった。
更に子供の後ろから、これまた絶世の美女が現れる。
「お帰りなさい。今日も定時ですか?余程暇なんですね」
「ただいま。何、仕事は忙しすぎるほどだが家族と共に過ごす時間は大切にしなければならんだろう?」
いったいO2のどの口がほざくのか、これまでさんざん煮え湯を飲ませられてきた敵がこのO2の姿
見れば涙を流してのたうちまわること間違いなし。
絶対にO2が言わないだろうと100人中100人が証言するだろうセリフをぬけぬけと放ちながらO2は
絶世の美女の腰に腕をまわした。
「何のつもりです?」
「夫婦の挨拶にはつきものだろう?」
「いい加減にしないと……ぶっ飛ばすぞ」
本気で実行しかねない剣呑な雰囲気をかもし出す美女に、O2は腰にまわしていた手をほどくことなく
くっくっくっと笑い出す。
「相変わらず、つれないな……マリリアード」
「いい加減、しつこいですよ……オリビエ」
見つめあう絶世の美男美女……片方は笑顔で、片方は殺気まじりだったが……をよそにO2を出迎えた
子供は食堂に戻っていく。どうやら見慣れた光景らしい。
「とにかくその手を今すぐ放して下さい。食事が冷めます」
「つれない割にはいつもきっちり用意しているな」
「出来ることなら用意なんてしたくありませんけどね。あなたの分なんて。これもルーシーのためと思えば
我慢できます。ルーシーのためなら、ね」
ちょっぴし不機嫌な顔になったO2に機嫌を直した美女マリリアードはルーシーと呼んだ子供が待つ
食堂へと歩いていく。O2もその後に続いた。
そして、子供を囲んで食事を取る、O2とマリリアード……一家団欒と言っても良いその光景は何だか
違和感がありすぎた。一家団欒……これほどO2にあわない言葉も無いだろうに。
けれど、マリリアードを見つめるO2は至極満足で幸せそうだった。
結局、O2は『親友』がどんな形、姿であれ、傍にいることが嬉しいのだろう。
もちろん、マリリアードもそんなO2の心情をわかっているからこそこの状態に我慢しているのだが。
O2もマリリアードがそれを察していることをわかっている……というか利用している。
けれど、嬉しいのは本当だ。
イタチごっこになりそうなこの状態は長くは続くまい。
それでも、今は。
情報部部長、オリビエ=オスカーシュタイン。
好きな人が傍にいると幸せに感じる人……わりと単純な人なのであった。