ポートガス・D・エース、10歳。
ここしばらくご機嫌ナナメな日が続いていた。
……理由はわかっている。
三歳年下の弟ルフィの笑顔だ。
もちろんルフィの笑顔は兄弟だからという欲目を差し引いてもそれはもう言語に絶する可愛さだ。
それは間違いない。
あの笑顔で『エースvv』なんて呼ばれた日には、とりあえず抱きしめたくなる。
……いや、思う前に体が動いている。
これはまさに遺伝子に組み込まれた本能だと言ってもいい。
だが、その笑顔も向けられる相手によりけりである。
そう、三歳年下の弟は今、この村にやってきた海賊に”夢中”なのだ。
「今日はシャンクスがさぁ……」
「それでシャンクスが……」
「……てシャンクスが言うんだぞ!」
「ホント、シャンクスは……」
夜になって家に帰ってきたルフィの口から出てくるのは「シャンクス」という単語ばかり。
ちなみにシャンクスというのはこの村にやってきた海賊の頭のことだ。
「でさ!!」
どうやらまだ”シャンクス”の話は続くらしい。
自分に向けられたルフィの笑顔は喜ぶべきものだが、やはりそれを作り出しているのが自分ではないというのはいただけない。
「ふ~ん」
だから、そんな気のない返事しか俺は返しようがない。
それでも精一杯、ルフィのために我慢しているのだ。
「明日はエースも行くか?」
「……行かん」
「えーすっげー楽しいぞ!」
「……そりゃあ良かったな」
「……?エースどうかしたのか?」
さすがに鈍いルフィも日頃とは全く違うエースの様子にやっとシャンクスの話をやめて、エースの顔をまじまじと大きな瞳でのぞきこんできた。
「……別に」
ルフィがシャンクスとかいう奴の話ばかりするのが面白くない……などとは言えない。
「そうか?・・・何か悪いもん食ったとか!?」
そんなことで体を壊すようなエースではない。
もちろんルフィもわかってはいるが、それでも思い当たることがそれくらいしかない。
「んじゃ……」
いよいよ額に指をついて考えはじめたルフィに苦笑すると、くせのある黒髪をくしゃりとかき混ぜた。
「だから何でもねぇって言ってるだろ。気にするな」
ルフィが自分のことだけを考えはじめた……というだけで高揚する気分。
自分でもなんて単純なんだと思ってしまう。
「ほんとかっ?」
まだ疑わしいという視線をむけてくるルフィに今度こそ笑顔を浮かべて”なんでもない”と答えるとやっと納得したのか”それならいいけど”とぽりぽりと頬をかくルフィ。
その指のさき……左眼の下。
やっと薄皮ができはじめた傷がエースの目をとらえた。
海賊たちに自分を認めてもらいたくて作った、ナイフの傷。
おそらくそれは生涯消えることはないだろう。
考えてみれば、あまりに馬鹿馬鹿しい愚かな行動だったと人には思えるかもしれない。
だが、それを決意するまでのルフィの心とあくなき海への憧憬を思えばエースはただ頬をつねることしかできなかった。
「その傷、やっぱり残るな」
「なんだよ……傷は男の勲章だってエースが言ったんだぞ!」
……そんなことを言ったのだろうか、自分は。
大好きな……いや溺愛しているといってもいい弟の顔に傷をつけることになったそもそもの要因が自分だったとは……ちょっと自己嫌悪に陥ってしまう。
何気にのばした指が傷にふれ、まだ痛みがあるのかわずかに顔をしかめたルフィ。
「確かに勲章だが……もう増やすなよ?」
これ以上、お前に傷はつけたくない。
たとえ、それをルフィが望んでいようとも。
「うんっ!わかってる!!…………ごめんな、エース」
「……っ!?」
自分を見上げるルフィの思いもよらぬ謝罪の言葉にエースは目を見開いた。
「ルフィ……?」
「だって……エース、俺の傷みるたびに悲しそうな顔すんだもん……」
「……」
まさか、表情に出していたとは……不覚。
「エースはいっつも優しくて滅多に怒ったりしないけどさ……この傷見たときはすっげー悲しそうだったから……だから、ごめん!」
「……いいさ。お前が考えて決めてやったことなんだから俺がどうこう言う問題じゃない。だが、二度とあんなマネするなよ?」
「うん、わかった!!」
エースの言葉に今度こそ憂いのない笑顔をうかべてしししっと笑ったルフィは拳を突き出した。
その拳をエースは手のひらで受け止めるとぎゅっと握りしめる。
……ルフィのぬくもりが伝わる。
「んじゃ、もう寝ろよ。明日も遊びに行くんだろーが」
「おうっ!!わかった!!」
……いつもこれほど素直だといいんだけどな……。
満面の笑みを浮かべたルフィに弟の兄離れを感じてちょっと寂しいエース、10歳。
そっと気づかれぬようにため息をついた。
「……明日は嵐でもこねーかな」
しかし、やっぱり諦めきれず星々がきらめく空に願をかけたくなるエースなのだった。