王子様の癇癪
この神の御許たる我らが宇宙において、最大統治領域を誇る銀河帝国。
その帝国の皇子の名をニコラス・ユーイング・シーフォートと言った。
さて、彼はいずれはこの帝国を背負って立つ身ではあったが同時に宇宙軍士官でもあった。
彼の父、つまりは銀河帝国皇帝は厳しい人物であり、身内だからといって特別扱いはしない。
皇子も帝国民としての義務を果たすため宇宙軍に志願したのである。
その彼も士官候補生としての最初の航天を終え、帰還した。
ただし、少々「無事に」とは言い難くではあったが。
いったい航天の間にどのような出来事が起こったかは話せば長くなるのでここでは割愛するが、彼は一回り大きく成長して帰って来たことは確かである。
皇子と言っても滅多に人前に姿を現すことのなかった彼は、今まで名前だけは知られていてもホロを見せても「誰?」と尋ねられるほど無名であった。
しかし、その彼もいまや一躍時の人である。
「英雄ニック」
皇子を愛称で呼ぶとは何事かと問われそうだったが、国民たちは彼のことを尊敬と親愛をこめてそう呼ぶ。
未知の宇宙生物と遭遇し、果敢に戦い勝利へと導いた英雄。
帝国一有名人となってしまった彼は、連日のごとくパパラッチに追いかけられた。
元々彼はプライベートを他人に侵害されることを殊のほか嫌った。
その彼がこの状態に我慢ならなくなるのに、そう時間はかからなかった。
ついに彼は、次の航天まで王宮に閉じこもり一歩も外へ出ないことを決心したのである。
「皇子」
王宮内にある彼の部屋の前で声を掛けるが中から応答は無い。
朝食の時に姿を見せ、書庫から数冊本を抱えて部屋に入っていくのを見ていたので彼が中に居ることは間違いない。
声を掛けた人物は肩をすくめて、もう一度声をかけた。
「皇子、馬鹿皇子、アホ皇子、間抜け皇子、スカ皇子……」
まだまだ先は続きそうだ。
「トリヴァーッ!!」
部屋の中から返事があった。
「何だ居るんじゃありませんか。居るなら返事してくださいよ」
「うるさい!私は居ない!」
パパラッチに追いかけられるようになってからというもの少しばかり「ナーバス」になっている彼は癇癪を起こした。
「それじゃ返事してるのは誰なんですか」
「そんなこと私が知るか!とにかく私は居ない!」
「いいんですか?皇子に客人ですよ」
「居ないと言え!私は誰とも会わないと言ったはずだ!」
「まぁ、確かに。それじゃ彼には……ミスター・ホルサーにはお帰りいただくことに……」
部屋の中でバサバサッと重そうな本が落ちる音がした。
「待て!トリヴァー!私は……」
勢いよく飛び出してきた皇子にトリヴァーは『応接間にお通ししておきました』とぬけぬけと告げた。
狭くは無いが、広くもなく適度な大きさと快適さを持った応接間で、直立して待っていたヴァクスは待ち人の姿にやや緊張した面持ちで頭を下げた。
「ご機嫌麗しく、殿下」
「やめてくれ、ヴァクス。どうせ二人しか居ないのだし、そう堅苦しくしないでくれ」
「しかし……わかりました」
ヴァクスは皇子の浮かべた悲哀の表情にしぶしぶ頷く。
「突然に訪問して申し訳ありません」
「いや、いい。いつでも来てくれて構わないと言ったのは私だ」
「ありがとうございます」
「……まぁ、座ってくれ」
「失礼いたします」
彼の態度は恐ろしく丁重だった。
出会った頃は、シーフォートが皇子という身分を伏せていたこともあり、ヴァクスが反感を持っていたせいも相まってとんでもなく険悪で、ヴァクスのしゃべり方も粗雑そのものであったのだが、航天が終わる頃にはその関係は激変していた。
ヴァクスは艦長としての……いや人間としてのシーフォートをこの上なく尊敬し、敬愛し、己の命をかけてでも守るべき人として騎士の誓いまでたてたのである。
そんな前世紀の遺物とも思える「騎士の誓い」を、初めこそ冗談半分に受け流していたシーフォートであったが、ヴァクスが全知全能の神かけて宣誓したとあっては本気であるとさすがに鈍いシーフォートも悟った。
シーフォートは神を至高のものとして称えていたため、神の名においてなされた彼の誓いを受け入れないわけにはいかず……ヴァクスはシーフォートから自身の騎士として側近にあることを許された。
しかしながら、彼はシーフォートの騎士であるが、また宇宙軍士官でもある。
いつも傍に居ることは出来ない。
そしてシーフォートはヴァクスが自分の騎士であることより、宇宙軍士官として義務を果たすことのほうを重要に思っていたのでヴァクスがシーフォートの傍に居ることができるのは限られた僅かの時間だけだった。
「せっかくゆっくりしていらしたところをお邪魔して申し訳ございません」
「いや……暇を持て余していたところだ」
事実その通りだった。
トリヴァーが声をかけるまで、密かに読んでいた本に顔をのせ居眠りをしていたシーフォートである。
『頬に痕がついてますよ、皇子』と早く言えばいいのに、物見高く応接間までついてきたトリヴァーに言われてシーフォートは慌てて頬をこすった。頬が赤いのはそのせいである。
―――全く、トリヴァーの奴め……覚えていろ!
皇子は心の中でトリヴァーに復讐を誓ったが、この二十年足らずの人生の中で幾度となく繰り返されたその誓いは一度として果たされた試しは無い。いつもうまくはぐらかされて、返り討ちにされる。
一歳しか違わないくせに余裕ぶって、シーフォートを子ども扱いするトリヴァーに腹を立てない日は無かった。
くそっ、思い出しても腹が立つ!
シーフォートはヴァクスが居ることをすっかり忘れていた。
「皇子?」
ヴァクスが心配そうな表情でシーフォートを覗いている。
「っ!・・・あ、いや・・・ところで、どうしたんだ?」
「その、特に用事があったというわけでは無いのですが……」
「そうなのか……いや、別に何も無くても全然構わないのだが」
二人の間に沈黙が落ちる。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
そこに乱入したのは、やはりトリヴァーだった。
「何をお見合いみたいなことやってんですか、皇子」
「お……トリヴァー!」
「はいはい、何ですか」
皇子の怒りをさらりとかわして、トリヴァーは紅茶のカップを二人の間に置いた。
「では、ごゆっくり」
呆気に取られているらしいヴァクスと、かんかんに怒っているシーフォートに会釈してトリヴァーはさっさと出て行った。
「あいつはっ!」
顔を真っ赤にして怒っているシーフォートの姿が、航天の時の姿と重なってヴァクスは笑いを漏らした。
「ヴァクス?」
「失礼、……その、あの方はもしやあなたの騎士ですか?」
「違う!」
とんでもないと振り切れんばかりにシーフォートは首を横に振る。
「あれは、ただの……ただの腹の立つ、この上なく腹の立つ……乳兄弟だ」
「ああ、そうでしたか」
「私の騎士は、ヴァクスだけだ」
「……。……。・……」
何でも無いように、けれどはっきりと宣言されたヴァクスは言葉を失い、瞬時に顔を真っ赤に火照らした。
「……ヴァクス?」
言った本人は、どれほどの爆弾発言をしたのか全くわかっていない。
不思議そうな顔をしてヴァクスを見ている。
「いえ、あの、その……光栄です」
それが今のヴァクスに言える精一杯の言葉だった。
そして、こっそり隣室で二人の会話に聞き耳をたてていたトリヴァーは、新しい悪戯を思いついた悪がきのように、にやりと・・・笑ったのだった。