抱イテ


「ねぇ、ゼロイチぃ」
 何かをねだるような猫なで声。
 零一は背筋に寒気が走った。



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 突然……いや、いつも突然なんだが。
 やって来た秋は居留守を使った零一に構わず、どうやってか鍵を開けて入ってきた。
 ……南京錠にするべきか?
 いや、それでも秋には無駄だろう。
 そんなことが容易く想像できて……気分は最悪だった。

 そして、図々しくも零一にお茶を所望し、自ら持参した(たぶん座木が作ったのだろう) パンプキンパイを卓袱台に広げて食べている。
 いったい何をしに来たんだ?と聞きたいのは山々なのだが、それを聞いた途端、 ここに『居る』ということを容認してしまうことになり、どうせもう居るのだからいいのだろう とは思えず……矛盾した思いに自分の家だというのに零一は何やら落ち着かない。

 出て行くか?
 そんな考えが浮かんだとき。
 まるでその考えを読んだかのように秋が口を開いた。

 冒頭の猫なで声を。

「ゼロイチ」
 無視する。
「ゼロイチ、ゼロイチ、ゼロイチ、ゼロイチ、ゼロイチ」
 ……。
「その名前で呼ぶなっ!」
 ついに我慢できずに叫んでしまう。
 ああ……俺は馬鹿だ。
 案の定、秋はにやりと・・・容姿がいいぶん「にっこり」としか見えないが……笑った。


「ねぇ、暇?」
「……暇じゃない」
「じゃぁ忙しいんだ」
「……い、忙しいな」
 くすくす。
 秋が笑う。
 当然だ、どう考えても忙しそうには見えない。

「じゃぁ、これ渡してもいいかな?」
 ぱちんっと指をうつ。
 その手に現れたのは一枚のぺらぺらな紙。
 ……何か文字が書いている。

「はい、どうぞ♪」
 酷く楽しげな秋に嫌な予感を抱きつつ、手にとらずにそのまま眼を凝らして文字を
 見つめればそこに在ったのは…………

 『借用書』
 ……つまりは『借金返せ』の契約書。

「……!」
「忙しいなら懐も暖かいってことだよね?」
「…………暇だ」
「んー、どっち?」
「暇なんだ!」
 ”秋と借金”
 まさに究極の選択だが、無い袖は振れない。
 くそっ。

「そっかぁ、ゼロイチは暇んだ」
「……それがどうした」
 こうなった以上は諦めなければならない。
「それじゃぁ、これはしまっておこうねv」
 忽ち姿を消す借用書。
 もしかして偽ものだったのか?
 いや、こいつなら……どちらもありうる。

「ねぇ、ゼロイチ」
「あぁ?」
 まるでふてくされたように出がらしの茶を口にふくむ。




「抱イテ」



 ぶぴゅっっ。



 盛大に出がらしの茶が零一の口から噴出した。
 残念なことにそれは秋にはかからず、壁にまた新たなシミを作ってしまった。


「汚いなー」
 誰のせいだ!誰のっ!!
 服の袖で口元をにぐいつつ……ティッシュは無い……ごほごほと咳き込みながら
 頭の中で非難した。

「面白いよねーゼロイチって」
「……うるさいっ」
「リアクション激しいからからかいがいがあるし」
「からかったのかっ!!」
「本気が良かった?」
「……」
 秋がからからと笑った。

 全く。
 ……全く性質が悪い。
 悪魔の自分よりも数万倍も。

「それじゃ、僕帰るね」
 何しに来たんだっ!!
 ばいばいと可愛らしく(外見上は)手を振る秋は来たときと同様、突然だ。
 
 パタン、と玄関の扉が閉まる。
 その直前。





「さて、どっちでしょう?」





 そんな邪気溢れまくる問いかけを残して。