贈り物


 この世界を指輪の脅威から救った英雄フロドと、養父ビルボの誕生日は裂け谷にて盛大に祝われた。
 普段は物静かなエルフだが、一度こうなるとホビット顔負けに騒ぎ出す。
 呑めや歌えの大宴会は、次第に主賓そっちのけで盛り上がっていた。
 ホビットたちの護衛についてきていた騎士たちも、今宵だけは役目を解かれて楽しんでいる。
 どの顔にも清清しく喜ばしさに溢れ、それを見守るアラゴルンは次々に注がれる酌を余裕で飲み干していた。
 その目の端に、小さな影がそっと抜け出すのを認めた。
 主賓の一人であるフロドだ。

(どこへ?一人では……)

 危ないだろうに、と考えてアラゴルンは苦笑した。
 彼にいったいどのような危険が訪れるというのか。サウロンの脅威は彼によって遠ざけられた。
 フロドは全てのものから解放されたというのに。しかもここはエルロンド公の守る領域だ。
 ……だが。

 アラゴルンは腰を上げると、野伏の頃の特技を生かし足音も無くその場から消えた。





 フロドの姿は小さな川の傍にあった。
 視線は川の流れの中にあり、喧騒から離れて静かだった。
 アラゴルンのほうを向く背中は小さく、闇の中へ溶けていきそうに思われ、思わず一歩踏み出した。
 
 ぽきり、と小枝の折れる音がする。

「誰、ですか?」
「すまない、私だ」
「アラ……王様」
「邪魔をするつもりではなかったのだが……傍へ行っても構わないか?」
 フロドは首を傾げ、小さくどうぞと隣に招いてくれた。
 それきり二人に言葉は無く、大小並んで川の流れをぼんやりと見つめている。
「……フロド」
「はい?」
 いたたまれなくなったのは、アラゴルンが先だった。
「何か心配事でもあるのか?」
「???いいえ」
 何故そんなことを聞かれるのだろう、とフロドは首を傾げる。
「いや、それならいいんだ」
「……?」
 陽気なホビットたち。
 主賓であるフロドも楽しそうに笑っていた……笑ってはいたが、他の者とは違ってどこか儚さが漂って いる気がしたのだ。
 出会った頃からホビットらしくないホビットであったフロドは、旅が終わってからホビットどころか浮世離れ した雰囲気が身を包み、アラゴルンは不安を抱いていた。
 指輪の脅威は確かにこの世界から去った。
 しかしその爪痕は、かしこに残り……フロドの身にも及んでいるのだろう。
 聡明なフロドのことだ。
 きっと、そのことには気づいているはず。

「ああ、そうだ。まだ言ってなかったな。誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
 ひっそりと穏やかに笑う。
「贈り物をしたいのだが……」
「そのお気持ちだけで十分です」
「ふむ。では、これを。君の指には少しばかり大きいだろうが」
 アラゴルンは、指に嵌めていたバラヒアの指輪を抜いた。
「!?……そんな、いただけませんっ!これは、とても大事なものなのでしょう?」
 見開いたフロドの目は、水面の反射を受けてきらきらと輝いている。
 美しい、とただ思った。
「君に持っていて欲しいんだ」
「アラゴルン……」
「ああ、それがいい。堅苦しい肩書きではなく、君には名で呼んでもらいたい」
 アラゴルンはフロドの手を取ると、その平に指輪を乗せて握らせた。
「君に贈ったものだ。不要だったら捨てるなり売るなり好きにしてもらって構わない」
「そんな……」
 困惑して、おろおろと自身の手とアラゴルンを交互に見やるフロドに、ついつい笑いが漏れた。
「アラゴルンっ」
「おめでとう。君が生まれたこの日に、君の存在に心からの祝福を。感謝を捧げる」
「ありがとう、ございます。大事にしますから」

 このフロドの笑顔を、アラゴルンは生涯忘れないだろうと思った。