Never Ending Story 20.永遠に
ゴンドール第四紀、歴にして120年。
サウロンを滅ぼした英雄の一人、希代の名君として名高いエレスサール王が崩御された。
偉大なる王の死を嘆かない者は無く、王の棺が安置された墓所には献花が絶え間なく捧げられた。
人々は誰に言われずとも感じていた。
――― 神話の時代が終わったのだ、と。
鎮魂の歌が、ゴンドール中を包み大気に溶け込む。
賑やかな街もどこか静かで、人々は喪に服していた。
「いやいや、全く凄い人気だね」
「レゴラス」
イシリエンに向かう途中に、王の墓所に立ち寄ったのはエルフのレゴラスとドワーフのギムリだった。
指輪戦争より王の傍らにあり、何かと助力してきた彼らは王の死を看取り、最後の指輪の仲間として西方に
旅立つところであった。
レゴラスは墓所に供えられた白い花を一輪手に持ち、ほらほらと振ってみせる。
それをたしなめるように、ギムリが睨みつけた。
「だってねぇ……もったいないじゃないか。そう思わない?――――フロド」
ギムリの体に隠れるようだったフロドがちょこんと顔を出し、白い花を傾けられて困ったように笑う。
「それだけ、アラゴルンが……愛されていたということですから」
「うんうん、ゴンドールの民は物好きなんだ」
「「……」」
どうやらこのエルフは、本日少々ご機嫌斜めならしい。
ギムリとフロドは顔を見合わせ、苦笑した。
「お前さんが気に入らないのはわかるが、さっさとせんと日が暮れるぞ」
「どうせならそのままここで野宿して、フロドと二人っきりで過ごしているところを見せ付けてやりたいな」
レゴラスはフロドに蕩けるような微笑を浮かべてみせる。
ギムリは眼中に無いらしい。
全く、涙が出るほどの友情だ。
「レゴラス」
フロドがギムリの影から、おずおずとレゴラスに近づいていく。
「フロド、私は常々思っていたんだけど、その目は反則だね」
「え?」
麗しの青に見上げられたレゴラスは、ほぅと嘆息した。
「君の頼みを私が断ることが出来た試しがあるかい?」
エルフは決してお人好しでも親切な性質でも無い。
闇の森の王子であるレゴラスは一見したところ優しい風貌をしているが、嫌なことには一切携わらないという
苛烈な性格をあわせもっていた。
「いいえ、レゴラス。貴方はとても優しい人だから」
フロドは邪気なく笑う。
「君には叶わないな」
二人の遣り取りを無言で眺めていたギムリは、密かに心の中で思っていたことを確信する。
華奢で壊れそうに儚く見えても、実のところフロドはホビットらしく、しっかりと強い精神を兼ね備えている。
――― 主導権はいつでもフロドの手元にあるのだ。
このエルフに対するときも、すでに亡きこの国の王に対するときも。
「仕方ない。―――― ほら、アラゴルン!」
レゴラスは、棺を。
―――――――――――― 蹴った。
ガタリ、と音をさせてかなりの重量があるはずの白い棺の蓋が向こう側に落ちる。
中に在るのは生前と変わらぬ姿の、ゴンドール王エレスサール。
目を閉じ、胸前に両手を組み、表情は穏やかで今にも生きて動き出しそうに見えた。
「いつまで寝てるつもりなのだか」
おどけたように言ったレゴラスは、脇に退きフロドに譲る。
そっと微笑を浮かべたフロドは、棺の淵に手をかけ、アラゴルンの顔を覗きこんだ。
「アラゴルン」
フロドはその名を穏やかに柔らかく、ビロードに包まれた大切な宝物のように囁く。
大事に、愛しみをこめて。
――― そして、手を差し伸べた。
「アラゴルン、目を、覚まして下さい。……行きましょう」
――― ずっと傍に、と約束したでしょう?
エレスサール王の遺体は静かに眠っている。
死を迎えた者が、再び目覚めることは無い。
その眠りは誰にも邪魔されることなく、ずっとこの場所でゴンドールの民を見守ることだろう。
しかし、一方で確かにフロドの差し出した小さな手は、――― しっかりと掴まれていた。
フロドの手を取ったのは、酷く懐かしい姿の……野伏の頃のアラゴルンだった。
壮年の威厳溢れる王の姿では無い。
彼の自由な魂、それが形を成したもの。
彼は王では無い。ただの『アラゴルン』だ。さすらい人のアラゴルン。
「―――― フロド?」
アラゴルンは混乱したように、掴んだフロドの手を見つめ、それにフロドは嬉しそうに微笑んだ。
「おはようございます、アラゴルン」
「遅い朝だ。置いて行ってしまおうかと相談していたところだよ」
「――― 俺はもう何を見ても驚かんぞ」
「これはいったい……??」
三人の上を彷徨ったアラゴルンの視線は、フロドに行き着く。
フロドは申し訳なさそうに、ぺこんと頭を下げた。
「ごめんなさい、アラゴルン。―――その、私はガンダルフにもう一つお願いをしていたんです」
「何?」
「あなたがこの地でのお役目を終えたとき、一緒に彼の地へ向かうことが出来ますように、て」
「……つまり、私は―――― 君と同じような状態というわけか?」
フロドはこくん、と頷く。
「さすが、エステル。察しがいい」
「その名で呼ぶなと言っているだろうが……」
不機嫌そうな表情でレゴラスを睨みつけたアラゴルンに、フロドの手が触れる。
「怒り、ますか?」
「――― まさか」
アラゴルンは破顔すると、不安そうに見上げるフロドを抱き上げた。
「あ、アラゴルンッ!?」
いきなりのことに、驚いて首に手をまわすフロドをしっかりと抱きしめる。
「どうして怒りなどしようか ――― フロド」
目の前には、初めて見た時と同じ、どこまでも深く美しい青がある。
「アラゴルン……」
自身へと剣を捧げ、守ることを誓った男が笑っている。
「君を置いて逝かねばならぬことをひたすらに案じていた。一人残された君が寂しく西方へと帰っていく姿を
何度夢に見、その度に悲しい思いをさせる前に手放すべきだと言い聞かせた。だが、どうしても私は君を
離すことが出来なかった……――― フロド」
「もし、あなたがそんなことをしていたら、私は泣いて泣いて消えてしまったでしょう、アラゴルン」
二人はじっと、見つめあう。
アラゴルンは笑顔を浮かべ、フロドも晴れ渡る空のような笑顔を零した。
「これからも、ずっと傍に」
「――― はい」
「離さない」
「はい」
「ずっと共に、傍らに」
「はい・・っ」
「―――― 愛してる」
――――― 永遠(とこしえ)に