Blood


ただあなただけが
私の全てなのです












 トラン解放戦争・・・門の紋章戦争から30年近くの時が過ぎ行こうかという頃。
 相変わらず放浪生活を続けていた彼の元に一つの噂が届いた。


 『グレミオが結婚する』・・・という噂。
 情報源からすればそれは”噂”などでは無く、真実であることは確かなのだけれど、彼にはどうにも 納得できない部分があったのだ。
 
 (だが、まぁいい)
 その情報をもたらした”影”の姿が消えたところで、彼・・・ダナ=マクドールは微笑んだ。
 優しく、儚げでいて慈愛に満ち溢れた美しい微笑は見る者が居ればしばらく恍惚となり言葉を<失ってしまうだろう。
 傾国の美というには少々幼さを残すものの、その美貌は褒め称えられてしかるべきものであった。

「年貢を納める気になったのか・・・それにしては遅すぎる気もしないでは無いが」
 己の従者として傍らにあった存在は、すでに50をいくらか過ぎているはず。
 かなり遅い春ということになるが・・・。
「漸く僕のことは諦める気になったのかな?」
 解放戦争の後、”絶対にっ離れませんからねっ!”と強引についてきたグレミオは、その3年後に 起こったデュナン統一戦争のとき、ドサクサ紛れにグレッグミンスターに捨ててきた。
 もちろんグレミオはダナを探し回った。
 だがそれ以上にダナは巧妙に姿をくらませ、グレミオにその消息をつかませなかった。
 旅の途中でふと偶然に出会ったかつての仲間に『グレミオが心配していた』と伝えられてもダナは 不思議な微笑を浮かべたまま、さしたる行動を起こさなかった。

 時は残酷だ。だが、癒しでもある。

「完全に、は無理だろうけれど・・・いつかは僕のことなど忘れてくれるだろう」
 真の紋章に支配されたダナの体に時間の流れは作用しないけれど、グレミオは違う。
 紋章の奇蹟で生き返った彼はちゃんと年を取る。
 普通の人間として人生を送ることができるのだ。
 ――― 自分という存在さえ無ければ。

 (幸せになってほしい・・・)

 それはダナが全ての仲間であった者たちに向ける気持ち。
 どんなに性格が極悪だと言われようと・・・根底にある仲間への気持ちは変わらない。


「久しぶりに帰ってみようかな・・・」
 彼の地へ・・・グレッグミンスターへ。


















 花の都、グレッグミンスター。
 その冠する名に恥じない立派な都・・・今ではこの都が廃墟寸前になったことがあったことなど誰も 信じはしないだろう。もうどこにも解放戦争の痛手は残っていない。
 ダナは身元がバレないように普通の地味な浅黄色の旅装に身を包んで・・・さすがに国境は正面 から越えるわけにはいかないのでこっそり忍びこんだが・・・街をゆっくりと歩いていた。
 なつかしい都。なつかしい人々。なつかしい家並み。―――郷愁。
 他のどの国もダナにこんな思いを抱かせはしない。ここはやはり特別な場所だった。

「さてとグレミオはどうしてるかな?」
 もう結婚式は済んだのだろうか?
 めでたい日を迎えて花婿であるグレミオはどんな顔で過ごしているのだろう?
 不思議とダナの心は浮き立った。
 久しぶりに踏みしめる我が家への道。上流階級の住宅地であったせいか、景観が昔と全く変わっていない。それが嬉しくもあり悲しくもある。
「あー、やめやめ。どうも辛気臭くなってダメだな」
 昼間にグレッグミンスターに到着したダナは夜になるのを待って宿を抜け出した。
 もう一つ、角を曲がれば我が家というところでダナはフードを被り直し、気配を殺す。
 マクドール家にはグレミオだけでなくクレオも居るはず。
 もしかすると他にも誰か居るかもしれないが、気づかれるわけにはいかない。
 気づかれたが最後、大仰に騒がれることは目に見えている。
 トランの英雄として、ダナは決して忘れられることが無い・・・『英雄の間』なんぞを作った大統領のせいで。
「やっぱり破壊するべきだよね、アレ」
 過去幾度となくそう思ってきたのだが、あの警備をかいくぐって破壊するのも面倒で放っておいた。
 今なら多少は手薄になっているだろうか?
 そんなことを思うダナの目に、マクドール家が見えた。
 30年が経ったというのに、昔と全く変わらないそのままの姿をさらして、それは在った。
 住みやすいように改装してくれて構わないと言ったダナに、『とんでもありません』と言ったクレオの顔が思い浮かぶ。
 彼女も頑固だ。
 苦笑したダナは正門ではなく、裏門に近い茂みからそっと中をのぞきこんだ。
 食堂に暖かい光りがついている。
 さすがにダナの居るところからではそれ以上わからなくて、中へ忍びこむことにした。
 ・・・が、それは果たされることなく終わる。





「坊ちゃん」

 聞きなれた・・・なつかしい声の背後から呼ばれたのだ。











「坊ちゃん」
 もう一度呼ばれる。
 ダナは一瞬強張った体から何とか力を抜き・・・微笑を浮かべてグレミオを振り返った。
「やぁ、グレミオ。久しぶり♪」
 故意に明るい口調でダナは話しかけた。
 まさかここでグレミオに発見されるとは本気で予想していなかった・・・かなり驚いている。
 夜目のきくダナはグレミオの姿をはっきりと視界に入れる。
 不思議な表情をしていた・・・怒っているわけでもない、悲しんでいるわけでもない・・・ダナがここに居るのが当然だというかのようにグレミオは立っていた。
 そこで瞬時にダナは察した。

「嘘だったのか?」
 結婚するという噂は。
 ダナをグレッグミンスターに呼び寄せるためについた嘘だったのか。
「お帰りなさい、坊ちゃん。待っていました・・・ずっと」
 問いには答えずグレミオはダナに一歩近づいた
「グレミオ」
「嘘じゃありません」
 また一歩近づく。
 ダナは神経がぞくりとあわ立つのを感じだ。危険信号だ。
「きっと帰ってきてくれると思っていました・・・坊ちゃんは優しいですからね」
「・・・・・。・・・・」
 ダナの本能が今すぐに逃げ出せと警告する。
 わからない。どうしてこうまでグレミオに危険信号が鳴り響くのか。
「これでまた、坊ちゃんについて行くことが出来ます」
「・・・っ!?」
 ダナは目を見開いた。どういうことだっ!と叫び出しそうになったのを何とか抑える。
「グレミオ、お前・・・結婚したんじゃないのか?」
「ええ、しました」
「だったら・・・僕になんてついて来る場合じゃないだろう?相手に失礼だ」
「そうですね、私もそう思います・・・可哀想だと」
「っだったら!」
「でも私にとって、一番大事なのは坊ちゃんです。昔からずっと変わりなく・・・」
「・・・・・・・」
 グレミオのセリフに今さらながら帰って来るのでは無かったとダナの胸に後悔が押し寄せた。
「坊ちゃんが・・・私を置いていった理由はわかります。今はまだいいとしても老いた身では坊ちゃんの 足でまといになるしかありませんからね。ですから、これは賭けでした。もし坊ちゃんがまだグレミオの ことを覚えていて下さって・・・戻ってきてくれたなら。今ならまだ坊ちゃんについていくことが出来ます」
「すぐに足腰立たなくなるよ」
「そうかもしれません、でも私はそうそう老いぼれにはなりませんよ。いつかその時が来るとしても・・・ そのために結婚したんですから」
「・・・?」
 グレミオが老いることと、結婚することが何故繋がるのかわからない。
「彼女の体には私の子供が居ます」
「・・・っ!?」
 ダナは再び目をむいた。そしてグレミオに対する怒りが湧き起こる。
「それこそお前っ僕についてこられるわけないだろっ!」
「大丈夫です、彼女のことはクレオさんに頼んでますから」
 そういう問題では無い。まだ生まれてもない子供と妻を放って旅に出る夫など聞いたこともない。
「彼女も承知で私と結婚してくれましたから」
「はぁっ!?」
 もう、ダナには何がなんだかわからない。
 グレミオも・・・そんなグレミオと結婚した女性の気持ちも。

「私は老いて、いつか、死にます。でも子供は残る・・・私の血を引いた子供は」
「・・・・。・・・・」
「このまま死ねば私が生きていたという証は消えてしまう・・・でも子供が居れば、その子供を見る度に 坊ちゃんは思い出すでしょう?グレミオが、私が生きていたということを」
「グレミオ・・・お前・・・まさか、それだけのために・・・」
 結婚したというのか。
 ダナのあえぐような言葉に、グレミオは更に近づき「そうです」と明るく肯定した。
 ダナはぐっと拳を握った・・・殴ってやるつもりだった。
 こんな酷い男が、グレミオなはずが無い。


「坊ちゃんに怒られることは覚悟していました・・・でも」
 もう、手の届くところにグレミオは居る。


「坊ちゃん。私にとって、ただあなただけが・・・」







 ―――――― 私の全てなんです。











 言葉を無くしたダナの体をグレミオが抱きしめる。
 もう絶対に放しません、と呟きながら。

 ダナは握り締めたはずの拳を力なく落とした。
 全ては己のせいだった。
 グレミオにこんな思いを与えたのも・・・結婚などという決意をさせたのも。
 何もかも。


 自身のせいだった。