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 階下から騒がしい声が風に乗って部屋へ届いた。
 それを密偵からの調査書に目を通しながら、シュウは己の主が帰ったのだと知る。
 彼――ローラントの帰還するときにはいつも城の雰囲気が明るくなり、兵士たちのざわめきが強くなる。

「・・・?」
 だが、いつもならば間もなくおさまるはずの騒ぎが今日に限っていっこうにおさまる気配が無い。
 むしろ、どんどんと喧騒が酷くなる。
「新しい仲間でも連れて帰られたのかしら?」
 部屋で書類の整理をしていたアップルも顔を上げ、シュウへと問い掛ける。
「そのうちこちらへ・・・」
 参られるだろう、と続けようとしたシュウの言葉は破壊的に元気よく開け放たれた扉の音により消え去る。


「シュウさーんっっ!!」


 軍主ローラントが、これでもかっっと満開の笑顔を披露していた。
 きっと頭の中も満開なんだろうな、とシュウは思いつつ・・口を開く。
「ローラント殿。何かございましたか?」
「えへへ~、シュウさんを驚かせる人を連れてきちゃいました!」
 楽しそうなローラントの様子に、シュウは眉を寄せる。
 そんなシュウに構うことなく、ローラントはその場を横にどき、背後に居た人物を手招いた。
「・・・っ」
 そこに現れたのはローラントと1,2歳ほどしか変わらない年格好の少年。
 少女とも勘違いしそうな圧倒的な美貌の中、瞳の強さが少女ではなく『少年』であること知らしめる。
 だが、シュウの目を射抜くその瞳の・・・深淵さ。底が見えない・・軍師としての目もこの少年の前では 何の役にも立たない気さえする。
 その少年の・・少年らしくない、得体の知れなさに、眩暈がした。
 ――― 呑みこまれる。


「マクドールさんですっ!」


 声高に紹介されたその少年は、シュウに向かって静かに目礼した。
 伏せられた目に、シュウはようやく我を取り戻す。
「マクドール・・・もしや、トランの英雄・・・・・!」
「お初にお目にかかる。軍師殿」
 ローラントほど大声でも、騒がしくもない、静かな声音。
 だが、驚くほどそれはシュウの耳に大きく響いた。
「――― こちらこそ。同盟軍の軍師を務めさせていただいております、シュウと申します」
 頭を下げながら、シュウの思考回路が勢いよく動き出す。
 なぜ、トランの英雄が。何の目的で。・・・思惑が読めない。
「マクドールさんっ、城の中を案内しますねv」
「ローラント殿」
 そのまま姿をくらませそうな軍主をシュウは慌てて捕まえた。
「・・・お仕事がたまっております」
「えぇぇっ・・・あ、明日やるから!」
「そう仰って、達成された試しは非常に嘆かわしいことながら、一度たりともございません」
「う゛・・」
 ローラントが嫌そうに顔をしかめる。
「ローラント。僕ならばすぐに居なくなることは無い。仕事のほうを頑張って・・・君が終わってから案内 してもらうから」
「本当ですか?本当にすぐにトランへ帰ってちゃわないですか??」
「ああ、約束するよ」
 そう言う隣国の英雄に柔らからな微笑を浮かべて、頭を撫でられると、ローラントは喉でも鳴らしそうなほどに目を細める。
 慕う・・・と言うよりは、なついている。
「・・・。・・・」
 いったいいつの間に・・・シュウは呆然とただその光景を眺めていた。









 ローラントの仕事が終わるまで、とダナは屍と成り果てた熊と青雷を引き立てながら、トランの義勇軍が 駐屯している幕舎へと姿を現した。
 母国の英雄の姿に、トランの義勇軍は当然のごとくに湧きたった。
 3年前の戦争の折に、共に戦った兵も、またそうでは無い兵も姿を見せたダナに、喜びを隠せない。
 トランの民にとって、彼はまさに英雄。神聖にして侵すべからず。尊崇する存在なのだ。
 その神にも等しい身が、地に降り立ちて兵士一人一人に声をかけていく。

「長らく留守にしてすまない。皆は元気だろうか?」
 そう声をかけられ、感極まった兵士たちが涙ぐみながら元気だと答える。
「それは良かった。トランもまだ落ち着かぬというのに、義勇軍として同盟軍に力を貸す君たちを誇りに思う。
 どうか、私の友人であるローラント・・・同盟軍軍主殿のために力を貸して欲しい」
「「「!!!もちろんですっ!!!」」」
 兵たちの声がいっそ見事なまでに唱和する。
「ありがとう」
 ダナはそれからも終始笑顔を絶やさず、兵たちに労いの言葉をかけて歩いた。
 その背後に付き従う熊と青雷は、うんざりとしてその様子を眺めている。
 自分たちには何も言う権利は無い。・・・無いが言いたい。


 『こいつに騙されるなっ!こいつは・・こいつは!天使の皮を被った魔王なんだっっ!!』


 ―――― と。

「ビクトール、フリック」
 だが、ダナに名を呼ばれ、それだけで途端に緊張する二人にはそんなことを言う勇気など無い。
 言ったが最後――― 明日の朝日どころか今日の夕日さえ拝めない事態になることは間違いない。
「そろそろローラントの仕事は終わっているだろうか?」
 熊と青雷は揃って首を振った。
「だけど、万が一ということもあるだろう?この『僕』と約束をしたんだし」
「・・・・・・。・・・・・・」
 確かに、ダナとの約束を破るくらいなら二人は死を選ぶ。そのほうが絶対に希望があるからだ。
 だが、ローラントもまた『普通』では無い。
「戻ってみよう。ああ、二人はもういいよ。ご苦労様」
 兵士たちと同じように、微笑を浮べ労われ、不覚にも顔を赤らめてしまった。
 解放軍時代には多少の免疫があったというのに、3年間でそれは元に戻ってしまったらしい。
「――― ところで、二人とも。これで僕の気がすんだとは思わないで欲しいね」
「「!!!」」
 天国気分から一瞬で地獄へと突き落とされた二人は愕然として、立ち去るダナを、ただ見つめていた。






 通りがかる人に軍主の部屋を聞きながら何とか辿りついた扉の前で、ダナは先ほど会った軍師・・・ 確かシュウと言った・・・にかちあった。
 軍師はダナの顔を見るや、僅かに眉を寄せた。
 それをダナは内心で笑う。
 ――― そんなに容易く感情を顔に出していては、軍師としてはまだまだだ。
 特に隙を見せては絶対に、いけない相手の前では。

「シュウ殿・・でしたね。ローラントのお仕事はまだ、のようですね」
 シュウの顔に浮んだ表情でダナは察した。
「申し訳ございません。お待ちいただいておりながら難ですが、ローラント殿は何かと忙しい身ですので 今日中にあなたをご案内させていただくのは無理かと存じます」
 要するに、暇人の相手をさせるほど暇じゃない、と言いたいのだなとダナは理解する。
「では、あなたは?」
「は?」
 シュウは何を言われたかわからない、と言った風に無防備な顔をさらす。
「シュウ殿もお忙しいですか?いえ、もちろん戦時の最中に暇だということはありえないでしょうが、 ローラントが仕事をしているほんの少しの間だけで構わないので、僕の相手をして下さいませんか? ――― もちろん、軍師殿がお忙しいならば、無理を申し上げるわけにはいかないのですが」
 隣国の英雄にここまで言われて、引き下がれるわけが無い。
「僅かの時間で構わないと言われるのでしたら、たかが一介の軍師に過ぎませんが私でよければ お相手をさせていただきます」
 ダナは、受けてたった相手に、満足そうな笑みを浮かべた。










 妙なことになった。
 シュウは目の前で紅茶を口に運ぶ隣国の英雄を複雑な思いで見ていた。
 たかが紅茶を口に運ぶ、それだけで一幅の絵画になりそうにハマリきっている。
 優雅で、典雅。周囲の空気さえ彼を引き立たせ、風は彼を邪魔せぬようにと穏やかに暖かな風をそよ吹かせる。
 詩人が語る英雄像よりも、更に信じ難い存在となって『英雄』は存在した。

「どうにもわかりかねるのですが」
「何かな?」
「あなたとローラント殿の、どのあたりに接点があって親しくなられたのか」
「僕とローラントが親しいとおかしいかい?」
 ダナはくすりと笑う。
「まぁ、おかしくないと思うほうが稀だと思いますが」
「正直だね。では、僕も正直に答えよう。僕とローラントが親しいというのは少しばかり間違いだ。彼が 僕を親しく思っているのは見ていればわかるだろうけれど、僕はそれを許容しているに過ぎない」
 彼等二人が居るのは、空中庭園の一角で周囲には人は居ない。
「それは・・・ローラント殿はあなたが親しくする価値が無い方だということですか?」
「まさか。僕は我が儘だけれど、そこまで不遜じゃない。それに僕はローラントを侮ったりなどしていない。 むしろ誰よりも評価していると思うよ。それ以上は僕とローラントの秘密だ」
「・・・・・」
 片目をつむり、英雄は悪戯っ子のように笑う。
 正直に答えるとは言っていたが、いったいどこまでが本当なのか。
 自分より年下の少年に、シュウはいいようにはぐらかされ、揶揄われている気さえする。
 ――― 自分の師であったマッシュはいったい、こんな彼とどのように関わっていたのか。

「人を、御しやすいと思ってはいけないよ」

「・・・っ」
「人の心は様々だ。想いの形もね。――――そう、例えば。この紅茶を石畳の上へ零したとしよう。その 時は、琥珀色のシミが出来るだろう。けれど時間がたてばそれは消えてしまい、誰の目に触れることなど 無くなる。だけど、石畳に紅茶の成分が少しも残らないというわけでは無い。目には見えないだろうけど そこには確かに名残がある。あるはずだ」
「・・・人の心が、その石畳と同じだと?」
「それ以上かな。人は色々なことを経験して成長していく。心に色々な想いを詰め込みながらね。 ――― 忘れたくても忘れられぬ想いを」
 ダナは笑顔を消し、カップの中に揺れる琥珀を見つめた。

「その想いのために、僕は今ここに居る」

 シュウは目を瞠った。
「安心してよ。少なくとも、ローラントがローラントである限り、僕は彼の害になるつもりは無い」
「それは場合によっては敵になることもある、と言うのでは」
「さぁ、どうだろう」
「・・・・・・」
 どちらにもとれるダナの返事に、シュウは試されているような気になる・・・年下の少年に。
 だが、目の前の人物は決して『ただの』少年とは呼べない存在である。
「――― 私にはローラント殿にあなたを二度とこちらへ呼ばないように進言することも出来ます」
「そう、可能だね。でも、ローラントは受け入れないよ」
「ッ何故、そうも言いきれるのです!あの方は私の進言を拒否されたことは無いのです」
「では、その進言が初めてのことになるね」
「!?」
 漆黒の瞳・・・否、それはどこまでも闇に近い紅―――そのダナの瞳にシュウは息を呑み、身じろぎ することも出来ない重圧を感じた。未だかつて感じたことのない・・・・これは、―――『畏れ』。

「”私”のことは放っておくことだ。両国のためにも」

 脅しまじりの英雄の言葉には一歩も引かない気迫がある。
 覇者たる者だけに許される、全てを圧し統べる空気。

 逃げ出しそうになる体を気力で押しとどめ、じんわりと汗の滲む拳を握り締めて、シュウはただ、頷くより他は無かった。