Verrat


 解放軍には、民衆を悪政から解放し自由にするという目的のために不文律が存在した。
 誰も口に出しておおっぴらに言い歩くわけではないが、当然のこととされていた決め事。

 それが、ある一人の兵士によって破られた。







    汝、女を犯すなかれ
    汝、子供を殺すなかれ
    汝、略奪を行うなかれ




 



 軍主であるダナのもとに、嘆願の女性が訪れたのは一刻ほど前のこと。
 事情を聞くや、ダナは女性に対し膝をつき頭を垂れ・・・周囲が息を呑む中、厳格に事に当たることを 約し、未だに傷の癒えない女性をリュウカンの元に案内させた。
 その背が見えなくなるまで見送ったダナは、物音の一切消えた軍議の間を振り返る。
 窓から常に吹き込むはずの風さえ動きを止め、部屋に居る全ての人間がダナの一挙手一投足を緊張した面持ちで見つめている。
 ダナは、激することなく静かなままだった。
 だが、それゆえにこそ、どれほどの怒りが心中に渦巻いているのかわからない。
 穏やかに微笑さえ浮かべているように見えるというのに、伝わる波動は肌をぴりぴりと痺れさせ、言葉どころか口を開くことさえ許されないことを知る。

「カゲ」
 ダナの呼びかけに、身を潜めていた闇より忍が現れる。
 覆面に隠されわからないだろうが、彼の額には汗が浮んでいた。己に向けられた怒りではないのに、 これほどに恐ろしい。どんな状況においても平静であることを厳しく訓練された忍でさえも、こうなのだ。
 後はおしはかるべし。
「話は聞いていたな。フリック、ビクトールと協力し、即刻。当人を私の前に」
 突然、名を呼ばれた二人がびくりと身を震わせた。
 フリックの顔色は、限りなく身にまとう蒼に近い色となっていた。
「行け」
 要点だけを告げるダナにカゲは姿を消す。フリックとビクトールもぎくしゃくとしながらも動き出した。
 ダナは、『即刻』と告げたのだ。半刻の遅れさえ許されないだろう。
「全く、私の信頼をこんな形で裏切られようとは思ってもいなかったな」
 自嘲の笑みとともに、言葉は軍師マッシュに向けられた。
「・・・残念です」
 マッシュもそれ以上の言葉が無い。
 そして、ビクトールとフリックに兵士が連行されてくるまで誰も口を開かなかった。










 逃亡を防ぐように両脇に立った両雄よりも、目の前に立つ華奢な少年から発せられる威圧感にこそ 兵士は息を止め、がくがくと膝をふるえさせてへたりこみそうになる。
 数々の戦歴を経て、今や名実ともに解放軍軍主として兵士に崇め奉られているダナは、戦場においては 勇猛果敢無双の英雄であるが、日常においてはどれほど低いとされる身分の者に対しても分け隔てなく 対等に接し、慈悲深い人柄を慕われていた。
 だが、兵士の目の前に立つ少年の姿には、そんな温かみは一欠けらも存在しない。


「何か申し開きしたいことがあれば聞こう、とは言わぬ。この場に連れられて来たことで、己の罪をわかっているだろうから」
 大凡のことを予想していたのか、兵士の顔色が変わる。
「解放軍は、決して第二の帝国たらんとしているわけでは無い。圧制に苦しめられた民の叫びから生まれ 育ってきた軍だ。その目的は帝国を倒し、正当なる権利を取り戻すこと。      民が疎んできた王侯 貴族と同じように、誰かを虐げ財産を奪い取ることでは、無い」
「・・・・・・・」
「そんなことは、いちいち口に出し文字に残さなくとも当然にわかっていることと思っていた」
 黒曜石の瞳に、赤い光が明滅しはじめる。
 滅多に見ることは出来ない、ダナの怒りが頂点に達しようとしてる証拠だった。

      安易に君たちを信頼してしまった、私の咎だな」

 その言葉にずっと沈黙を守っていた幹部たちがざわめく。
 だが、それもすぐに静まった。

「わ・・わわ、私は・・・な、何、もっっ」

 往生際悪く言い訳しようとした兵士に、ダナは微笑した。
「言い訳はきかん、と言っただろう」
 静かに脇に侍ったカゲから、何かを受け取ると・・・兵士の顔めがけて投げつけた。
「お前の荷物から発見されたものだ」
 それは一介の兵士が持つには、あまりに分に過ぎたものだった。
 男の顔に当たった宝石と金貨が固い音を立てて、床を転がる。
 明らかな証拠の数々に、男は今度こそ何も言うことができず後退しようとする。だが、両脇に立っている フリックとビクトールの手で拘束され、それも出来なかった。

「人は、誰にも侵せぬ尊厳を持って生きている。どんな人間であろうとも。蹂躙してよいものでは無い。 その罪は、死よりも重いと覚悟せよ」

 二人に拘束された兵士の前に近づくと、ダナは右手を掲げた。

「ソウルイーター」
 兵士の顔が畏怖と恐怖に支配される。


永劫消えぬ罰を、汝に与える


 黒い霧が、男の背後に出現し・・・やがて大鎌を持った死神の姿となる。
 その大鎌が男の首にかかり・・・停止した。


「その死神は、消えることないお前の罪の証だ。永劫にお前の命を削り、死するまで傍に侍るだろう・・・ もちろん、自殺しようとしても叶わぬことと知れ」
 ひっ、と喉を鳴らした兵士は白目を向いて、その場に気絶した。

「即刻、国境に送り、トランより永久追放とする」

 フリックとビクトールは、男を両脇から抱えあげると引きずるように軍議の間を出て行った。
 本来なら彼等の仕事ではないが、一刻も早くこの場から逃げたかったのだ。



「諸兄ら」
 軍主の位置に戻ったダナの声に、諸将の背筋が伸びた。
「私もこれから改めるが、二度とこのようなことの無いようによろしくお願いする」

 彼等は深く、頭を下げたのだった。









「・・・飲むかい?」
「珍しいね、ルックがお茶をいれてくれるなんて」
「いるの?いらないの?」
「ありがたく頂戴するよ」
 軍議が終り、自室に戻ってきたダナを出迎えたのはどうやら一足先にテレポートで移動していたルック だった。しかも給仕つき。
「明日の天気は嵐かな・・・訓練しようと思っていたんだけど」
「言ってなよ」
 穏やかな笑いを浮かべたダナは、紅茶のカップにそっと口をつけた。


「人間は・・・」
「ん?何?」
「・・・何でも無い」


         君のように清廉潔白な者ばかりでは無い


 言おうとしたルックは口を閉じる。
 目の前の相手も、ある意味『清廉潔白』とは言い難い性質を持っていたからだ。
 奇麗事ばかりでは軍主など勤まるはずもない。

 それでも、時に彼には信じられないほどに侵しがたく神聖なものを感じてしまう。


「ありがとう、ルック」
「・・・別に」
「偶には、ああやって怒ってみるのもいいかもね」
「は?」
「ルックが優しくしてくれる」
 ぺろりと舌を出したダナには、先ほどの威圧感は全く無い。年相応の少年らしさが匂う。

「馬鹿じゃないの」

 嘆息まじりに、吐き出した。