Bear's Heart


「おい、暇か・・・て、忙しそうだな」
 会議室に顔を出したビクトールは、そこに目的である軍主と話しこんでいる軍師の姿に一人で問答した。
 この時間ならばさすがにダナも休息をとっていると思っていたのだがどうやら間違いだったらしい。
「いや、ビクトール。もう終わったところだよ。何か用事が?」
「用事っつーか、下で飲まないか?」
 問い掛けられたダナではなく、マッシュがビクトールにとがめるような視線を投げかける。
 いわく、未成年を酒場に誘うとは何事か、と。
 そのマッシュをダナはちらりと見てから、ビクトールに頷いた。
「構わないよ。それじゃ、マッシュ。その件は明日の会議で」
「かしこまりました」
 何か言いたいことはあったマッシュだが、ダナの浮かべた笑顔にそれは封じられた。





「誘っておいて何だが・・・」
 第一陣が過ぎ去った酒場では人もまばらとなっている。
 薄暗い照明の中で、端の席を陣取った二人の目の前には大ジョッキが二つ置かれていた。
「飲めるのか?」
 ダナはくすりと笑った。
「グレッグミンスターの水は食用には向かなくてね、ワインやビールが水がわりだったんだ」
「へぇ~」
「というのは冗談だけど」
「お゛い」
 からかったのか、と凄むビクトールにジョッキを掲げると乾杯と笑う。
「乾杯・・・って、何に乾杯するんだか」
「まぁ、勝利に、かな・・・苦い勝利だったけど」
「・・・・・・」
 ビクトールは何とも言えない顔で、美味しそうにビールを口に運んでいるダナの姿を見つめる。
 苦い勝利・・・確かにスカーレティシアの戦いは、ダナにとって苦いどころで話では無かっただろう。
 幼い頃からずっと付き従い、お守りとしてついて傍にあった従者を失ったのだから。
 そのわりに、ダナは幹部といえども動揺した部分を少しも見せず、元凶ともいえる帝国将軍ミルイヒを 許し、解放軍の味方へと引き入れた。
 軍主は・・・グレミオを失ったその瞬間にさえ、僅かに痛みをこらえるような顔をしただけで、一瞬にして それも消えた・・・いや、消したのか。

「ダナ」
「何だい?」
「その・・・俺は、いや」

「ビクトール。もし、君がグレミオの死に何か責任を感じているのならば、それは余計なことだよ」

「・・・っ」
「その責は僕にこそあるもの。グレミオ自身にもね。戦いに身を置くということは、死を背後に思うことと 同じだ。誰の身にもそれはおこりうる。だいたいこの戦いで命を落としたものは、グレミオだけじゃない。 兵士の多くが傷つき、また死んだ。彼らにも愛する人、大事な人が居たはずだ。僕が特別というわけでは ないだろう・・・悲しんでいないわけじゃないよ。だけど、僕は軍主だ。悲しんでばかりでは先へ進めない。 グレミオの死に囚われ、悲嘆に沈み、己の責任を放り投げれば・・・それこそグレミオの死が無駄になる。 僕は、グレミオの死を無駄にはしない。絶対に」
「・・・ダナ」
「そして、僕をこの戦いに巻き込んでしまったことを後悔しているのならそれもまた余計なことだ」
「!?」
 なぜにこの軍主は、人の心が読めるのか・・瞠目したビクトールに、ダナは淡い微笑を浮かべる。
「フリックほどでは無いが、ビクトールも傭兵にしては顔に出すぎるね」
「・・・・・・」
 くすり。
「ビクトールがあの時、声をかけなかったとしても・・僕は帝国に剣を向けていただろう。守るべきものを 守るために。一瞬のためらいもなく」
 ダナの顔がら微笑が消え、瞳に鋭利な光が宿る。
 ぞくり、とビクトールの背中があわ立った。
「僕はこう見えて結構我侭なんだ。皇帝陛下が守るべき第一のものとは、僕にはどうしても思えない。 ・・・そういう意味では僕は、『騎士』には到底なれないと幼心に思ったものだ。僕は僕が大事だと思うもの を守ることが出来ればそれで十分。正直なところ、それが出来るのだったら帝国の側に居たままでも 良かったし、剣の矛先を解放軍へと向けても良かった。ただ、帝国のほうが先に僕に刃を向けたからね、 僕は解放軍についたけど。別にオデッサの死に責任を感じて、この地位を甘受しているわけじゃないよ」
「どうしてお前は、そこまで強くあれる?」
「――― 何も無いから」
「?」
 首を傾げるビクトールに、微笑したダナはそれ以上語らなかった。
 諦めたビクトールは息を吐く。
「・・・お前を慰めるつもりで、慰められてりゃぁ世話ないな」
 ビクトールは顔を覆う。
「いや、ビクトールには感謝しているよ。こうして愚痴を言わせてくれるんだから」
「愚痴か、今の・・・本当、お前には適わねぇよ」
 肩を落とすビクトールにくつりと笑い、ダナは次のジョッキを頼む。
「さぁ、暗い話はこれまでにして、飲もうよ。せっかくの夜なんだから」
「・・・よし、望むところだ!今日は飲んでやるぜっ!じゃんじゃん持ってきてくれっ!!」
 明るいダナに調子に乗ったビクトールは、カウンターへと注文を叫ぶ。
「ダナ、飲み比べといこうじゃねぇか!」
 出来上がったビクトールは完全にダナが未成年であることを忘れきっていた。
「構わないけれど、後で泣きをみても僕は知らないよ」
「はははっ!言うじゃねぇか」
 自分が負けるとは夢にも思わない口調で、ビクトールは陽気に笑うと運び込まれたジョッキを 待ってましたとばかりに口へ運ぶ。
 ごくりごくりと中身をきれいに飲み干し、ダナを見ると、その前にもすでに空になったジョッキが二つ。
 相手に不足なし!・・・判断したビクトールはさらに杯を重ねていくのだった。











 翌日。

「ビクトールはどうした?まだのようだが・・・」
 定刻どおりに始まった会議に、ビクトールの姿だけが無い。
 マッシュが眉をしかめてビクトールの相棒でもあるフリックを見ると、肩をすくめて首を振る。
「マッシュ。今日の議題はビクトールは居なくても大丈夫だろう。会議を進めよう」
 ダナは爽やかな空気をまとって、皆を見回して頷いてみせる。
「はぁ・・・それでしたら」
 何かが気にかかりながらも、それ以上マッシュもビクトールを待つつもりは無かったのか会議をはじめることに同意した。









「うぅくそっ頭、いてぇー・・・」
 その頃、解放軍基地の一室では二日酔いで頭を抱える熊の姿があった。