5.みにくいあひるの子 【十二国記・慶国】









「・・・・何、この重たい空気は・・・・・」
 執務の休憩の時間に合わせ、お茶を運んできた祥瓊は室内の空気の重たさに一歩引いた。
「ああ、祥瓊。休憩時間か・・・いつもすまないな。ありがとう」
「それはいいんだけど・・・何かあったの?」
 執務室には陽子しかいない。だいたいいつも傍にいるはずの、浩瀚も景麒も席を外していた。
「いや、別に何も無いんだけど」
「何も無いわけないでしょ。今度は何を悩んでたの?」
 決め付ける祥瓊に陽子は苦笑した。
「本当に何でもないんだ・・・ちょっとね」
「そのちょっとが問題なんでしょ。私にはいえないこと?」
「いや、そういうわけじゃ・・・・・・だって本当にくだらないことなんだ」
 言い訳する陽子を祥瓊はじっと見つめる。
「・・・・・わかった。話すよ」
 それでいいのよ、とばかりに祥瓊は頷いた。




***************





 忙しい執務の毎日だったが、その日、何故かぽっかりと空いた時間に陽子は何をするでもなく金波宮を
 散策していた。
 そんな陽子の耳に人の話し声が届き、何だろうと興味を持ったのが不幸のはじまり。


「・・・・全く、我が国の主上の装いときたら、まるで下町の小僧のような格好で・・・」
「左様、左様。あれでは全く王には見えませんな。だいたい我ら万民の上に立つからにはもう少し身なりに
 気をつけていただかねば」
「全くその通り・・・・しかしな。ここだけの話。女官たちも当初は着飾らせようと奮発したらしいが、あまりに
 不釣合いな様に諦めたとか・・・」
「確かに我らが主上は、女というには、いささか粗雑にあられるからな。確かにあれでは女官たちも腕の
 振るいがいがなかろう」
「まことにな」
「無理をして着飾るは、見苦しいですからな」
「左様、左様」
 そう言って、官吏は互いに笑いあう。
 恐らく周りに聞こえないように小声で話していたつもりなのだろうが、陽子にはばっちり聞こえてしまった。

「・・・・・・・・・・・・・」
 確かに自分がおよそ”美しい”と呼ばれる容姿では無いことは重々承知していた。
 だが、こうして改めて言われているのを聞くと、わかっていてもつらいものがある。
 草陰で官吏たちが立ち去るのを息を潜めて伺っていた陽子の気分は最低に落ち込んでいた。
 気分転換のはずの散策は、全く正反対の効用をもたらしてしまったのだった。




***************




「まぁっ!いったいどこのどいつよ!そんなこと言ってたのは!」
 信じられないっ!と祥瓊は拳を握り締めて、怒りに顔を朱に染めた。
「でも・・・・本当のことだしな」
「何言ってんの!陽子は自分のこと知らなさ過ぎるわよっ!女官たちが陽子に正装してもらうのを諦めた
 のは陽子が嫌だって言ったからでしょ。根拠も無い噂話を真に受けないで」
「それはそうだが・・・私は向こうの世界に居たときから地味で目立たなかったし、まじめすぎてつまらないとか
 よく言われたな・・・・」
「陽子・・・・あなた、本当にわかってないわね」
「え?」
 陽子の容姿のどこが”目立たない”などと言えるのか。
 燃えんばかりの紅の豊かな髪は、背中へゆるやかに波うち、翡翠の瞳は宝玉のように輝いている。
 鼻梁もすっと通っていて、きりっとした目元が円熟する前の少女の清潔さを思わせる。
 陽子を見て、いったい誰が”みにくい”などと思えるのか。
 そんなことを言う輩は・・・
「目が悪いのよ。きっと遠視か近視が入ってるに違いないわ・・・それとも白内障かしら・・・」
「は?」
「とにかくっ!そんな奴らの言葉を信じちゃ駄目よっ!」
「そ・・・・」



「その通りです、主上」
「こ、浩瀚!?」
「浩瀚様」
 いったいいつから居たのか、慶国の有能な冢宰は入り口に静かに佇んでいた。
「お前、いったいいつから・・・・」
「さて、確か・・・主上が散策に出られたというあたりであったかと」
「・・・・・。・・・・・・」
 ほぼ最初から居たらしい。陽子と祥瓊の顔が知らず、ひきつる。
「主上、私からも言わせていただきたい」
「え、ああ・・・どうぞ」
 こういうときの浩瀚は普段以上に迫力がある。
「これは天綱に定められることまでもなく、自明の理でありますが、人の陰口を叩くなどということは決して
 褒められることどころか、品格を自ら貶める行為と言えるでしょう」
 陽子、祥瓊。こくこくと頷く。
「ましてや、金波宮に仕えるという万民の見本を示すべき立場にある者がそのような行為に身を染めるという
 ことは言語道断。筆舌に尽くし難いことであります。その上、それが畏れ多くも主上に対する陰口とは、真、
 万死に値する行為と言えるでしょう」
「いや、そこまでは・・・・」
 確かにあまり褒めらたことでは無いが、それで命まで奪うというのは・・・どうだろう?
 陽子は静かに怒っているらしい浩瀚を落ち着けようと、微笑を浮かべると、再び脇から相槌が入った。

「冢宰の申す通りでございましょう」

「景麒!?」
「台輔」
 足音どころか気配さえさせず、陽子の背後へ立っている景麒にぎょっと目を見開いた。
「浩瀚。主上の陰口を叩いたものを見つけ出し、即刻厳罰に処すように」
「はっ」
「こらこらこらっ!!」
 とんでもないことを言い出した景麒と、それに素直に拝命する浩瀚に陽子のほうが慌てる。
「主上、どうかなされましたか?」
「どうか、て・・・・本気か!?」
「・・・?異なことを申される。このようなことを戯言などで申せはしません」
「左様です、主上。台輔が申されますことには何の問題もございません」
「あ・・・・あるだろっ!思いっきりっ!!そんなことで人を罰を与えるなど、許さないぞ!人の思想信条まで
 私は拘束する気は無い。言いたいこと言えないなんて、それこそ忠言してくれる家臣を失うことになる!」
「・・・・・仕方在りませんね。主上がそこまで仰られるなら・・・・」
 いや、仕方ないって・・・・お前は本当に麒麟なのか!?仁の獣なのか!?嘘だろうっ!?
 陽子は心の中で叫んだ。
「主上は、お優しくていらっしゃる」
「・・・・・・・・。・・・・・・・・・」
 頷きあう、景麒と浩瀚。それを呆然と見つめる陽子。
 控えている祥瓊は、最初こそ呆気にとられていたものの、二人と同じ思いなのかまったく問題ないと
 同じように強く頷いている。


 慶東国。
 主上命の麒麟と家臣が住むところ。
 余計な一言が死を招く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こともあるかもしれない。


 








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