ローマの休日 3


「何これ!?」

 翌日はセシリアの怒声から始まった。
 どうやら出された朝食に不満があったらしい。
 
 何だか美味しくなさそうなパン。
 適当に用意したソーセージ。
 適当に……サラダ。
 ヨーグルト。
 以上。

 秋生にしたら、これだけ用意してくれているだけで十分だと思ったのだがセシリアは違うらしい。
「だから欧米文化って嫌なのよ……」
 ぶつぶつ言いつつもしっかりと口に運んでいる。
 ヘンリーの手料理やビンセント厳選の店の味に慣れている舌からすれば文句の一つも言いたくはなるだろう。
 だが、この旅は団体ツアー旅行。こんなものだろう。


 ローマ二日目。
 バスでコロッセオなどを巡るらしい。
 バスはさすが欧米仕様でゆったりとしていて乗り心地が良い。
「今日は日差しが強いわね。日焼け止めしっかり塗っておいて良かったわ」
「……そうだね」
 そうとしか秋生には言いようが無い。
 壊れかけの石壁のコロッセオ。周囲には観光客向けの剣闘士の姿をした人たちの姿もある。
「セシリア、一緒に写真撮ってもらわなくて良いの?」
「はん。あんな見せ掛けの筋肉と一緒に撮ってもね」
 セシリアはああいう濃い顔は好みでは無い、と秋生はそっと心の内にメモった。
 次に連れて行かれたのはトレビの泉。
 くれぐれもスリやジプシーには気をつけるようにと言われ、しばしの自由行動を許される。
「泉にコイン投げる?」
「まぁ、来たからにはするのがセオリーでしょ」
 たいしてやる気も感じられずセシリアがひょいっと硬貨を投げ入れる。
 秋生も続けて……としようとしたところで誰かにどんっとぶつかられた。
「うわっ」
「ちょっと!」
 そのまま泉に落ちかけた秋生をセシリアが慌てて支えた。
「ぼさっとしないで!ちゃんとここに居るのよ!」
 子供に言い聞かせるように告げるとセシリアが身を翻した。
「セシリア……?」
 いったい何が起きているのか秋生にはわからず、とりあえずセシリアの言いつけを守って泉の階段から上がったところで待っていた。
 そんな秋生の肩がとんとんと叩かれる。
 Excusu meと英語に顔を上げると、警官が立っていた。何だろう、と首を傾げる秋生に警官はパスポートを見せて欲しいと言ってくる。
『何か事件でもあったんですか?』
『すまないが、そこでちょっとした喧嘩が起きてね……東洋人が関係しているんだよ』
 なるほど。それで秋生に声が掛けられたわけか。一人ぼうっと立っていたのが怪しがられたのだろう。
 OK,と快く了承してパスポートを取り出そうとした秋生の手を誰かががしっと掴んだ。
「セシリア!?」
「馬鹿っ何やってんの!……ホントにもうっ次から次へと!!」
「何が……」
「こんな見るからに偽警官に騙されるなんて馬鹿!」
 セシリアがきっと睨みつけると警官……だと思っていた相手は、うろたえたように身を翻して逃げていった。
「はい、お財布。ちゃんと持っておきなさい!」
「え?あれ?……上着のポケットに入れておいたんだけど」
 秋生の言葉にセシリアが額を抑えた。ふかーく深く溜息をつく。
「……今までよくも香港で無事に生活できたと思うわ」
「はは」
 乾いた笑いを漏らした。



 昼食を皆で食べた後は自由時間ということで、セシリアの買い物に付き合わされる羽目になった。
 1軒2軒3軒と梯子していくうちにさすがの秋生も疲れ、セシリアが店から出てくるのを紙袋を提げてぼんやりと松。店員にあーだこーだと香港に居た時と変わりないバイタリティでセシリアは値切る。
 最早、凄いとしか言いようが無い。

「Excuse me」

 ああ、またか。とさすがの秋生も掛けられる声にゆっくりと顔を上げると……目を瞬いた。
 てっきり西洋人かと思った相手は東洋人……たぶん、日本人だ。
 不思議と同じ東洋人でも、日本人とそれ以外というのは何故か見分けがつく。
「何ですか?」
「ああ、やっぱり日本人だったのか。突然ごめんね」
「いえ……」
「俺、こっちに留学している斉藤って言うんだ。何か妙に疲れた顔してたから気になって」
「……はぁ」
 傍目からも秋生は疲れ切って見えたらしい。顔が引きつる。
「良かったらそこのテラスでお茶でもどう?連れも買い物に夢中なんだろ?」
 見抜かれているというより、そういう観光客が多いのかもしれない。男は女の買い物に苦労する。
「そこのテラスなら店からも見えるし、休むには最適だと思うよ」
 確かにそろそろお茶の一杯でもと思っていたところだった。
 秋生はちらりと店を振り返り、セシリアが出てきそうに無いことを確認する。ちょっとぐらいなら大丈夫だろう。
「それじゃ……あ、と僕は工藤」
「よろしく」
 店が見渡せるカフェテラスの一席に座り、秋生はほっとひと息ついた。
 日本に居たならばさすがの秋生も見ず知らずの人間に声を掛けられ、ほいほいとついて行くことは無かっただろうが異郷の地で同郷の人と再会するというは、妙な親近感を産む。
「ローマにはツアー?」
「まぁね。くじ引きしたら当たっちゃったんだ」
「それはラッキーじゃん!」
 確かにラッキーだろう。秋生だって楽しみにローマにやって来た。
「連れは彼女?」
「従妹」
 ここは強調しておかなければならない。秋生の身が危ない。
「だったら良いかな」
 何が。
「夜。せっかくこんな遠いとこまで来たんだから遊ばない?連れてってやるよ」
 夜遊び。秋生の心が大いに擽られた。
 しかし、セシリアにバレずにそんなことが出来るとは思えない。
「偶然、高校時代の友人にでも会ったことにして抜け出してくれば?」
「……危ない場所、じゃないよね?」
「日本人留学生の仲間とかも結構いく店だから大丈夫さ。心配だったらこれが店の連絡先だから、従妹に渡しておくといいよ」
 店の名前と住所、連絡先が書かれたカードを渡される。
「せっかくだから楽しもうぜ」
「……途中で抜けるかもしれないけど、それで良かったら」
 秋生の言葉に相手は破顔し、俺の連絡先だと携帯番号を渡された。
「どこのホテル?連絡くれたら向かえに行くよ」
「クィリナーレ、ていうところ」
「OK、テルミニ駅の近くだな。じゃ、今夜7時頃に」
「うん」
 それだけ告げて秋生の肩を叩くと彼は伝票を掴んで鮮やかに去って行った。
 ローマとかに住んでいると、日本人でも洗練されていくのだろうか……。

 その後、店を出てきたセシリアのお茶にも付き合って、漸く秋生はホテルに戻った。





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