蒐集妄執


 それは、酷く懐かしい       そんな空気を感じた。





「止めて」
「ミスター・工藤?」
 制止の声に、運転手が車を止めた。
 ビンセントが不審な表情で横に座る秋生を伺う。
「ごめん、ちょっとあの骨董屋に寄っていいかな?」
「何かお気になるものでも?」
「うん、ちょっとね……」
 小さな骨董屋だった。
 店構えもさして立派とはいえず、観光客向けの木彫りの民芸品などが軒先に並んでいる。
 いきなり止まったロールスロイスから下りた人間が店に向かって歩いてくるのを店主が驚いた顔で見ている。秋生はそれなりに整った顔をしているが、群集に紛れてしまえばわからなくなってしまう程度に普通の人間だった。
 身なりも運転手付きのロールスロイスに乗れるような立派なものでは無い。
 いつものTシャツにスラックス、という格好だ。

「ちょっと見せて下さい」
「い、いらっしゃい・・・ませ・・・?」
 にこりと笑って店内に入っていく秋生を店主が戸惑う声で追う。
 そして秋生は車の中から見つけたものが、見間違いでは無かったことを知った。
「ミスター・工藤」
「ビンセント」
 運転手に適当な場所で待機させたビンセントが秋生の後ろに立った。
「何か?」
「うん。……これ」
 秋生が指差したのは古びた木製の机だった。
 店の商品の展示用に使われているらしく、その机の上には壷や花瓶が並んでいる。
「これが何か?」
「うん、僕もこれを見るまで忘れてたんだけど……」
 くすりと笑う。
「いつだったか……ビンセントが、僕の家庭教師に雇われていたことがあっただろ?」
「は?……ああ」
 言っておくが、ビンセントが秋生の家庭教師などしたことは無い。
 つまり前世の幾度となく生まれ変わった黄龍の転生体の一人の……ということだろう。
「確かにそのようなことがありました……五百年ほど前でしたか」
「うん……僕もさすがに全部が全部覚えているわけじゃないけど……これ、そのときに使ってた机だよ」
 秋生の言葉にビンセントが驚いた表情を浮かべる。
「……ほら、ここ」
 秋生はしゃがみ、机の足の裏を指差す。
「……」

 『青陽的笨蛋』      と書かれているのが消えかかりながらも何とか読み取れる。

  日本語に訳すと……『青陽の馬鹿』――― ということになるだろうか。

「ほら、ビンセントって厳しい家庭教師だったから……ついつい、目につかないところへ落書きして憂さ晴らししてたんだよな」
「……」
「なつかしいな~、まさかこんなところでお目にかかるなんて……びっくりした」
「……」
 それはビンセントのセリフである。
 五百年前、転生体を見守る意味で家庭教師として近づいたビンセントだったが、その子供は従順で素直な性格だった。
 さすがは黄龍殿、とまるっきり親馬鹿気分で接していたあの頃をビンセントは思い出す。
 その子供の、実のところ本当はかなり『イイ性格』であったことが、まさか五百年後のこんなところで判明することになるなど。

「あ、あの……お客様?」

 珍妙な二人連れの客に、店主が弱腰で声を掛けてきた。
「あ、すみません。商売の邪魔しちゃって……ビンセント、帰ろうか」
「ミスター・工藤……よろしいのですか?」
「ん?」
 ビンセントは机を指差す。
「何が?」
「ご入用でしたら……」
「あー……いや、あのね、ビンセント」
 確かに懐かしい思い出深い一品ではあるが、今さらそんなものを買い求めても仕方ない。
 秋生は骨董の蒐集家では無いのだから。
「ちょっと懐かしかっただけだから」
「そうですか?」
「うん、ほら、帰ろう。ヘンリーたちも待ってるだろうし」
 残念そうな顔をしているビンセントに、悪い予感を抱いた秋生はさっさと先に歩き出す。
 しぶしぶとビンセントも後に続いた。






■ ■ ■ 





       甘いわ」
 
 ビンセントの屋敷でヘンリーの料理に舌鼓を打ち、湾仔のマンションに帰宅する車の中で、骨董屋の一件を話した後のセシリアのセリフだった。
「何が?」
「まだまだね、秋生。あのビンセントが黄龍殿縁の品を見つけてそのまま見逃すと思う?」
「でも、本当にただの古い机なんだけど」
 これだから、とセシリアは頭を振る。
「そんなことビンセントには関係ないわよ」
「でも僕はいらないって言ったし……」
「秋生はそうでも、ビンセントは欲しそうな顔してなかった?」
「……」
 残念そうな顔は、していた。確かに。
「賭けてもいいわ。どうせ今頃、骨董屋に手をまわしてすでに机を手に入れてるわね」
「まさか    
 冗談、と言おうとした秋生はセシリアのどこまでも真面目な表情に口を噤む。
「ビンセントが骨董蒐集もしているの知ってるでしょ?あれってほとんど黄龍殿関係の品よ」
「……」
「ビンセントは言うなれば      『黄龍殿馬鹿』、なんだから」
「……」
「しかも無自覚」
「……」
「想われてて良かったわね?」
「……はははは」
 それは喜ぶべきところなのだろうか。
 秋生は助手席から、香港の夜景を虚ろな視線で眺めるのだった。






 その数日後。
 ビンセントの屋敷を訪れた秋生はセシリアの言葉が真実であったことをその目で確認することになる。

 見覚えのある机が、白大理石の上に違和感いっぱいに置かれていたのだった。